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第二十八話 出会いと決断 中編




 フレティア歴 274年 11月20日

 フレティア王国 ポート・ヴァール 市場


 私が彼女と出会ってもう二時間ほど経っただろうか、港のそばで用事をしている使用人が私を探していないか心配になる。その心配の種を撒いた彼女はというと、ご機嫌に鼻歌を歌いながら私の後をついてきている。


 そういえば、彼女の名前を間で聞いていなかった。名前も名乗らずここまで案内させたとなると、なかなか厚かましい娘だなぁ。


「そう言えば、お姉さんお名前は?」


「あれ、言ってなかったっけ? フレアだよ、そういう君は?」


 フレアと名乗った少女は私の名前も聞いてきた。ウイリアム・フォードと堅苦しく名乗ってもいいが、そんな見栄は不要だろう。


「ウィルと呼んでください」


「分かった、ウィルね。ウィルはこの町の生まれ?」


「そうですよ、生まれてからずっとこの町です」


「そっかぁ、いいなーこんな町に住めて、私の村なんかすっごく田舎だから、こんな人もいないし、することと言えば畑仕事だし、買い物だって三月に一回、行商のおじさんが来るだけだったんだよ」


 地方の生まれなのだろうか、町での生活というものに憧れがあるのだろう、フレアは羨まし気な口調で話し続ける。


「それにウィルもさぁ、なんか話し方も大人びてるし服もきれいだし、やっぱり町の子っていいなぁ~、村じゃ私と同じくらいの男の子なんていなかったけど、ここじゃたくさんいるんでしょ?」


 話し方と服については、私が特別だからだろう、それはそうと、同年代の友人がいないとは、人口の少ない村なのだろうか? そうだとすれば、繁華なこの町に憧れを持つのも頷けるというものだ。それにしてもこの年代の娘というのは何処の世界でも夢見がちで、外の世界に憧れを持つものだと内心苦笑する。


「いますけど、そこまで羨ましいですか?」


 ちょっと意地悪な返しだろうか、出来るだけ平静を装い疑問を呈すと、フレアは怒ったように大きく声を上げる。


「羨ましいよ! ウィルには分からないと思うけど、田舎なんかやること何もないんだよ! ……でもね、これから私、この町よりおっきな凄い都会に行くんだ!」


「都会ですか?」


 フレアが誇らしげな口調で言った、都会という言葉に違和感を覚える。家族と引っ越しでもするのだろうか? いや、ならば家族と一緒にでもこの町に訪れているはずだ、港で見た時は一人だったはずだ。


「うん! 何て言うんだろう? 出稼ぎって奴かな? お父さんが病気で寝込んじゃって、お母さんと私達姉弟で何とか食べてたんだけど、どうしても辛くて…… そんな時に行商のおじさんが女でも出来る出稼ぎの仕事があるって教えてくれたの! それで働きたいって言ったら迎えの人が来て、すごいいっぱいお金持ってきて雇ってくれたの」


 ……野麦峠かはたまた吉原か、聞く限りじゃ身売りじゃないか! 大昔のように人を捕らえて市場に卸して売り捌く事はないが、手付で最初に大金を渡し何年も働かせる、辞めたくても最初に払われた金を返すまでは辞めれない。その職場はというと休憩のほとんどない女工か、いかがわしい店での酌婦や ……娼婦。


(それ以上詮索するな!)


 頭の中で何かがそう叫んだ。そうだ、ここで話を切り上げればこれ以上不快な話に耳を傾けずに済む、フレアのこれから待ち受ける運命など知らずに済むのだ。


 ……されど、それを良しとしない別の何かが私の口を開かせる。


「……それは何処で働くんです?」


 フレアは考えているのだろう、少し間を置いてから話す。


「何だっけ? エイウス? っていうところの宿で働くって言ってたかな?」


 宿か、これは黒なんだろうなぁ。()()()()宿だろう、ここまで来たらもう後に戻っても同じこと、さらに問うてみる。


「……どんな仕事をするかは?」


「うーん、よくわからないけど迎えの人が「君なら大丈夫!」って、言ってくれたから何とかなると思うよ」


 「君なら大丈夫」か……、自分の考えが下種の勘繰りであるならどれだけ良かったことだろうか、そう思わずにはいられない。フレアは美人だろう、私の目にも、その迎えの人――恐らく女衒(ぜげん)だろう――の目にも同じように映ったはずだ。ならば行く場所などだいたい限られてくる、何にせよ彼女にとっては過酷な運命だ。


 気づけば足を止めていた、ここで足を止めて何の意味があるというのだ。このまま彼女が道に迷い、船に乗り遅れでもすれば、過酷な運命から逃れることが出来るとでも思っているのだろうか? 自分の行為とは言え馬鹿らしく感じる。 


