父親と息子
五日後。二人分の薬を作り終わり、自身の体からDNAの採取、培養も終え、後は手術をするだけ。理論上は完璧。これが上手くいけば能力者だけの軍隊を作ることができる。戦争が始まっても、すぐに終わらせることができる。しかも勝利で。
合理性を考えて、冬獅郎はこの実験を正当化することにしたのだ。
この国の人間だから、この国の人間が死ぬのを防ぐ。この国の人間を使って。
当然の使命であり、理に適っている。
「やるか」
白衣をまとった冬獅郎の眼下には、悠斗を乗せるためのベッドがある。
そして、悠斗は寝ている間に両親――父親の背中に乗ってやってきた。
「連れてきたぞ」
父親は見れば分かる当たり前の報告を、さも重要な情報かのように言い切る。
「ああ、そこに寝かせといて」
冬獅郎の指示通り、父親は悠斗をベッドの上に寝かせた。悠斗は起きる気配もなく、すやすやと夢の中にいる。
その光景を冷静に注視し、夜中なので弟が寝てしまうのも無理ないと思っていた冬獅郎だったが、
「悠斗には、手術のことまだ言ってないから」
息子に対して言うには冷たすぎる父親の声音が、冬獅郎を動揺させようとしてくる。
弟の了解をとっていないという事実を突きつけ、兄としての良心に直接語りかけたのかもしれない。
「それでも今更、変更なんてできないから」
冬獅郎は取り乱すことなく、平然と弟に麻酔をかけた。
「ああ。分かってるよ。……でも、冬獅郎」
「何だよ父さん?」
何か言いたげな雰囲気を醸し出しているのに、父は何も言わない。口を開いて、何度も声にならない声を言い直そうとする。
「そう言えば、母さんは?」
耐えられなくて、冬獅郎は話題を変えた。父親の口の動きは通り雨が止むみたいにぱっと止まって、俯いて、
「……母さんなら、外で待ってるってさ」
「一緒に来てたんだ」
「ああ。ついて行くって聞かなくてな」
だったら部屋まで来いよ、とは言わなかった。
親子なのに、父と息子なのに、会話のキャッチボールがとてもぎこちなくて。
冬獅郎は父親に背を向けて、薬品を保存している棚の前まで歩き、必需品を調べるふりを繰り返した。
止まった会話を続ける手段が、天才の頭に浮かんでこないのだ。それでも父親は一向に去ろうとしないのだ。
「そろそろ始めるから。この部屋も閉め切るし、もうちょっと準備もあるから、廊下で待ってて」
結局、冬獅郎から切り出した。
「分かった」
背中越しに足音が聞こえたので、父親がようやく部屋を後にしているのだと思った。
「冬獅郎」
その足音がぴたっと止まって、声が聞こえて、
「白衣、似合ってるぞ。ま、もう冬獅郎もそれくらい大きくなったってことだよな」
言い残された言葉は、父親としての言葉だった。
つまりここで確かなことは、父親が兄の行為を止めなかったということだ。
「うん。ありがとう」
冬獅郎が両手に試験管を持ち、振り返ることはない。
「ああ。じゃあ……成功させてくれよ」
父親はやっと部屋を出て行った。おそらく少し離れた廊下で涙している母親の元へ向かったのだろう。
冬獅郎はベッドの上で気持ちよさそうに寝ている弟の顔をしばらく見つめ、
「当たり前だ」
弟を手術室へ運んだ。可動式のベッドと共に廊下に出た時には、両親の姿は見えなかった。心なしか母親のすすり泣く音が奥の廊下から聞こえてきたような気がして、冬獅郎は手術室の手前で立ち止まってしまう。
けれどこれは、理に適っている。
もう一度、そう思い直した。
吐き気もすべて飲み込み、手術室に入った。
望に関しては悠斗が来る前に運んでいる。望は自分の意思でやってきて、自分の意思で冬獅郎にすべてを託した。能力者にさせると言った冬獅郎を信じたのだ。
もう後戻りなんてしない。できない。後悔なんてない。
