失敗恐怖症
望の遺体は浦添榊という男が「私なら能力者開発を可能にすることができます」と言い張って預かり、調べることになった。
「これ、データです」
冬獅郎は上から言われた通り――すでに改ざん済みの――データを浦添に渡そうとしたのだが、
「失敗したデータなどいるか」
と一蹴され受け取ってすらもらえなかった。
まあ、冬獅郎も浦添榊の頭脳をそこそこ認めていて、もしかすると虚偽の報告がばれるかもしれないという不安があったので、浦添の無駄な天才プライドに感謝した。
「浦添さん。どうですか? 研究の方は」
「お前に教える必要などない!」
それとなく進展を聞いてみたが、心配するようなことは何もなかった。その後すぐに、研究所から改ざん済みのデータが盗まれるという事件があったのだが、それも杞憂に終わったようだ。
浦添の研究も失敗に終わり、その頃、ようやく冬獅郎は望の家族と会う覚悟を決めていた。
あの失態から一ヶ月。あまりにも遅すぎる。けれど、どれだけたったとしても自分の口で言わなければいけない。
望の家族は、望が能力者になろうとしていたことを知らないから。父親に続いて息子までもが死に、遺体すら帰って来ない。理由もはっきりしない。
伝えなければいけないと思った。真実を言わなければいけないと思った。
望とは鉄と同じく小さい頃からの付き合いだったが、家族とはあまり顔を合わせたことがない。ほぼ初対面と言っていい。
望の母親にどうやって謝ればいいのだろう。
やはりどこかで望の死に対して言いわけをしたい自分がいるのだ。向かい合うこともせず逃げてきた自分の癖みたいなものが邪魔をするのだ。
天才だからできないわけがない、できないと言えない。能力者だから、国のためだから仕方がない。
自分が頑張らなければ、多くの人が死ぬ。
本当に、建前ばかり。
正直に言えば国がどうなろうと関係なかった。誰が死のうと関係なかった。
全ては吾妻冬獅郎という人間のイメージやプライドを守るため。
能力者としての自分、天才として産まれてきた自分の存在意義を守るため。
吾妻冬獅郎は、あらゆることにおいて失敗してはいけない存在のはずだった。
自分自身が何より大事だったのだ。
友達なんてできるはずがなかったのだ。
冬獅郎は今、桐ケ谷望の住んでいた家の前に立っている。
こういう場合どう対応するのが正解なのか、全く浮かんでこない。
天才のくせに。それを守って失敗したくせに。
歯痒さを感じながら、吾妻冬獅郎はゆっくりと二回、扉をノックする。
突風が吹いて砂埃が冬獅郎の身体を襲い、口の中に入り込んだ砂が冬獅郎を不快な気持ちにさせた。
「はい、どちら様で?」
覇気のない声が聞こえ、動物の掠れた声のような音をたてて扉が開く。憔悴しきった顔の女性が表れた。
白髪交じりで頬にいくつか染みがあって、無理して笑顔を作っているのは明白だった。
「吾妻冬獅郎です」
言い終わった瞬間に奥歯を噛みしめると、唇の隙間から入り込んだ砂を噛んでしまったのか、苦みを感じた。連動するように涙が出てきた。
「あら、冬獅郎君。久しぶり。さぁ、上がって」
気丈に振る舞ってくれるその態度が、苦しいんです。
冬獅郎は頭を下げ、必死に謝っていた。
「ごめんなさい。俺が、俺が……あなたの大事な息子さんを殺してしまいました。俺が、俺が失敗したばっかりに」
言い終わっても顔を上げられなかった。
望の母親はどんな顔で自分のことを見ているのだろう。
恨みを体現したような表情で睨んでいてくれたら、どんなに良かっただろう。
「そんな。謝らないで。私の方こそごめんなさいね」
望の母親は冬獅郎の右肩に優しく手を重ねた。
「きっと望が無理言ったんでしょ? だって、冬獅郎君が言い出すはずないものね」
何で、そうやって思うんですか?
