パイナップル、イチゴ。
自宅の郵便受けに入っていたそれに、マリは首を傾げていた。
「……なんだろ、これ」自室の電気を付け、窓際に置いてあるベッドに倒れ込むようにして寝転ぶ。今日は一日歩き回ったせいで脚が随分と疲れていた。「差出人は……書いてないなあ」
長方形のそれは、どこからどう見ても封筒だった。しかし差出人の名前どころか切手すら貼られておらず、届け先の住所も記入されていない。唯一、宛名の部分にマリの名前が書かれていた。怪しいことこの上ない。
なにより、それを助長しているのが封筒の色だ。
「金色とか趣味悪すぎるでしょ」
光に透かして中身を確認しようとしながら、思わず笑ってしまう。一体どこでこんなものを買ったのか気になってきた。雑貨屋などで探せばあるのかも知れない。
ひとまず、これを開封するか否か。切手が貼られていなかったということは、郵便局などを介さずに直接郵便受けに入れたということだ。つまり差出人はマリの自宅を知っていると考えていい。友人の大半は自宅に招いたことがあるし、その中の誰かの仕業か。もしくは、彼らからマリの家を聞き出した見知らぬ誰か。後者であれば怖すぎるが。
あと自宅を知っているのは――「ユウくんくらいかな」
でもさっきまで一緒にいたしなあ、と考えながら起き上がる。無造作に寝転がったままでは、お気に入りのスカートにおかしな皺が寄ってしまう。ベッドの傍に置いてある丸机に移動し、置きっぱなしになっていた筆箱からカッターナイフを取り出した。
持った感覚ではかなり軽く、入っているのは便箋で間違いないだろう。とはいえどの程度の大きさなのか分からないし、手で開けるよりこちらの方が綺麗に開封できる。マリは中身を傷つけないように慎重に封を切り、ひっくり返して上下に振ってみる。ぱさ、と微かな音を立て、綺麗に折られた便箋が二枚、机の上で重なった。
予想通りだったことに安心し、まず一枚目。開いてみて、マリはまた首を傾げた。
『5。1、1。6、1、4。4。』
「……意味が分からない」
数字が七つと、適当に打ったとしか思えない句読点。
訝しみながら二枚目に手を伸ばし、今度は眉を顰めた。
『幸福を告げる者より。
完全なる美しさと、乙女の真心を持ちし君へ。
純粋な愛と、飾らない心は、栄光を永遠のものとした。
生命の輝きに満ちた君ありて幸福。』
案の定、便箋にも差出人の名前は無かった。何となく筆跡で誰か分かればと思っていたが、その当ても外れた。電子媒体で打ち込んだであろうものを印刷してあるのだ。マリの意図を読んでいたとすれば末恐ろしい。
低く唸り、マリは一枚目と二枚目を見比べた。数字だけの一枚目と、やけに気障ったらしい二枚目。しばらく眺めていたが、ふと共通点に気がついた。
句読点の位置だ。
――もしかしなくても、これは。
「暗号、とか?」
むしろそうとしか思えなくなってくる。マリはシャープペンとメモ帳を取り出し、ぶつぶつと呟きながら考え付いたことを書き込んでいく。
数字が意味しているのは、上から数えて何番目の文字、とか、そういうことではないだろうか。漫画や小説でも読んだことがある。わざわざ句読点の位置もそろえてあるのだから、これもヒントになると考えていいだろう。
「幸福を告げる者……の、上から五番目ってことでいいのかな。『げ』? 次、完全なる美しさは一番目だから『完』かな……」
順調だと思っていたが、すぐに詰まった。
『純粋な愛と』は五文字で構成されている。しかし一枚目に書かれた数字は『6』だ。符合しない。
考え方が間違っているのだろうか。
――というか、なんで私、こんな意味の分からない紙に悩まされなきゃいけないの?
