第二十六話 大衆軍《マス・アーミー》
フレティア歴 274年 11月3日
フレティア王国 ポート・ヴァール フォード名誉子爵邸
今日は特にすることもなく、久々に家の書庫にでも入り浸ってやろうかと思い立ち、書庫を訪れると、そこには意外な先客がいた。
その鉄面皮を崩さぬまま、ただ静かに本をめくり、ただ思索にふけっている。ワイルダーであった。意外な先客に私が驚いていると、ワイルダーがこちらに気付く。
「何か御用ですかな?」
その声は、困惑の混じったような声であった。今忙しいので出来れば声を掛けてほしくない、そんなところだろう。ふと、手に持った本に目をやると、『軍事指示書』と題打たれていた。以前デレクさんからもらったものだ。興味を惹かれ「その本……」とつぶやくと、ワイルダーは本の表紙を見せてくれる。表題と著者名だけ書かれたシンプルな表紙。
「この本が気になりますか?」
「いえ、前に少し読んだことがあるので」
「もう字が?」
「はい、読むのが好きなので……」
そう私が言うとワイルダーは少し驚いた様子だ。
「その年で字が読めるというのは凄いことです。これからももっと色々本を読むといいでしょう、色々と学ぶことがある」
ワイルダーの言葉は、至極真っ当な意見ではあるが、少し違和感を感じてしまう。イメージの話ではあるが、剣の時代の軍人というものはもっと「鍛錬に励め」だとか、「本を読むのは文弱のやること」などと言って学問を忌諱するものだと思っていた。だが、このワイルダーに限っては、その考えは当てはまらないらしい。
「軍人が本を読むというのは不思議ですか?」
私の表情を読んだのかワイルダーはそんなことを聞いてくる。ここで気を使っても仕方ないだろう、素直に「はい」と答える。
「そうですか……」
そう答えるとワイルダーはまた本に目を落とす。静寂がかび臭い書庫を包む。少々気まずい雰囲気になったところで、私は堪らなくなりワイルダーに質問をぶつけてみることにした。
「ワイルダーさんは何故軍人に?」
「……特にこれといった理由はありません。父も軍人でしたし、兄も軍人でした。必然的に軍人になるしかありませんでした。君がこれから商人になるようなものですよ」
案外すんなりと話してくれた。もっと気難しい人物をイメージしていたが、そうでは無いようだ。もっと色々と話してみよう。
「軍隊では何をされてたんですか?」
「商談の件で、わかっているとは思いますが、騎兵をやっていました」
やはり、軍隊で馬と言えば騎兵か、そういえば騎兵と言えば、この世界ではどういった扱いなのだろう、元いた世界では兵隊の足として扱われた時代、地域もあれば、それこそ馬に乗ったまま敵陣に突っ込む様な使われ方をした時代、地域もあったわけだ。
「騎兵というのはどのような戦い方をするのか教えて頂いても?」
「……一言では言えませんが、敵の虚を突く戦い方とでも言いましょうか」
「虚というと?」
「敵の正面から突っ込む。という戦い方もなくはないですが、それは騎兵ではなくてもできることです。例えば側面や後面、敗走しかかっている敵に突っ込ませます。騎兵は足が速いのでそこへ素早く回り込んだり、駆けつけたりできます。まぁ、これも極論を言えば足が速い兵を集めてもできますか……」
「えーと…… つまり敵の弱きを挫く戦い方、という認識でいいですかね?」
「言い得て妙ですね。その考え方で間違っていません」
間違っていないのか…… 卑怯だと言いたいが、命のやり取りをしているのだそんなことは、言ってられないのだろう。
そういえば元いた世界では、騎兵が乗馬兵だけで編制されるというのは近代になってからということを聞いたことがあるが、どうなんだろう?
