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独りぼっちは嫌だから




 過去の話を終えた兄は、部屋に居づらくなったのか廊下に出て行ってしまった。

 綾は兄が座っていた椅子に座り、未だ目を覚まさない皐月さんのことをじっと見つめている。

 悠斗はもちろん、動かずその綾の背中を見つめる。

 綾は何を思ったのだろう。分からない。

 けれど縮こまった背中から漂うものに、同情もしなければ否定もしない。

 悠斗だってそれは同じだ。


 兄は自分のことをあまり話そうとしないから、事細かに過去を話してくれたこと自体初めてだ。

 弟なのに、兄のことを少しも知らなかったのだと思い知らされた。

 英雄として生きてきた兄は、自分の何倍も苦しんでいる。分かっていたつもりだったけど、当の本人の口からその事実を聞かされると、普段そんな気配を見せない兄だからこそ、その重みは痛いほどに伝わってくる。


「……私、最低だ」


 不意に綾が呟く。


「お前がそうなら、俺はもっとだよ」

「そうじゃない。私は、自分だけが辛いみたいに……世界で一番不幸な人間みたいに……」


 綾の丸まった背中が震え出す。太腿の上に乗っている手の甲に涙が落ちている。


「それが普通だよ。俺だって、どこかで俺より不幸なやつはいないって思ってた。……自分を肯定する方法がそれしかなかったんだ」


 愚かで、安直で、悲劇役者を演じていれば楽だから。

 悠斗は唇を噛んで、背後の壁を拳で弱弱しく殴る。


「神様が、人を恨むことをもっと難しくしてくれたらよかったのに」

「難しくても、恨んでる方が楽だからさ、人間はそうしようとするんだと思う。兄ちゃんは特殊だよ。自分より不幸な人間がすぐ側にいたことに気付かなかった俺が言うんだ。間違いない」

「……じゃあ私はどうなるの? 自分より不幸な人間が周りに、こんなにたくさん」


 慰める言葉が見つからなくて黙る。言葉を探せば探すほど、銃を突きつけられているみたいに、拷問されているみたいに、自分がその言葉で傷ついているのだと思い知らされる。


「生きる価値……一番ないのって、私だよ」

「そんなことないわ」


 その光景に不謹慎にも悠斗は目を奪われた。

 皐月さんがゆっくりとその手を動かし、綾の頬に優しく触れる。親指で綾の涙を拭った皐月さんは天使のように微笑み、見ていただけの悠斗も、皐月さんの手に心を触られたような心地だった。

 綾の拭われた涙の代わりに、悠斗の目から涙が流れていた。


「……皐月、さん? 目を……? 兄ちゃん! 皐月さんが」


 慌ててドアを開け、兄を呼ぶ。兄は扉のすぐ横の壁にひっそりと佇んでいた。


「本当か?」


 兄と目が合うと、伝染したのか兄の目からも涙が零れ始める。

 悠斗は部屋の中に体を戻し、兄のために道を譲った。


「皐月! 目を……覚まして」


 部屋の中に押し入り、皐月さんの元へ駆け寄る兄。綾の横で床に膝をつき、笑顔の皐月さんを見つめ涙を流す。


「ええ、大丈夫。ごめんなさい……心配かけて」

「何言ってんだよ? 生きてるなら、それでいいから」

「よくないです! よくないん……です」


 その声はよく響いた。雷がすぐ横で落ちたみたいに、空気が蠢いた気もする。


「どうして二人とも……私を責めないんですか?」


 綾は泣き止む様子もない。

 皐月さんが綾の頬から手を離すこともない。


「綾ちゃん。それは私にはできない。だって私はそういう人間だから」

「そんなこと知ってます! さっき聞きました」

「……そう」


 皐月さんは兄をちらりと見る。

 兄は小さく「ごめん。勝手に」と言ったんだと思う。

 それに対して皐月さんは「ううん、ありがとう」と言ったのだと思う。


「綾ちゃん。私……あの時は自分のことしか考えてなくて、何も分かってなかっ」

「そんなことどうでもいいんです!」


 綾は皐月さんの言葉を遮り、頬に触れている皐月さんの手に自身の手を重ねる。きっと今まで以上に涙を流しながら、その手の暖かさを実感しながら、勇気を振り絞っている。


「あなたがしたこととかどうでもいいから……だから…………私も、一人は嫌だから」


 綾は皐月さんの手を握り、頬から離す。両手で強く握りしめ、自身の胸に押し当てる。


「家族に……なってくれますか?」

「ええ。もちろん。喜んで」


 皐月さんの嬉しそうな顔と、目尻から零れた涙が美しかった。


「ありがとうございます」


 綾は皐月さんの手を大切に握りしめる。泣き続ける。

 兄は二人の様子を見て、微笑んだ。





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