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「ああ、えっと」


 冬獅郎は慌てて平常心を装う。望は顔だけを横に向けて冬獅郎のことを見つめている。

 まだ麻酔が筋肉には効いているのか、体は上手く動かせないようだった。


「大丈夫、成功した。後五分もしたら体も通常通り動かせるようになると思う」


 望の横たわるベッドの側まで歩き、冬獅郎は近くの丸椅子に腰かけた。


「そっか。ありがとな」

「別に。でもまだこれが残ってるから。能力の増幅剤」


 何故か背後に隠し持つような形になってしまっていた注射器を、望にも見えるように体の前に持ってくる。


「そうだったな。……で、どうやったら能力って使えるんだ?」

「どうやったらって、望はもう能力者だから、使えるよ」

「そうじゃなくて感覚的な話。どんな感じで発生させるんだってこと」

「ああ、そういう……。それなら発生させたい場所を目視して……強く思う、かな? これに関しては俺も上手く説明できないけど、俺はそんな感じ。手を伸ばして、能力を発動させたい場所を意識付けしてもいいかも」

「そっか、じゃあ」


 望の目が氷のように輝く。

 まっすぐ天井を見つめ、右手を上に突き出す。

 ――いつのまにか天井に、一辺が三センチメートルほどの氷の立方体がくっついていた。


「本当だ。凄いな。……でも、もっとでかいやつ想像したんだけど」


 ほんのりと笑みを浮かべながら、望は天井に伸ばした手を握りしめる。

 氷が砕けて小さな粒になって、パラパラと頭上から降ってきた。


「だから増幅剤がいるんだ。現段階ではその程度だけど、これを使えばもっとでかいのが出せる。もちろん正確さとかは訓練して鍛えなきゃ身につかないけど」

「そっか。これで俺、強くなれるんだな。これで、やっと……」


 悪霊に取り付かれたような薄ら笑いを見せた望は、握りしめた拳を胸に強く押し当てている。

 その後小さく呟かれた言葉を、冬獅郎は聞き取ることができなかった。


「何か言ったか望?」

「えっ? あ、ああ、まあ……これで俺もみんなを守れるくらいに強くなれたんだなってさ。そう思うと体が疼いて、嬉しくてたまらないんだ」


 望はいつも通りに戻っていた。

 その落差が腑に落ちなくて、冬獅郎は立ち上がり背を向けた。


「ああ。これで望も、みんなを守れるよ」


 望が守れるみんなには限りがあることを冬獅郎は言わない。じきに分かるようになるだろうし、容赦なく襲ってくるその事実を受け入れなければいけないだろうし。


 望はその覚悟をしたうえで能力者になったのだと思いたい。望が言うみんなは現段階でも人類全体ではないはずだし、だったら望が言うみんなは能力者になれば守ることができる。

 望自身がそれで幸せかどうかは別にして。


「なぁ? それまだ打っちゃダメなのか? もっと凄いの、早く使ってみたいんだ」

「そんなに焦るなって。もうちょっと、じっとしてろ」


 期待と高揚感で待ちきれないと言った望の声が、神経細胞に突き刺さる。


 もっと前向きに考えよう。

 これで望も能力者なのだから、能力者にしか分からない悩みを相談することができる。戦争になった時に殺す人数が単純計算で二分の一になる。

 いや、これはあくまで実験なのだから今後もっともっと能力者が増え、能力者であることが普通になる時代が来るかもしれない。

 だったら、別に気に病む必要なんかない。

 人々のために当然のことを行ったまでだ。


「そう言えば、このこと、家族には伝えてあるのか?」


 ふと気になって、背中を向けたまま冬獅郎は望に尋ねた。


「いや。びっくりさせようと思って言ってないけど……何かまずかった?」

「別にそういうことじゃないけど」

「何だよ? 何か含みのある言い方だな」


 追及されてしまい、上手な言いわけが思い浮かばない。

 それに何も知らない人からすれば、自分の身内に能力者がいるという事実は誇らしいことかもしれない。

 冬獅郎の両親は、能力を使ってやっていることを知らされているから、弟だけはと思ったのだろう。


「いや……。ただ、本当にびっくりするだろうなって。いきなり能力者になったわけだから、親とか……本当に」

「そうだな。俺の母さん。びっくりして腰抜かすかもしれない。言っといた方がよかったかもなぁ」

「まあでも、能力者になればきっとすぐ王宮で働けるようになるから、その……父さんがいなくなった分のお金も稼げるから……孝行息子になったって望の母さん、涙流すんじゃない?」