それもこれも、全部自分が必死で作り上げてきた外面が間違っていなかったことの証明だというのに。善人の面をかぶってきた結果だというのに。
「いえ、違うんです。俺が、俺が」
「望ね。父親が死んでからちょっとおかしくて。望の目が怖くて」
「俺も、それは知ってました。その目を見てるのが、俺は辛かったんです」
「そう。それで、あなたも断れなかったのね」
「違うんです。俺は、利用しただけ」
「望、言ってたの。あなたに能力者にしてもらうって、強くなってくるって。……笑ってたわ。あなたを、どれだけ苦しめてるか考えもせずに」
望の母親は優しくて、望には嘘をつかれていた。
「えっ? 知ってたんですか?」
「……何を?」
「望が、能力者になるって」
「ええ」
「そう、だったんですか」
冬獅郎はゆっくりと呟く。
嘘をつかれた理由は、簡単に推測できた。
きっと望は、復讐したいなどという理由をはっきりと述べれば、友達思いな吾妻冬獅郎という人間が反対すると思ったのだろう。
そんなはずないのに。
親友をだませるほどに吾妻冬獅郎のイメージが浸透していたとは、いや親友ではなくなっていたからだませたのか。
冬獅郎は気が付けば、狂ったように叫び出していた。頭を抱えて、風の音も、舞い上がった砂埃も、冬獅郎を避けている。地面に反射した自分の慟哭が無数に体を貫通していく。
「そうじゃないんです。俺が提案したんです。だって、俺は望の父親が死んだ本当の理由を知っていたから。それを……機密事項だからって教えなかったから」
前髪が目に入って痛いのかもしれない。よだれを飲み込むこともできなくて、開いた口の舌先から地面に落ちる。
汚い。本当は、こんな姿が似合っている。
「そうだったの。でも、言えなかったのは、望のことを巻き込みたくなかったからでしょ? 親友だったからでしょ?」
「違います! 俺はあなたが思うほど、みんなが思っているほど天才じゃない。いい人間じゃないから………」
「そんなに自分を責めないで」
俺がその責任を放棄したならば、世界の理は全て崩壊するだろう。
「でも失敗したのは俺なんです。俺は天才で、失敗なんかしてはいけない存在なのに……失敗した」
それも勝手に思っていただけ。イメージを守りたいとう執着心が生み出した、失敗恐怖症とでもいうべき精神病が、自分はできると思わせていたに過ぎないのだ。
「それに俺、最後に望から、ごめんって言われてしまったんです。謝るのは、俺の方だったのに……」
「人は誰だって失敗するものよ。失敗しない人間なんていない。だから、もうそうやって自分を責めないで。……だって、あなたがそうだったら私は――」
望の母親の言葉は流れるように続いているのに、冬獅郎はそこで言葉が一度詰まったように思えてならなかった。
「あなたがそんなこと言うたびに、私は便乗してあなたを責めたくなる。この手で殺したくなるから」
人の声は一瞬でここまで変わるのか。黒く染まるのか。
嘘みたいだ。
冬獅郎は戦慄するほどの恐怖を感じた。背筋は震え上がり、体が硬直する。
「だから……もう私の前に表れないでくれるかしら」
今度はまた少し、声音は柔らかくなった。
顔を上げると、望の母親は苦しそうに笑っていた。
「いいですよ。俺のことなんか……責めても」
冬獅郎は目を伏せてしまう。
「それは無理よ」
「どうしてですか⁉ もっと責めてください。恨んでください。好きにしてくださいよ俺のことなんか」
冬獅郎の涙が更に多くなっていく。
風も吹かなくなって、涙はまっすぐ地面に落ち、砂を黒く湿らせる。
「首を絞めてもいい、ナイフで刺してくれたっていい。だから……もっと憎んでください。息子の命を奪ったこの俺に、笑顔なんて見せないでください」
「でも、望はあなたに謝ったんでしょ?」
「それは、望が俺のせいじゃないって、優しいからで」
「違うわ。きっとそれって、あの子自身が気付いたってことなのよ。復讐するためにあなたを利用したってことに、あなたの親友に戻りたかったってことに」
「俺だって戻りたかった! いつからかそうじゃなくなって、どこかで普通に生きてることが羨ましくて、妬んで……だから、父親が死んだ、その弱みに付け入った。俺が親友を辞めた。戻りたかったのは……俺の方です」
いつの間にか発生した雲が太陽を覆い隠して、少しだけ体感温度は涼しくなった。
望の母親は、また笑うのだ。
「そう。だったら大丈夫。あなたと望はずっと親友だったのよ。だから、あなたは悪くない。……だから、もう私の前に表れないでね。私が望に恨まれちゃうから」
そう言って、望の母親は望の体を軽く突き飛ばした。弱くて、こけるはずなんかなかったのに、冬獅郎は尻餅をついていた。望の母親を見上げていた。
「だから、母親なのに、息子を止めてあげられなかった。息子と同じ気持ちだった」
望の母親は扉を閉めた。
本当に、自分は救いようのない人間だ。人間は救いようがないのだ。
空を見上げると、雲の切れ間から覗く太陽が眩しすぎて、上を向いているのに涙が止まらない。陽の光に照らされた涙が余計に輝いていると思うと、太陽さえも許せなくなる。
「ごめんなさい。失礼します」
冬獅郎は下を向いて、言われた通りその場から立ち去った。
零れてくる涙を拭うことはしないし、もう望の家族に会うことはない。
頭の中に浮かんでくる思い返したくない記憶は、思い返さなければいけない記憶だと思う。
無邪気にはしゃぎまわることができた幼いころの記憶も、能力者にならないかと望を誘った夜のことも、手術をする前や、望を殺した感触も。
「お母さん何で? あの人なんでしょ? お兄ちゃんを……殺したの。何で、何もしないで追い返しちゃうの?」
閉められた扉の内側で蹲り、涙する望の母親に声をかける女の子がいた。
部屋の中から先程のやり取りを盗み聞きしていた娘が近づいて母親に声をかけたのだ。
「皐月までそんなこと言わないで。そんな怖い顔しないで。これに関しては誰も悪くないの。誰も……悪くないの」
「どうして! あの人にお兄ちゃんは殺されたんだよ⁉ お父さんが殺されたことも知ってたって……だったら私は、あいつが憎いよ。生きてるのが許せないよ。殺したいほど憎いよ」
母親の両肩を掴んだ娘は怒り狂った表情でむせび泣く。
「ダメよ。皐月まで……そんな顔しないで」
母親は娘を抱きしめ、優しく諭す。
「仕方ないことなの。お父さんも、望のことも。本当は、お母さんだってそう」
「だったら」
「だからこそ、あなたまでいなくならないで。バカなこと考えて、私の前から消えないで。お願いだから……ね? お願いだから」
娘は何も言わず、母親の強すぎる抱擁を黙って受け入れた。
腕が痛い。締め付けられている体が悲鳴を上げている。
それくらいなら、どれだけ続いたって我慢しよう。
桐ケ谷皐月は唇を噛んで必死で耐え、母親が泣き止むのを待ち続けていた。