眠っている二人を見下ろし、口を真一文字に結び、出てきそうな言葉を必死で抑え込む。
必要な器具を取り付け、体をメスで開いて……無表情で淡々と作業を進める。
戦争に勝つために、強くするために。
冬獅郎にとっては、赤子の手をひねるくらいの手術だったので、一時間とかからず無事に成功した。
終わった後のため息がマスクの中で蒸れて、たった今まで手術をしていたという現実を知らせてくれる。
冬獅郎はそのまま二人が自然と目覚めるのを待とうとしたが、悠斗だけは眠っている状態で父親に引き渡すことにした。
「成功したのか?」
弟が寝ている可動式ベッドを押しながら手術室から出てきた兄に、父親だけが近寄ってくる。
「もちろん。とりあえず目覚めたら、これを投与して欲しい」
冬獅郎は父親に透明な液体の入った注射針を手渡す。
「これは?」
「能力の増幅剤だ」
「何故そんなものが必要になる? 普通は能力を上達させるのは努力するしかないんじゃないのか? 冬獅郎みたいに」
まだ息子のことを名前で呼んでくれる。
父親はいつまでたっても父親なのかもしれない。息子はいつまでたっても父親に叶わない、なりたいのかもしれない。
「もちろん訓練することで能力は向上するけど、それは元々能力者である俺に限った話なんだ。移植者が能力を強くすることはできない。これはマウスで検証済みだから」
「なるほどな。だから薬で無理やり強く……」
「無理じゃなくて、そうするしかないってこと。むしろ努力なしで強大な力を得ることができる。もちろん悠斗はまだ小さいから、能力の覚醒度は抑えて作ってあるし」
「そうか。ありがとう」
父親はそれだけ言うと、悠斗を背負う。弟の寝息はそれまでと全く変わらない。広場で走り回って遊ぶ夢でも見ているのだろうか。
「じゃあ、明日には冬獅郎も帰って来られるか?」
「そこまでかからないよ。望が目を覚まして、能力が本当に使えるかとかの確認が済んだら帰れるから、今日の明け方くらいだと思う。悠斗の能力についても確認しないといけないし」
冬獅郎は父に背を向ける。ふわりと少しだけ膨らんだ白衣の裾が申しわけなさそうにまだ揺れている。
母親は顔すら見せてくれなかった。
本当に子供思いの母親だ。
「わかった。じゃあ明日は家族一緒に、飯でも食べに行くか」
「……できたら」
そう言い残し、悠斗が寝ていたベッドを押しながら冬獅郎は手術室へと戻る。
背後から聞こえる足音で、父親は帰っていったのだと悟った。
無音の手術室の中で耳を澄まし、父親の乾いた足音が聞こえなくなって、もう少しだけ待って、冬獅郎は望を待機室へと連れていく。
望の寝顔は能面のように見えた。麻酔を投与する前に「じゃあ、頼む」と言ってくれた時の力強い顔はどこかへ消え去っている。
冬獅郎はベッドを所定の位置に戻すと、寝ている望に背を向け、白衣を脱いで腕にかける。窓際へと歩み寄る。
夜空を見上げて星空を確認し、いつかの夜と同じように一人ぼっちという事実を強く意識しようと思った。
麻酔が切れるまで、あと一時間弱。
多分ずっと夜空を眺め続けていられるだろう。
だから冬獅郎は、腕にかけていた白衣をくしゃくしゃに丸めて、薬品棚の横の壁に投げつけた。
大きな音もせず、壁にへばり付くわけでもなく、白衣は落下し床の上に落ちる。
荒くなっていた呼吸は、しばらく収まらなかった。
「やべ……」
冬獅郎は慌てて白衣に近づき、ポケットの中を確認する。望に投与する用の増幅剤が入っているのだ。悠斗に用意したのより少し強め。年齢を考えて調整したそれは、幸いにも無事だった。
またため息を吐いてしまうわけだ。
「何やってんだよ。俺は……」
呟いた流れで注射器を床に叩き付けようとしたら、
「……冬獅、郎。どう、だった?」
望の声が、聞こえてしまった。




