コーヒーA、B
杏南に引っ張られる形で外へと連れ出された綾。その強引さに尊敬の念を持ちながら、一方でその突き抜けた明るさに引け目を感じてしまう。
「ねぇ。どこ行こうか? 何か好きな食べ物とかある?」
隣を歩く杏南はとても楽しそうだ。
沈んだ表情しかできない自分が隣にいて、杏南を太陽に例えるなら、自分は月……いや、遥か遠くで微かに光るちっぽけな星屑だろう。
それでも烏滸がましいと思う。
でも、それがどれだけちっぽけな存在であったとしても、自分はまだ光っている存在だと思いたいのだ。
「私は……何でも食べれる」
「嫌いな食べ物とかないの?」
「うん。全然。……子供の頃は色々あったんだけど、今はもう」
食べ物の好き嫌いは最近なくなったので、綾は事実を述べている。
「そうなんだー。綾って大人だねぇ。うーん、じゃあ、肉、肉食べよっか? 私はね、落ち込んでる時は肉食べると元気出るんだー。綾は? 綾もそうでしょ?」
「えっ? それは……考えたことないけど」
「うっそ? じゃあ絶対元気出るって。私ここら辺の肉料理は全部制覇してて、でもそうだなぁー。昼時だけど、あんまりがっつりしたの食べるとカロリーとか気にしちゃうよね。だったら、カツサンドとかの方がいいかなぁ」
綾が一喋ると杏南は十の内容で返してくる。
杏南はきっと察してくれているのかもしれない。励まそう、元気を出してもらおうと頑張っているのかもしれない。
それは素直に嬉しいのだけれど、悠斗がそうしてくれた時と同じように、素直に受け取ることのできない自分がいる。
「……でも、そう言えば私、お金持ってない」
「大丈夫。私が全部払うって。私が誘ったんだからここは私のおごり」
「でも……」
「もう、でもっていう言葉禁止。いいの。私に払わせて」
「……うん」
綾は断ることができなかった。勝手に口が動いたのだ。
それを覆す否定の言葉を言わない選択をしたのは自分の意思だけれど。
「そうそう、それでいいんだって」
満足げに言いながら、杏南は腕を組んで考える。
「じゃあ、そうだなぁ。何食べよっか……そうだっ! パフェとかどう? 私、結構好きなんだよね」
カツサンドのことはどうやら頭から消え去っているみたいだった。
「私はそれで、いいよ」
「あっ! パフェといえばね、結構前から入ってみたかったカフェがあってね。ちょうどこの角曲がったところなんだけど、雰囲気めっちゃおしゃれで一人で入りづらいんだよー。場違いな感じがしちゃってさー」
その答えがおかしくて、綾は小さく笑った。止めようと思ったけど、やっぱりおかしくて無理だった。
「えっ? 何? 私面白いこと言った? だったら教えて、鉄板のネタにするし」
その返しもおかしい。彼女らしいと思う。
「いだって入りづらいとかそんなこと、杏南さんが気にするなんて思わなかったから」
「もー、杏南さんじゃなくて杏南だって。禁止って言ったでしょ? それに、私だって人の目気にしたりするんだよ? 何てたって年頃のレディなんだから」
「気にするところおかしいって、絶対」
綾はまだクスクス笑いながら、右に曲がった杏南についていく。そこからさらに少し歩いた右手側に、本当に杏南が言った通りのおしゃれ――ではなく普通のカフェがあった。ごくごく平凡な外装で店内には四人掛けのテーブル席が一〇席ほど。カウンター席も五席ほどあるので、お一人様での来店も歓迎されているように見える。
「ここここー。いやーホントに綾がいてくれて助かったよ。悠斗って自分の店ばっかりに籠っててさー。多分言ってもついて来てくれなかったんだよね。二人だと、何か心強いよー。やっと食べられるよー」
興奮を隠しきれない杏南の口元から、今にもよだれが垂れてきそうだ。
「そんなに楽しみだったんだ。……でも、そんなにおしゃれって雰囲気? ……杏南があんなに言うくらいだからもっと凄いのを想像してたんだけど……」
「あっ? 今のもしかして私を笑わそうとしてくれた? 杏南があんなにってさ」
言われて気が付いた綾は、慌てて顔を真っ赤にしながら否定する。
「え、いや、今のはまぐれ。全然気づいてなかったから、偶然だから」
「あー、今のさっきの私と同じ言いわけー。さては綾……狙ったな?」
「だから狙ってないって!」
必死に否定する綾をよそに、杏南は腹を抱えて笑う。その笑い声で不快な感情が呼び起されないのは、杏南に裏表がないということが今までの会話の中で綾にも伝わっていたから。
「私、今の綾の感じ好きだなー。今みたいにフランクに話してくれたら……あ、ソーセージも食べたくなってきた。ここ置いてあるかなぁ」
杏南は店の入り口前に置かれていたメニュー冊子をパラパラとめくり始める。綾は「どれも美味しそうだよね」と呟く杏南を見て、嬉しさを噛み殺そうとした。
杏南に引き出されてしまった自分の素。それを見て喜んでくれた杏南。
自分は笑顔になってもいい人間なのだろうか?
「うげっ。トマトとチーズのブルスケッタだって。こんなのパンの上にトマトとかを乗せたやつ、って名前にしてくれれば頼みやすいのに。おしゃれすぎるよ」
それ以前に、口が勝手に反応する。同世代の女の子なんて、一体いつ振りだろう。
「杏南が言ってたおしゃれってそう言うことだったの?」
「えっ? それ以外に何があるの? キャラメルマキアートとか、キリマンジャロとか、そういうのも全部コーヒーでいいのにさ。おしゃれな名前にするから、名前言うのが気恥ずかしくなるんだよ。綾もそう思うでしょ?」
「いやぁ……私はそうは思わないけど」
「ええー! うそーん」
一般常識を覆されたみたいに、体全身を使って驚く杏南。いやいや、そんなにびっくりすること?
「ちょっとずつ種類が違うんだから、それを一括りにコーヒーって呼ぶのは」
「だったらほら? コーヒーAとか、コーヒーBとか、そんな感じにしたらいいんだよ」
「その言い方、何か美味しくなさそう」
和気藹々と他愛もない話をしながら、二人は店内へと入る。
砂浜を散りばめたかのようなキラキラ光る床の上を歩き、窓際の四人席に通される。
「この床って、かの有名なスワロフスキー?」
「多分、違うんじゃないかな?」
二人は向かい合わせで席に着いた。メニュー表を改めて眺めるときも会話は途切れない。
「ああ、どうしよう。注文しなきゃだよね」
体を上下にそわそわと動かし、落ち着かない様子で杏南は周囲を見渡す。
「そんなに意識しなくても、別に普通だって。そんなに恥ずかしいなら私が注文しようか?」
「いや……私だって綾みたいにおしゃれ人間になるって決めたんだから」
そんな話をしている間に、店員さんが注文を取りに来たのだが、杏南は結局メニューを指差すだけに終わってしまった。