第六話 親父二人
当時フレティア王国の技術水準はごく一部のものを除き、大陸諸国と比べ大きく水をあけられていた。特に冶金や畜産、建築土木などはその最たるものであった。だが、こういった状況はエイウス共和国との交流により大きく改善する運びとなった。特に建築技術は大陸やエイウス共和国の主流である石材建築とフレティア王国伝統の木造建築とが合わさり後にフレティア風建築様式と呼ばれる独自の建築文化を築くに至った。
勿論、こういった即物的な技術等の導入だけでなくフレティア王国の法制、風習などの文化的な面でも大きな影響を受けた。その最たるものが現在、フレティア王国の支配体制の根幹を成す「貴族制」であろう。
それまでフレティア王国はケンドリック家という耳長族の代表の元に、他の部族の長たちが従っていただけの、非常に粗なる国家であった。そのため新たに服従した部族に対して過酷な徴税や要求がまかり通っていた。
例えば王国北西部のウルカムで起きた事件は、徴税官が斬殺されるというものであった。理由は徴税官による度重なる税の二重取りと、住民たちに対する私的な要求が原因であった。これに対して王国側の対応は下手人と族長の処刑という厳格なものであった。こういった事件は別段珍しいものではなく、当時のフレティア王国ではよくある事件であった。
だが、こういった事件も貴族制の普及により減少するようになる。
フレティア歴 274年 6月2日
フレティア王国 ポート・ヴァール フォード名誉子爵邸 研究農地
「6月2日 曇り 育苗法・直播法共に生育に問題なし。共に少しながら新葉が出始め茎が増え始めた。が、やはり直播法の生育のムラが目立つ。……はぁ」
今日も今日とて私は稲の成長記録を付けている。この日課が楽しい作業であったのは何時のことだったのだろう、考えるのも億劫だ。こうやって日付を付けていると刑の執行を待つ罪人の気分だ。
「ウィル様、どうかしたんですか?旦那様に呼び出されてから溜息が増えていましたが、最近は口を開くたびに溜息が出ていますよ。調子が悪いようでしたら部屋で休んでおられたほうがいいですぞ。田の様子は私が口頭で伝えに行きますから」
私の様子に心優しいグレックは気を使ってくれるようだ。この優しさに私は泣き出しそうになる。屋敷に変えればギルバートの厳しい特訓が待っており、父になんといっても「諦めろ」の一点張り、私の心の休まる場所は恐らくこの研究農地で過ごすグレックとのひと時だけであろう。
「グレックすまない。最近気の休まらない事が少し多くて、だけど大丈夫だから、自分でやると言い出したことだし最後までやらなくちゃ」
私の空元気に気づいているのか、グレックは少し戸惑いつつも声をかける。
「……ウィル様がそうおっしゃるのであれば止めませんが、まだ子供なんですから無理をなさらないように。もしどうしても我慢できないのでしたら、私から旦那様に休めるように意見しますのでいつでも言ってください」
私は神という存在を本気で信じたのは今まで一度だけあるそれはこの世界に転生した時だ。だが今もう一度神を信じよう、この目の前にいる御仏を……
「ウィルさまー! 会頭がお呼びでーす!」
ああ、もううるさい! どうして人が感傷に浸っているときに限ってお前は現れるんだ。ケントといいギルバートといいなぜ私の精神を削ってくる。さてはあれか? お前たち親子は私を精神的に追い詰めることを生業とでもしているのか? そうだろう? そうに違いない!
そんなことを思いつつも、泣く泣くグレックに別れを告げ屋敷の向かう。屋敷に着くと今日は書斎ではなく応接間に行くようにと言われた。ああ、ここまでくれば腹をくくるしかない。今でこそ私は4歳児だが前世では結婚して娘も二人立派に育て上げたのだ。今更女の子一人程度どうってことはない。
私は応接間の前に着くと覚悟を決めノックをする。中から「入れ」と父の声が聞こえたので私は中に入る中に入ると、笑顔の父と親子だろうか青髪のスラリと背の高い男性と、私と同い年くらいの少女が長机を囲んでいた。父は私の顔を見ると笑顔のまま私に向かって
「ウィル遅かったな、早くこっちに来て座れ」
父は今回の来客を本心から喜んでいるようだ。私は父の隣に座ると私の前に座る青髪の親子と目が合う。その青い髪と瞳は本で読んだ賢人族という種族だろう。
父親であろう男性は30歳前後だろうか、青髪に綺麗に輝く水色の瞳、私の顔を興味深そうにずっと見つめている。恐らく世間一般から見れば私の父にも負けず劣らずの美丈夫だろう。
そして、娘の方は父親であろう男性よりもずっと深い青色の髪と瞳を持ち、それはもはや青というより藍色といったところだろうか、幼いながらも整った顔立ちであることが見て取れる。先程からとなりの男性と同じように、頻りに私の顔を覗いてくる。だが、その顔の浮かんでいるのは好奇心だけでなく分かりにくいが不安や恐れが入り混じっているように感じられる。
「君がウィル君かな、先生から話は聞いていますよ。私の名前はデレク・リンメル。リンメル商会という商会の福支店長をさせてもらっている。こっちは私の娘のニコラです。 ニコラ挨拶しなさい」