 冬獅郎は振り向いて望に笑顔を見せた。

 言葉に込めた感情と同じ表情を作って、言葉の意味に正当性を持たせた。

 自分が言った通りの意味で、望の母親が涙を流してくれることを切に願います。


「そうだな。俺……父さんの誇れる息子になれてるよな?」

「ああ。十分すぎるくらい、なれてるよ」

「へへっ。そういうこと冬獅郎に言われると何か嬉しいな」


 言いながら望は上半身を起こす。

 どうやら麻酔薬の効力も完全に消えたらしい。


「もう動かしても平気なのか? 痛いとか、いつもと違う感じとか、変わったところとかないか?」


 念のために確認しておく。


「そうだなぁ」


 望はベッドの上で肘や膝を曲げ伸ばしてみたり、首を回してみたり。


「全然問題ないな。むしろ寝てたから快適って感じかな」

「そっか。なら、右手出してくれ」

「りょーかい」


 望は素直に右手を差し出す。健康的な肌色で、血管がいくつか浮き出ている。

 緊張でもしているのだろうか、冬獅郎が触れると筋肉に力が入る。


「まあ、別に普通の注射と変わらないから、もっと力抜いて」


 注射器の針の部分からカバーを取り外し、差し出された腕の肘の内側に注射針を近づける。


「ああ、ちょっと待ってくれ。今思い出したんだけど俺……」


 そう言った望の腕の筋肉は更に硬直した。


「何だよ? やっぱりどこか痛いところ」

「そうじゃなくて、ただ、やっぱりそれも普通の注射みたいにチクってするんだよな?」

「まあ、そりゃそうだよ。注射なんだから」

「そうだよな。いや、悪い。続けてくれ」

「えっ? 望って注射苦手だったの?」

「……ああ、そのまあ、子供の時からこれだけはどうも、な」

「注射の痛みぐらい耐えようぜ。だって――」


 この先そんなことの比にならないくらい自分の心は傷ついて行くぞ、とは言えなかったから、


「まあ、一瞬だから。すぐ終わる」


 注射なんて刺さる瞬間が痛いだけ。能力者なんてずっと痛いだけだから、そのうち慣れる。

 注射の方が怖いってことか。


「ああ。そっとな。優しくな」

「優しくしても刺さる瞬間は痛いから、我慢しろって」


 冬獅郎は注射針を近づけ、皮膚に触れたと同時に一気に刺す。

 望は明後日の方向を向き、刺さった瞬間に少しだけ顔を歪めた。


「本当に注射苦手なのな。望って」

「これ秘密だからな? 絶対、この歳になって、格好悪いから」

「了解。あー、早く鉄にこのこと言いたい」

「ばっか! 鉄には絶対言うなよ?」

「分かってるって。ほら、終わり」


 全て投与し終わり注射針を抜く。消毒液を湿らせたコットンで軽くふいておしまい。抜く瞬間にも望の顔は微かに痛みを訴えたが、すぐに真顔に戻って、


「なんか、意外とすぐ終わるもんなんだな」

「注射何て、そんなもんだって。一瞬だけ」

「その一瞬だけで、本当に冬獅郎みたいに強くなれてるのか? あまりに早すぎて急に不安になってきた。俺だけこんな簡単に強くなっていいんだよな?」

「何言ってるんだよ? いいに決まってるじゃないか」


 強くなるのと引き換えに色んなものを失うのだから、いいに決まっている。


「そうだよな。ああ、何かぞわぞわしてきた気がする。力が漲っているような気がする」

「じゃあ使ってみるか? さっきのと比べ物にならないくらいの氷ができるはずだから、まずは天井一面氷漬けにしてみろよ」

「おお、そうだな」


 望は意気揚々と天井に向かって手を伸ばす。

 ――すると、天井は一瞬にして氷で覆われた。


「おおぉ……すげぇ」


 感嘆の声を上げる望。瞬きも忘れて天井を一身に見つめ、


「これ本当に俺がやったのか。お前が陰で能力使ってやったなんてことはないよな?」

「まさか。俺は能力なんか使ってないよ」


 天井から立ち込める冷気が冬獅郎たちの元まで届き、少しだけ肌寒くなっていた。


「そっか。……俺、やっぱり強くなったんだな」

「ああ。でも、俺もここまでとは思わなかったから、結構びっくりしてる」


 少しだけ、予想の上方向に結果が結びついたことが、冬獅郎の頭の中で違和感としてくすぶっていた。嫌な予感がした。天才が一番信じている、第六感というやつだが、対象が望だったから信じないことにした。勘は勘でしかないんだ。