「騎兵というのは乗馬した兵が常に一緒に行動を?」
「常にという訳ではありません、平時は三割程度が王都の駐屯地にいます。戦争が起こった時、残りの七割を王が招集して集まり、輜重の兵と人夫を加えて戦場に向かいます」
「残りの七割というのは?」
「常は農民で、軍役の代わりに税を免じられ、国から軍馬の維持費も支給されています。ただの農民というより村々の名主が多いですね」
「それで大丈夫なんですか? 統制とかの意思疎通が不安だと思いますが」
「年に一度ほど集まって訓練はしますが、練度の面では常に訓練している職業軍人には敵いません。ですから弱きを挫く戦いをやるわけです」
「徒歩の兵隊も騎兵と同じように?」
「いえ、歩兵はほとんどが軍役です。槍を担いで歩くだけの兵ですから、常に雇っておく必要もありません。指揮官もそこらの貴族の次男坊あたりを連れてくるだけです」
歩兵の扱いに関しては身もふたもない言い方だが、なんとなくこの世界の軍制というのが分かった気がする。乗馬という専門技能を持つ連中は出来るだけ管理していつでも使えるように揃えておき、歩兵という特に技能の要らない連中は指揮官もそこいらから徴兵するようだ。大雑把なやり方だと思うが、国勢調査や詳細な戸籍調査もないようなこの世界なら仕方ないことなのだろう。
「何というか、適当ですね」
私の言葉に「ほう……」と関心を寄せ、値踏みするような表情を作る。それほど可笑しなことを言ったとは思わないが、ワイルダーはそう捉えなかったらしい。
「そう思いますか?」
何やら楽し気に放たれたワイルダーの言葉は、好奇心からか上擦ったように聞こえた。私はおずおずとその言葉に答える。
「ええ…… やっぱり、しっかり訓練した兵士を集めた方が強いんではないかと思いますし、何より軍役で領民を酷使するのはいかがなものかと……」
「軍役で領民を酷使するというのは仕方ないことです。戦わなければ略奪で軍役よりも酷い被害を受けるのは領民ですので。あと、しっかりと訓練した兵士が強いですか、確かにその通りですが、それを養うことを考えると軍役で兵を賄う方が安上がりで数が揃うとは思いませんか?」
ワイルダーの言うことは確かに真っ当な考えではあるが、恐らくこの考えが最善であるとワイルダー自身も考えてはいない、言葉の端々からそのような雰囲気を醸し出している。
「確かに安上がりなことは間違いないでしょう。ですが、悠長に兵を集めるよりも、養っている兵で敵国を攻めた方がよいのでは? そうすれば、敵の態勢が整う前に戦うことが出来ます。兵力が少なくても勝つことが出来ます。少数の精兵で気勢を制して大国を挫く、自分で言ってなんですが軍記物の物語にでも出てきそうな戦い方ですね」
最後は冗談めかしく茶化したものの、前半の考えは自分でも尤もな考えだと思う。元いた世界では災害なり戦争なりが起これば即日とまではいかないまでも、数日のうちに軍隊が駆けつけていたではないか。それは畢竟、敵の気勢を制す、またはその意図を阻止するという目標のためだろう。元いた世界の軍隊は、中世から現代へ、そのように進化したのだ。ならば、この世界の軍隊もそのように進化するのが筋というものだ。
私の言葉を聞いたワイルダーは少し悩んだ様子であったが、淡々と言葉を発した。
「面白い考え方ですが、この国には相応しくないですね」
「……理由をお聞きしても?」
「隣国と陸続きかつ、その隣国との関係が悪いのならば面白い考え方です。ですが、ここフレティアはそうではない、少なくとも隣国のエイウスは攻めてくることはないので、考えられるのは大陸のいずれかの国でしょう。ならば、海という城壁がこの国に兵を集める時間を稼いでくれる。大陸の国が兵を動かしたのなら遅かれ早かれこの国にも報が届くでしょう、それから集めたとしても十分に間に合う、逆にこちらから攻めるとなると、敵は海を渡っている間に兵を集めてしまう」
つまり、海を渡っての先制攻撃はできないし、されない、ならすぐに動ける軍隊もいらないということか。なら、この問答に何の意味があるというのだ、私はワイルダーに投げやりに言葉をぶつける。
「では、もう大陸のように兵を集めるのが一番なのでは? 農民の鍬を槍に持ち替えさせればいいと思います」
「それが出来れば一番なのですが……」
「何か問題でも?」
「如何に槍を持って歩けばいい兵でも、軍役に慣れていない領民にそれが耐えられるか未知数ということです」
結局は練度の問題ではないか…… 常備軍では数が足りず、徴兵軍では練度が足りず、ならばどうすべきか? ……うん? 待てよ徴兵? 徴兵か……
「常に兵を手元に置こうとするから高くつくのでは?」
何を当然のことを、といったような目でワイルダーはこちらを見ている・
「……つまりどういうことでしょうか?」
「常に兵を鍛え上げるのではなく、農閑期に農村部の若者を集めて訓練すればいいと思うんです。訓練に必要な期間は?」
「……最低半年、欲を言えば一年は欲しい」
槍を持って歩くだけと言う割に、えらく時間のかかることだ。鯖を読んだか? ああは言ったものの、出来るだけ練度の高い兵を扱いたいというのがワイルダーの本音なのだろう。
「では、年四ヵ月か五ヵ月程度の訓練を二年続ければ使い物になりますか?」
「集中して訓練できないことは不安ですが、使い物にはなるでしょうね」
「でしたら、二年間鍛えた後、農民に戻して、また新しい兵を入れればいいじゃないですか。そして何かあったら、彼らを呼び出して兵隊にすればいい。一回そこそこでは大した数は揃いませんが十年、二十年やれば、この国の若者全員が立派な兵隊です!」
自分で言っておいてなんだが、酷いことを言っている。未来ある若者を戦いに導こうとしている、そう考えると急に罪悪感が襲ってくる。徴兵される事が戦争へ行くことに直接つながるわけではないが、それでもフレティアの壮丁を人殺しの道具として扱っている。食わなければ食われる世界とは言えそれでいいのか?