段々馬鹿らしくなってきたが、せっかく手を付けたのに投げ出すのも諦めるみたいで癪だ。気合を入れ直そう、と下ろしたままになっていた長い髪を、首の後ろで一つにまとめた時だった。
「まーちゃーん、居る?」ドアがノックされ、返事をする間もなく扉が開く。そこに立っていたのは、ティーシャツに短パンとラフな格好をした妹だった。「お母さんがパイナップルの缶詰貰ったらしくてさ、ヨーグルトと混ぜてみたんだけど、食べる?」
そう笑う妹の手には、ガラスの器とスプーンが二つずつ。わざわざ部屋まで持ってきたということは、このままここで食べるつもりなのだろう。マリが「いらない」と言った場合は、二人分を平らげるだろうなということも分かっている。
「食べるー」
暗号も行き詰ったし、小腹も空いていた。夕食までしばらく時間はあるし、気分転換に食べるにはちょうどいい。マリにヨーグルトを渡した妹は、そのままベッドに腰かけて居座った。
「で、彼氏さんと泊りがけでどこに出掛けてたの?」
妹が言う「彼氏さん」とは、マリが高校の頃から十年以上付きあっているユウのことだ。
「あのー、三重県の、イルミネーションが凄くきれいなところあるでしょ。光のトンネルがあるとこ。近くに温泉とか遊園地とかある」
「あーはいはい。分かった。それで、彼氏さんの親戚の家に泊めてもらったわけ?」
「うん。あとは今日の午前中に伊勢まで行って、おかげ横丁だっけ。あそこ歩いたの」
本当は神宮に参拝もしたかったのだが、少し前に見たテレビ番組で「カップルで行くのはあまりよくない」と言っていた。迷信だろうとは思ったものの、何となく胸に引っかかっていたし、休日ということも相まって人混みが凄まじく、最終的に諦めたのだ。
明日はお互いに仕事だし、少し早めに帰ろう、とこちらに戻ってきたのが夕方ごろだ。そこで謎の封筒を見つけたわけだが。
お土産はリビングに置いてあるからね、と付け足すと、妹は嬉しそうにベッドの上で小さく弾んだ。成人しているというのに、相変わらずどこか子供っぽい。
「あれ、そういえば何やってんの、まーちゃん」
机の上に広げられた便箋とメモに気が付いたのだろう、妹が後ろから覗き込んでくる。
それがさー、とここまでの流れを説明すると、「平仮名とかは?」と返された。
「どういうこと?」
「文章そのままに読むんじゃなくてさ、一旦平仮名に戻してから、そこから数字で指定された場所を抜き出したら一つの文章が出てくるとか。この間読んだミステリー漫画で似たようなの見たし」
「それか!」盲点だった。言われたこと忘れないうちに早速書き出し、出来上がったものを声にしてみる。「……をかおなかうい……?」
余計に訳が分からない文章が出来上がった。いや、これもアナグラムになっていて、さらに文字を並べ替えればいいのかもしれない。そう思って何度か試してみたが、やはり文章らしいものにはならない。
もう一度妹にアドバイスを求めようと振り返ってみるが、興味を失くしたのか、彼女はスマートフォンに夢中になっていた。先ほどからピコピコと音がすると思っていたが、どうやらメッセージアプリで誰かとやり取りをしているらしい。
仕方がない。また考え直しだ。ヨーグルトとパイナップルを口に運びつつ、「上からじゃなくて、下から数えるのかな」ともう一度メモ帳に書き起こす。それも間違いだったと気付いたのは数秒後だ。
「そういえばさ、お姉ちゃん妊娠してるじゃんか」マリには妹の他に、姉が一人いる。妹が言うお姉ちゃんは長女のことだ。数年前に結婚したため、もう家にはいないが。「名前、もう決めたんだって」
「あ、そうなの? 男か女か、生まれてからのお楽しみにするって言ってたのに」
「両方考えたらしいよ。由来とか画数とか、結構気を遣って」
姉にはすでに一人子どもがいる。その時もかなり悩んで、母親に何度も相談していたことを覚えている。マリや妹もあれこれと提案したが、ついぞ二人の案が採用されることは無かった。
由来と言えばさ、と妹は話を続ける。