「ま、俺から言わせればまだまだだけど。氷の厚さにもムラがあるし……その辺は練習していけば大丈夫だと思うけど――」


 天井に発生した氷の膜を見上げ、能力者として未熟な部分を指摘していた冬獅郎だったが、その声は横から聞こえた苦痛に蝕まれた悲鳴によって行き場を失った。


「あぁぐっ……冬獅……郎、体、が……あがぁあああ」


 得体のしれない獣の唸り声かと思った。信じられなくて、天井から落下してくる冷気よりもはるかに冷たい何かが、冬獅郎の横で無惨に発生したような感じだった。


「のぞ……む? どうした、ん、だ?」


 震える体は天井が氷ってしまったせい。

 そう思い込んだままゆっくりと望を一瞥するつもりで、冬獅郎は無言になった。首が固定された。

 望の体を氷が覆い尽くしていく。苦しみの表情を浮かべた望は擦れた悲鳴を上げ続ける。

 見るからに能力が暴走していた。


「冬獅郎……勝手、に……氷…………がぁくっぉぉ」

「望? どうした望?」


 慌てて望の体に触れようとする。冬獅郎の手を拒絶するように、望の体を覆う氷から先の尖った氷が伸びていき、冬獅郎に襲い掛かってくる。

 本能的に危険を察知した冬獅郎は、望と距離を取るため後方に大きく退避し、何とか事なきを得た。背中は壁に接していた。


「冬獅郎、氷が……勝手に――」


 望のはっきりとした声はそこで途切れた。

 体から氷柱のような氷の棘が何本も飛び出し、背中には翼のようなものまである。

 冬獅郎の覚醒状態時と姿だけは同じだ。


「……ぁぁぁああああ」


 口すらも満足に動かせていない。聞こえるのは声にならないうめき声だけ。


「望! しっかりしろ!」


 必死で声をかけるも望は返事をしない。

 冬獅郎の目と、血走った望の目が合った瞬間、望は確かな殺気を持って冬獅郎に飛びかかってきた。


「望ッ――辞め……」


 条件反射的に、対象が殺意を持って襲ってきたから、能力を発動させてしまった。

 自身に飛びかかってこようとした望に対して、正当防衛するかのごとく発生させたドリルのような氷。

 それが向かってくる氷の獣と化した望とぶつかる。突き刺さる。

 ちょうど右の胸辺りに。


「のぞ……む?」


 氷は望の体にめり込み、勢いそのまま深く深く体を貫通した。

 望の指先に発生していた氷でできたかぎ爪は、体が勝手に回避してくれたおかげで背後の壁に突き刺さっている。

 きっとこれは訓練のたまものだ。もともと能力者であった人間と、ついさっき能力者になった人間では格が違うのだ。

 事実、冬獅郎は無傷でその場から生還した。

 望の体から吹き出した血は冬獅郎の体にも飛び散り、後ろの壁はアゲハチョウやオオゴマダラが何匹も飛んでいるみたい。


「あ……あぁ」


 水中に潜り続けているかのように息が苦しい。冬獅郎の体から力が抜けていく。

 望の体を覆っていた氷は崩れていき、望の口から血が流れているのが見えてしまう。望の力なく閉じられた瞼も、垂れた腕も全部現実なのだ。


「望? ……大丈夫か?」


 犯罪者に対して能力を使用したことは何度もあって、殺したことも何度もあって。

 桐ケ谷望に対して能力を使ってしまったのは初めてで。


「冬、獅郎……。ごめん……な」


 望は瞼を半分だけ開いた。そして謝られた。

 それ以降、望は何も言葉を発さなかった。

 冬獅郎が能力によって発生させた氷が消えると同時に、支えを失った望は床の上に落下する。うつ伏せでピクリともしない。体に大きな穴が開いている。


 誰がその穴を開けたのか、誰が望を殺したのか。


 それが分かった瞬間、吾妻冬獅郎はただの物質となった望の体を見つめることしかできなくて、触れることなどできなくて。

 事の重大さにようやく気が付いた時、冬獅郎は望の体を置き去りに走った。

 自分は失敗したのだ。

 初めて失敗し、その失敗は取り返しのつかないものになった。

 家の前にたどり着くと、悠斗の叫び声が聞こえてきた。


「悠斗? 何があ……ったん…………」


 急いでリビングに向かった兄の口から出てきたのがその一言。

 何があったのか分かっているのに、『何があったんだ?』と言おうとした。誤魔化そうとした。

 変わり果てた両親の姿も、血生臭い光景も、部屋の隅で震える弟もこの目で確認したのに。

 弟の足元には氷が広がっている。冬獅郎はどういうことかすべて理解した。

 天才のこの俺が失敗するはずなどないという思い込みが、招いた結果だ。


「ごめんな。絶対、守ってやるから」


 震える悠斗の体を抱きしめながら、吾妻冬獅郎はこの時決意したのだ。

 責任も贖罪も背負って生きると。

 上には処罰覚悟で失敗したと嘘をついた。能力は暴走し消えてしまう。能力を他人に移植することは不可能だと。


 その結果「そうか、なら仕方ないな」と言われただけだった。

 開戦はそのために先送りになった。


 どうして自分は今まで頑張ってきたのだろうか。





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