暫く考え、自分への言い訳として、大きな声で言い放つ。
「もし戦いになれば、私も共に戦いに行きましょう!」
虚言のような言葉である。そもそも、私が徴兵されるかもわからないし、戦い出るかもわからない。ただの自己満足の言葉、ただ無責任に言ったわけではなく、自らも共に戦うという意思表示、ただ若者を戦地に送る老人たちと自分は違うと思いたかっただけのこと、それだけである。
そんな複雑な思いを知ってか知らずか、ワイルダーは私の言葉を聞き、考え込んでいる。ひとしきり悩んだ後「うん」と小さくつぶやき、何やら不敵な笑みを浮かべている。
「どうかしましたか?」と小さく声を掛けてみると、ワイルダーは不敵な笑みをさらに深めて話始める、
「いえ、そのような制度があれば、君の言うよう多くの兵が集められると思っただけですよ」
何かを誤魔化したような言いぶり、いや確実に誤魔化している。
「それだけではないように聞こえますが?」
「軍人の本能というやつです、機会があれば戦場で大軍を率いてみたい、そんなことを思うと自然と笑みもこぼれるんです。もう叶わぬ夢とはいえ、夢想してしまうものですよ」
そう言われると不敵な笑みも自嘲の笑みに見えなくもない、何よりこんな話をされるとこれ以上の詮索はやりにくい。話題を変えてほしそうなワイルダーに合わせて少し変えてみるか。
「そういえば兵以外に指揮官もそこらの貴族から集めると言っていましたが、ここフレティアでもそれを?」
この言葉を聞いた途端、ワイルダーは真顔になりきっぱりと否定する。
「いえ、それが一番ありえません」
そうでしょうね、流石に。
「指揮官が無能であるというのは一番いただけない、如何に精強な兵がいようとも指揮官がダメでは雑兵以下の働きしかできません、勝てる戦いであっても、それを逃す様な指揮官は害悪以外の何物でもありません」
何やら怒りが節々から滲み出ている。過去に何かあったのだろう、それが上司であれ、部下であれ他人の無能で失敗するというのは、心に残るし、年月とともに一層恨みを強くする。そこまで上の役職にいたようでもなく、かといって末端にいたようでもない、ワイルダーの軍人生活は中間管理職としてそういった心労も多かったようだ。
これはまずいことを聞いたかと思っていると、書斎の外から私とワイルダーを呼ぶ声が聞こえてきた。
「ウィル様~、ワイルダーさ~ん昼食が出来ましたのできてくださ~い」
この声はラッセルだ、ラッセルの間延びした、歳より幼く聞こえる声を聴いたからか、渋い顔を少し崩したワイルダーが私を促す。
「少し話すぎましたかな、行きましょう料理が冷めてしまいます」
このような事を言うような人だったかと思いつつ、促されるまま書庫を後にしようとすると、思い出したようにワイルダーが話しかけてきた。
「そういえば、この本を少し借りても?」
手に持っているのは、書斎に入った時に読んでいた『軍事指示書』、デレクさんから貰ったものだし、父の許可もいらないだろう。
「ええ、元は私が頂いたものですから好きに持って行って下さい」
「ありがとうございます、それにしても中々面白い話をさせてもらいました、今度は立ち話ではなく腰を落ち着けて君と話してみたい」
その鉄面皮から、想像できない柔和な言葉にこの人と打ち解けた、と確信をもって答える。
「いえこちらこそ、昼食後でよろしければまた色々教えてください」
そういうとワイルダーは少し困ったような顔をして答える。
「そうしたいのは山々ですが、少し用が出来てしまいまして」
「用ですか?」
「ええ、つい今しがた」
そういったワイルダーの顔は足早に食堂へと向かって行った。
間が空いてしまったせいか、えらく難産な回でした。不出来な点もあると思いますので、ご意見・ご感想とともにご指摘等もお待ちしております。




