子供ぐらいだよ
それから一週間後。冬獅郎は淡い光を放つ月明かりを背に家へと帰っていた。
何故自分は断れなかったのか。二か月前に始まったプロジェクトの被験者名を今日初めて知らされて、動揺したはずだったのに、吾妻冬獅郎は反発しなかった。有り余るほどの金銭を提示されたとか、人質をとられていたとか、そういう理由もなかったのに。
被験者名が隠されていた秘密が理解できたから、受け入れてしまったのかもしれない。
「悠斗か」
選択肢としては妥当な判断だ。能力者の弟なのだから。
これまで弟は、天才の弟ではあったが、普通の弟として生きていた。
普通であることに憧れていた自分は、きっとどこかでそれを体現している弟を恨んでいたのだろう。
昨夜、両親にその事実を打ち明けた時は、決定事項だからと拒否権すら与えさせなかった。肩を落とした両親に反論も許さなかった。
「後は、誰に……」
そして、もう一人は好きに選んでいいと言われている。才能がありそうなやつを実験台にしろと、冬獅郎自身に委ねられている。
真っ先に浮かんだのは鉄だった。体格もいいし、純粋に強い。
――気が引けたので辞めた。その選択をしてはいけないと思った。
「能力者になりたいやつを募る、は無理だよな。極秘なんだし」
八方塞がりだ。誰を能力者にすればいいのか。自分と同じ立場にさせていいのか。
そんな人間いるはずなどないと、冬獅郎には分かっているから。
ふと立ち止まって夜空を見上げると、星たちのさんざめく輝きが目に痛い。
自分を一番輝く星だとしたら、何となく今の立場が説明できる。地球から見た星と星の距離はわずかだが、実際は遠く離れている。
表面上だけを取り繕って生きてきた自分は、他人とどこかで距離を取って、決して本心を晒してこなかった。
自分自身がどれだけ最低なやつなのかくらい知っているから。
全てを曝け出して人と付き合えなんて、それができる人間はよっぽど心が綺麗な人間なのだろう。
子供ぐらいだよ、そんなの。
足元の薄汚れた靴を見て、ため息しか出なかった。
この前のように後ろから肩を組まれた。
「よう! 冬獅郎。こんな時間にどこほっつき歩いてんだ?」
「なんだ。望か」
「何だとは何だ? それより……まさかこれか? その帰りか?」
小指を立てながら笑っている望の目は充血して、頬には涙の跡があった。
心当たりのある冬獅郎は気が付かないふりをした。
「王宮からの帰りだよ。ずっと研究室にこもりっぱなしで」
「これとあんなことやこんなことをするためにか?」
「だから違うって。今まで仕事に没頭してただけ。俺ってほら、超まじめ人間だからさ」
「だからどこがだよ⁉」
もはや鉄板のネタ。
しかし、それを頻繁に使うのは分かりやすいボケだからではない。
そのツッコミを聞いて安心するためだ。
吾妻冬獅郎という人間が天才であってもとっつきやすい、冗談を言う、明るい人間だと思われている。みんなにそう思わせている。
本当の自分の性格が外部に漏れていないことを確認するための、自己満足なやり取りなのだ。
「まあとにかく、色々と覚えることやら処理しなきゃいけないこととかあって、ここ最近はずっと、ほぼ徹夜みたいな」
「そっか、そりゃあ大変だなぁ……。でも」
そう言った望のテンションが地に落ちた。
冬獅郎は身構え、息を呑んだ。
「その覚えることってのは……処理することってのは、俺の父さんが死んだのと、関係あるのか?」
そう言った望の顔を見ることができなかった。
自身の肩に乗っている望の腕が震えているのだ。
「はっ? 望? いきなりどうしたんだよ?」
「だから、警備隊はこの国の治安を守るのが仕事じゃないのか?」
「えっ……何言ってんだ? そうに決まってるだろ? 望だってそういうのが格好いいから入りたいって、言ってたじゃん」
「じゃあ!」
耳元で大きな声を出されて、めまいのようなものに襲われた。。
「望どうした? 一旦落ち着け」
「じゃあ何で……何で父さんは帰って来ないんだよ。遺体すら帰って来ないんだよ。警備隊の巡回中に死んだなら、遺体くらい帰ってきてもいいだろ?」
肩に乗っていた望の腕が離れる。望は項垂れていく。
「えっ? 望の父さんが? ……まさか」
「そんな嘘つかなくていいから! 全部知ってたんだろ? 冬獅郎は、嘘つく時、手の指が曲がるから」
そんな癖知らない。冬獅郎は何も答えられない。
図星だから。
事細かにその過程を知っているから。
「それに、父さん俺に言ったんだ。出かける前、最後に言ったんだ。……警備隊なんかに憧れるなって。国のためなんかより、母さんたちを守ってくれって」
「それは……あれだよ。あれ、あれなんだ」
何か弁明しようとして、言葉が出てこない。
その日、定例会議で警備隊代表の望の父親は戦争に反対の立場を表明した。一人で勇敢にも、無謀にも。
結果、即日処刑された。
冬獅郎にはそんな望の父親がバカにしか見えなかった。親友の父親だと知っていても、そう思った。
「あれ、だから…………」
「何だよ、何で黙るんだよ?」
望の目が失意へと変わっていく。
苦虫を噛み潰したような表情の望から、冬獅郎は顔を背けざるをえない。
「冬獅郎、てめぇは」
その動作をまざまざと見せつけられた望は、かっと目を見開いて、口を歪めて、冬獅郎の襟元を両手でつかんだ。
「なぁ? お前は全部分かってるんだろ? それくらいの立場の、人間なんだろ?」
締め上げる力はいつまでも強くなっていく。