「まーちゃんの名前の由来って、何だったっけ」
「え?」どうして今そんなことを聞くのだろうとは思ったが、答えたくないようなものでもない。小さい頃に母に聞いたことを思い出し、「なんだっけ、悪いことを悪いって言えるような子になってほしいとか……あとは、キラキラ輝いていてほしいとか……あやふやだけど」
――あ。
ハッとした。マリは二枚目の紙に目をつけ、最後の文をペン先でなぞった。
『生命の輝きに満ちた君ありて幸福』
続いてポケットからスマートフォンを取り出し、とある単語を入れて検索をかけてみる。
あなたの名前は花から取ったのよ、と小学生の頃に母が言っていた。確か、その花の花言葉が――
「これか」
表示した画面には、赤や黄色の花びらが可愛らしい花がいくつも並んでいる。
マリーゴールド――「聖母マリアの黄金の花」を意味する植物だ。花言葉は「悪を挫く」「信頼」などいくつかあるが、そのうちの一つが「生命の輝き」だ。幼かったマリに説明するためにも、当時の母はこれを噛み砕いて教えてくれたのだろう。
いや、でも。
「……だからなんだろ……」
ヒントを掴めたような気はするが、最後の文の「生命の輝きに満ちた君」が誰を指すのか分かった程度だ。それにこれくらいは解読しなくても初めから分かっていた。何せマリに当てられたものだし。
再び投げ出しそうになったが、後ろから眺めていた妹が呆れたようにため息をついた。
「花言葉がヒントっていうのは間違ってないんじゃない?」
「えー?」そんな馬鹿な、と思いつつも、試しもせずに否定するのはいけない、と思い直す。すでにだいぶ面倒くさいが、手掛かりにはなるかも知れない。何となく初めの文を打ち込んで検索をかけてみた。「幸福告げる……え、うそ、出た」
思わず唖然とする。
妹の一言は大正解だったのだ。スマートフォンの画面には、該当する花の名前と写真が表示されている。マリは次の文、さらに次の文と打ち込んでいき、花言葉と花をメモ帳に羅列していった。
『幸福を告げる――カランコエ。
完全なる美しさ――白い椿。
乙女の真心――コウテイダリア。
純粋な愛――胡蝶蘭。
飾らない心――シンビジウム。
栄光・永遠――沈丁花』
「で、『君ありて幸福』が、赤いゼラニウム」
偶然ではない、確実に意図的だ。二枚目の文章は、花言葉を並べたことで成立していた文章だったのだ。
それを踏まえて、改めて一枚目の紙に書かれた数字を確認する。当てはまる文字を抜き出していき、ゆっくりと読みあげてみた。「……えつこんしよう?」
――なに、この惜しい感じ。
何となく言いたいことは分かるような、分からないような。そんなもやもやがマリの胸中に溜まっていく。
というか、もしかしなくても、この暗号の差出人は。
ぴこ、と妹のスマートフォンが鳴る。相変わらず誰かとやり取りを続けているらしい。嫌いな相手からの連絡なのか、終始顰め面なのが気掛かりだが。
「あーもう、面倒くさいな!」ついに我慢の限界に達したのか、妹はヨーグルトの器をマリに押し付けて立ち上がった。そのまま勢いよく扉まで歩いていき、怒りをぶつけるように乱暴にドアノブを引いた。「自分で説明した方が早いって!」
「あ、ちょっと、待っ、」
どうやら扉の影に誰かが隠れているようだ。妹はその何者かの腕を掴み、マリの部屋に引き入れようと必死になっている。何者かはそれを拒むように何やらもごもごと呻きながら抵抗していたが、結局根負けしたらしい。
数秒後、照れくさそうに現れたのは、マリもよく知った人物だった。
「え、ユウくん?」
何者か――ユウは、吹っ切れたように笑う。口角が若干引きつっているように見えるが。
「帰ったんじゃなかったの?」
「いや、まあ」
何やら目が泳いでいるし、後ろめたい事でもあるのか。それよりも一体いつから居たのか。色々問い質したかったが、妹によって無理やりマリの正面に座らされたユウの呟きに遮られる。
「うーん、ちょっと惜しいな」
「な、なにが」