「どうかしたの?」


 後ろに立つフレアは急に立ち止まった私を心配して声を掛けてくる。


「……」


 答えはしない、ただ押し黙る。


「あ、もう港が見えるから自分で帰れそう、案内ありがとねウィル、おかげで今日はいい思い出になったよ」


 そう言って立ち去ろうとする彼女を、か細い、か細い声で呼び止める。


「……待って」


 その声は届き、私を追い越し立ち去ろうとしていたフレアは、不思議そうにこちらを見ている。そんな彼女に私は問う。


「怖くないんですか?」


「怖い?」


「見知らぬ土地に…… 家族から離れて、ましてやどんな仕事をするかもわからないのに」


 そう言われたフレアは、ただただ困ったような顔で答える。


「怖いけど…… 私が行かなきゃ弟たちが行くから、知ってる? 男の人の出稼ぎってつらいんだよ? 村からも何人も行ったけど、帰ってきた人はほとんどいないし、帰って来るのも体を壊して働けなくなった人ばっかりだった、弟たちをそんな目に合わせたくないし、女の私ならそんなきつい仕事もさせられることはない…… と思う」


 これがフレアの本音なのだろう、先程誇らしく言った「都会に行く」という言葉も、ただ不安な自分に言い聞かせる為の方便。


 何が彼女にこのような運命を突き付けたのか、父親が倒れた不運、家族を思う彼女の優しさ、どれもその要因なのだろうが、根本の原因とは思えない、あえてその原因を言うならば、この国に巣食う病魔、貧困こそがその原因なのだろう。


 厄介な病だ。薬があるとはいえ、それを過不足なくすべての患者に行き渡らせるのは至難の業、ある者は薬を溜めこみ、ある者はそれを欲して止まない、国という名医がどれだけ手を尽くそうとも完治させることができない難病。


 彼女とその家族がこの難病に犯されたことを、ただの不運や彼女らの怠惰と断じることが出来るだろうか? 出来るはずがない、したくないと私はそう強く思った。


「それじゃ、もう行くね」


 フレアは困った顔を元の明るい笑顔に変え、港に向かい歩みを進めようとする。その歩みは軽やかであるが、背には暗く影を落としているように見えた。


 はたと考えが頭に浮かぶ。救いもなく、頼れる者もなく、ただ不安しかなく異国へ旅立つ彼女を救えるのは自分しかないと思えたのだ。幸い、我が家には余裕がある、彼女一人を雇うことはできるだろう、女衒に払った金もこちらで建て替えればいい、そうすれば家族と同じ国で働ける、時期を見て暇を出してもいい、そうすれば家族とも会える、今生の別れになるやも知れぬ異国への旅立ちなどさせずに済むではないか。


 すぐさま声を上げフレアを呼び止める。


「待って下さい!」


 子供の高い声が響き渡る、呼び止められたフレアも、道行く人々も何事かとこちらを窺っている。私はただフレアだけを見つめ言葉を続けようとした。


 そしてまた気付く、己の幼さ、身勝手さ、無神経さ、何よりもその傲慢さに、その瞬間、熱くなっていた頭が冷や水をかけられたように急に冷静さを取り戻してくる。


 少しばかり口ごもり、酷く平静に、ふさわしい単語を選び発する。

 

「……お元気で」


「うん!」


 そう言うと驚きの顔を、笑顔に戻しフレアはまた港へと駆けていく、先程何事かとこちらを窺った人々も無関心に歩き去っていく、やがて彼女の背中は人ごみに紛れ見えなくなった。


 これで良かったのだ。彼女を迷わせて何になる、彼女とて考え、悩みぬいたうえで行くのだ、ここで私の世迷いごとでその決断を迷わせるようなことをすべきではない。人を軽々しく助けて何になる、さらに言えば、それを養い、給金を支払うのは誰だ? 少なくとも私ではない父だ。それこそ捨て猫を拾う子供と変わらない。彼女一人を助けて何になる、同じ運命にある人はこの国に多くいるだろう、そのうち一人助けたところで何の解決のもならない、では何とする? すべてを雇い養うべきか? フォードの財力が今の十倍あったとしても出来ないことだろう。


 ならばどうする! どうすれば彼女を救える! どうすれば彼女に続く、人々を救えるのだろうか? たどり着いた答えは至極簡単で、酷く困難に溢れる。


「ふふっ……」


 自嘲気味な笑いがこみ上げてくる、以前デレクさんが話した言葉を思い出してしまった。以前は巻き込まれるようにその渦中に入り乗り気ではない(はかりごと)であったが、今ではそれに協力するどころか、自ら主導しても良いとさえ思える。


 力強く、それでいて雑踏に消えるような声でつぶやく。


「変えてやるさ、この国を」






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