「こんにちはニコラ・リンメルと申します。どうぞよろしくお願いします」
デリクと名乗った男に対して好意的な口調で話しかけてきた。そして、今から私がどのような反応を示すか楽しみだという様子だ。一方娘のニコラは父親の態度に安心したのか不安の消え去った好奇心に溢れた不思議そうな顔で私の顔を見つめている。
この二人は親子揃って私を値踏みしているのではないかと感覚を覚えたがすぐそんな妄想を打ち消し、ギルバートから習った言葉を絞り出す。
「はじめまして、ご存知と思いますがロレンス・フォードが長子ウイリアム・フォードです。どうぞ今後ともお見知り置きを……」
私からすれば、何とも時代がかった言い回しであるが父は満足気だ。そして何故かデリクさんまで満足気だ。だが、その満足の質は少し違うようだ。一方は自分の作品の出来に満足するような、もう一方は自分の目利きに満足するようなそんな様子だった。
「いやぁ、流石は先生ご自慢のお孫さんだ。これは研究者としても商人としても将来が楽しみですね」
「いやいや、まだまだ未熟な愚息です。それに研究ばかりに夢中になって商人としてはどうなることやら」
「今の挨拶を見れば分かりますよ、どこからどう見ても三歳児とは思えませんよ。うちの娘にも見習わせたいほどです」
急に引き合いに出されたためかニコラは少し驚いている。私も当人たちをほったらかしにしたまま会話を続ける父親たちに些かながら驚いている。恐らくこの国の商人という名の付くものの大半は周りを気にしない性格なのだろうか。
「そうそうウィル君、私は君が行っている育苗法と直播法の研究について先生……もとい君のお祖父様から、確認と指導を頼まれているのだけど今日はもうすぐ暗くなるし、君の研究とは別の用について君のお父上から助言を頂こうと思いましてね」
「そういうことだウィル、お前には悪いが少し席を外してくれないか、夕食までには終わるからそれまでリンメル殿のご息女と遊んでいてくれないか」
「すまないけど、うちの娘と仲良くしてやってくれるかい」
なんとなく予想していたことではあったので、私は渋々ではあるが感情が顔に出ないように作り笑いを浮かべ答える。
「はい、わかりました父上」
ニコラの方を見ると楽しそうにこっちを見ている。 ……この笑顔を見るだけで少し憂鬱になる。そんなことを考えているとニコラがこっちまでトコトコ歩いてきて私の手を掴んだ。
「行こう」
満面の笑みで微笑みながら手を引く幼女に連れて行かれながら、私は応接間を後にする。
あゝ私はこれからどうなるのだろう。
応接間に残された二人の父親は楽しそうに微笑む。がその笑みは父親としての笑みとは少し違うようだ。
「見ましたか、最後のあの顔をよほど女性というものに免疫がないように見えましたが何かあったので?」
「いやぁ、お恥ずかしい限りですな。あのドラ息子は確かに優秀ですが女にめっぽう弱くて…… どうも似なくていいところも父に似てしまったようで」
デレクは少し驚いた表情をしつつ
「それは意外ですね、先生は女性が苦手だったので?」
「ええ、母に先立たれた今でこそ好き勝手にやっていますが、昔は母に怒鳴られながら仕事に行っていましたから」
「それでは今のフォード商会があるのは、奥方の内助の功といったところですか」
そんな事を言いつつ二人の歓談はしばらく続けた後、ロレンスの方から話を切りだした。
「まぁ、そんな話はともかくとして今日はどういった御用で? 確かリンメル商会が近々ヴァールに支店を出すという話は聞いていましたがその関係ですかな」
「いやぁフォード子爵には敵いませんね、その通りです。実を言いますと支店の土地、もしくは店舗の方に丁度いいものが無いかと」
話を聞くとロレンスは首をかしげながらしばらく思案する。しばらくするとロレンスは苦しい顔で切り出した。
「何件か心当たりは有るのですが今すぐにとなると少し難しいですかな」
この話を聞くとデレクは少し残念そうな顔をしつつ話す。
「そうですか、なら仕方ありませんね。エイウスの方で新たな街の造営が始まりそうなので木材の積出量が増えると思いヴァールに支店を、と思ったのですが……」
この話を聞くとロレンスは待っていましたと言わんばかりに話を始める。
「そういえば、港に近い場所にスチムソンという子爵の別邸がありましたな。8月までに栄転で王都の方に召還されるようですな……」
「栄転ですか……」
「ええ、栄転です」
「そうですか、ならめでたいですね屋敷を譲っていただけるのでしたら代金の他に、幾らか包んでおいたほうがいいですね」
ロレンスは微笑みつつ首肯する。
「きっと子爵も大層喜ぶことでしょう。……王都への召喚が早くなるほどに」
そう言って二人は笑い合う、リンメル商会のヴァールへの出店が決まった瞬間であった。
そしてヴァール徴税官ドミニク・スチムソン子爵の王都への栄転が決まった日でもあった。
少し遅くなりました、申し訳ありません。
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