眼球だけを動かして横目で望を見やると、望の手は悔しそうに震え、涙がボロボロと冬獅郎の汚れた靴の上にも落下していた。
「俺はお前と違ってバカだから、天才じゃないから……今何が起こってるのか分かんないけど、お前には分かってたんだろ? 知ってたんだろ?」
「……ごめん」
だから冬獅郎は謝るしかない。
もし処刑に反対でもしたらどうなるか、冬獅郎は分かっていた。
そもそも冬獅郎は戦争に反対の立場ではなかったし、人間が生きている限り戦争が起きないなんて不可能だと思っているし。
それにここまで事が進んでいる以上、たとえこの国だけが戦争に反対の立場になったとしても、いつか確実に巻き込まれる。戦争は津波や噴火と同じようなものだから。すべての国が戦争なんてダメだという立場をとることは、戦争が起きないことの必要十分条件ではない。
そして、その戦争では自分と、自分が製造した能力者が多くの人を殺すのも明白だった。
また天才にすべてを押し付けるのだろう。天才に生まれてしまったのだから仕方なく受け入れるしかない。国民の命を背負わなければならない。
天才の自分が嫌だからという陳腐な理由で拒絶したら、少なくとも自分より戦闘力のない人間が前線で戦うことになるのだ。ひき逃げと同じだ。虫の居所が悪い程度の話じゃない。
結局は自分が頑張れば、戦争なんかすぐに終わる。
「何だよその答えは? 謝られたって分かんないよ。父さんは何で、死ななきゃいけなかったんだよ? 俺らを残して、死ななきゃ……」
「ごめん。言えないんだ。機密事項なんだ」
今の望に父親が死んだ経緯を話せば、望は国に対して不満を感じるだろう。望が誰かに他言しない保証もどこにもない。
あくまでもこの国は、他国が戦争を仕掛けてきたから開戦せざるを得なかったという建前で戦争をするのであって、なのに戦争をする気満々だったなどという噂が広まればどうなるか。
内部から崩壊し、団結力は乱れ、戦争に負けてしまう。
情報操作によって一般市民をいかにして団結させるか。戦争をすることに対して納得させるか。
それが開戦前において一番大事なことだ。大抵の戦争は、味方が終わらせる。
「だから何なんだよ! 機密事項って……それは俺が、強くないからか?」
「違う。望が普通の人間だから」
「じゃあ冬獅郎みたいに強くなれば、地位があれば全部分かるのか? 何でも教えてもらえるのか? 俺たちは……もう友達じゃないのかよ?」
「ああそうだ」
襟元を締め上げられ続け、呼吸がし辛くなってきて、
「機密事項だ」
冬獅郎はそれでも耐えていた。
「だったら俺は強くなりたい。もっと強くなって、これから俺が……母さんや妹を、父さんの代わりに守れるくらい、真実を知れるくらい、強くなりてぇ。俺は冬獅郎の才能が欲しかった、羨ましかった。鉄みたいにでかい人間に生まれたかった。本当に……俺はお前らが羨ましいよ。ずっと、俺も……お前らみたいに強くなりたいんだよ」
望の声は余韻だけを残して夜の静けさに取り込まれる。
その余韻が消えるまで、冬獅郎は喋ることを許して貰えなかった。
「……じゃあ」
冬獅郎は目を逸らしたまま、取り乱しもせず、
「能力者になるか?」
とても冷たい声だと自分でも思った。その冷たさを掻き消そうと、慌ててまた凍てついた言葉を発した。
「望も、能力者なんかになりたいのか?」
「はっ?」
「だから、望は俺と同じ……能力者になってもいいんだな?」
この瞬間、確実に、望と友達ではなくなった。
「……えっ?」
望はやっと手を離してくれた。きっとわけが分からなくて、それを考えるために手に力なんか入れていられなくなったのだろう。
支えを失った冬獅郎の体は後方へ少しよろめいた。
「実は今、能力者になってもいいっていう人を探してたんだ」
実験台と言えなかったのは、望と友達でいたい気持ちが邪魔をしたから。
「それで、望が強くなりたいって言うなら、能力者にしてもいい」
「どうやって? そんな簡単に能力者になんかなれるわけないだろ?」
その通りだ。
しかし、それは可能になった。
「なれる。俺の頭脳を舐めるな」
吾妻冬獅郎という人間が天才だから。
過程は自身から取り出したDNA情報の一部を移植するだけ。能力を発動させる薬を精製するだけ。
冬獅郎が困惑する望にその事実を淡々と伝えると、望は黙った。
二人の間を冷たい夜風が吹き抜けて、少し先の街灯の明かり群がる二匹の蛾は、とても仲睦まじそうに飛んでいた。
「……なる」
一度目の返事は小さくて、でも冬獅郎の耳には届いていた。
冬獅郎はその言葉の意味をゆっくりと理解し、唇を噛んだ。
桐ケ谷望はもう一度、覚悟の居座った力強い声で、
「俺はやる。それ……やるから」
突風と呼んでもいいほどの強い風が、二人の髪をなびかせた。
桐ケ谷望の拳が震えているのは、その風が冷たかったからではないと思う。
吾妻冬獅郎が震えているのは、その風が身を切り裂くほど冷たかったからだろう。
「分かった」
冬獅郎はありがとうとも言えず、ごめんとも言えず、出てきたのは単なる了解の言葉のみ。
「ああ。俺は強くなって、俺の力で何もかもを変える。冬獅郎が今何で泣いてるのかも分からないから……惨めで弱い自分とは決別したいんだ」
言われて、頬を流れる液体の感触が全身に広がった。
「えっ? あ、ああ、これはちょっと目にゴミが入っただけで……」
慌てて望に背を向けて、涙を手で拭って、天才のくせにバカみたいな言いわけしかできないことをこの時に思い知らされたのだ。