「これ」とん、と彼はマリのメモを引き寄せ、その一点を軽く叩く。「ここ、合ってるんだけど間違ってる」
「……は?」
ユウが示したのは「カランコエ」の部分だった。要領を得ない言い方に首を傾げるが、彼はそれ以上何も言ってくれない。自分で考えてみて、ということか。助けを求めようと妹の姿を探したが、空気を読んだのかいつの間にかいなくなっていた。
不服ではあるが、やるしかない。
合っているが、間違っている。彼のことだ、何かしらの意味があってそう言ったに違いない。スマートフォンを操作し、「カランコエ」で再び検索をかける。いくつかのページをタップして目を通してみるが、出てくるのは育て方に関するものばかりだ。
ギブアップして答えを聞いてやろうか。いや、最終的な答えはなんとなく予想できているのだが、そこに辿り着くまでに頭を使いすぎて疲れてしまいそうだ。
これで分からなければ投げ出そう。そう思いながら、目についたページをタップする。
どうやら様々な花についてまとめた事典のようなサイトらしい。カランコエについても詳しく書かれている。
「……あ」
もしかして。目にした名前をメモに書きだし、彼の顔を覗き見る。その頬は、いつも以上に綻んでいた。
どうやら、ようやく正解に辿り着けたようだ。納得した状態で出来上がった文を読み上げると、「俺が出した暗号、ちゃんと解けたみたいで安心した」と頭を撫でられる。
「こんな回りくどいやり方じゃなくて、もっと他になかったの」
「どうせなら記憶に残るやり方にしようと思ったから」
確かに、苦労した記憶と達成感はこの先もずっと残るだろう。もちろん、良い意味で。
テレビや漫画で見るようなロマンチックなものではなかったが、これはこれでアリかも知れない。「それで、返事は?」と彼に問いかけられ、マリは笑顔で「喜んで」とうなずいた。
手土産にイチゴを持ってきた、という彼と共に、姉は部屋を出て行ったようだ。彼女は姉の部屋に残したままだったヨーグルトの器を回収しがてら、丸机の上に放置されているメモ帳と金色の封筒、そして二枚の便箋に目を落とした。
「ほんと、回りくどいねえ」
合っているけど違う、と言われていたカランコエの部分を指でなぞる。そこには「別名・ベニベンケイ」と書き足されていた。
えつこんしよう、ではなく、けつこんしよう――正答は結婚しよう、だ。
素直に口に出して言うのは恥ずかしいとか、そういう理由でこの方法を取ったのだろうか。金色の封筒を手に取り、「でもこの封筒は無いわ」と呟く。
彼女は駄菓子の詰め合わせと引き換えに、ユウから「協力してくれ」と頼まれていた。マリが帰ってくる前に仕込んでおいてくれ、と封筒を預かったのも、二人が出かける数日前だ。もちろん、暗号の答えも初めから知っていた。だからマリの進捗も知らせていたし、困っているようならこういうヒントをやってくれ、という指示も受けていた。最終的に面倒くさくなって本人を引きずり出したのだが。
「ヒント無しで解くのは難しいよ、これ」
思わず苦笑してしまう。きっとアイデアを絞って作ったのだろうが、姉には少し難しすぎたかもしれない。
そうだ、と彼女はポケットにしまい込んでいたスマートフォンを取り出した。
ユウはイチゴの他に、パイナップルの缶詰も持ってきていた。そちらは先にヨーグルトに混ぜて美味しく頂いた。
「パイナップル、花言葉……と」続けて、イチゴの花言葉も検索する。タイミングを見計らったかのように、キッチンから「イチゴ洗ったけど、食べるー?」と姉の声が聞こえた。
間延びした返事をしつつ、彼女はメモ張の空いたスペースにそれぞれの花言葉を書き込んだ。
『パイナップル……完璧・完全。
イチゴ……幸福な家庭・尊重と愛情』
あの便箋のような文章にするとしたら「完璧で幸福な家庭」といったところだろう。そういう家庭を築きたい、築いていく、という彼なりの意思表明か。
姉はどんな顔をするだろう、と楽しみにしながら、彼女は部屋を後にした。
従兄弟Y兄ちゃんと、その奥さんのMちゃん。
ご結婚おめでとうございます。