第二十二話 寝物語
フレティア歴 274年 10月31日
フレティア王国 ポート・ヴァール フォード名誉子爵邸
ガス・ワイルダーとイーデン・マッカローの二人は、商談が終わった後、用意されていた寝室でくつろいでいた。もともとは、女中の部屋だったか、夫婦で泊まることを前提に作られていたのだろう、寝台が二つ狭い間隔で置かれており、そして男の二人部屋としては不釣り合いな小さなドレッサーが置かれていた。
マッカローとワイルダーの二人は、部屋の隅に置かれていた小さな机と、椅子二脚を窓際に引っ張り出して、月明りと、時折、プスプスと音を立てる魚油の注がれた燭台のもと、話し合っていた。
「第一陣で牡馬2頭、牝馬12頭の14頭、その後様子を見て牡5頭と雌30頭を第二陣として…… まぁ、こんなもんですかね?」
そんなことをワイルダーに言っている、マッカローの手には、この屋敷の使用人が気を効かせて持ってきた酒が大事そうに握られている。また、ワイルダーの手元には、下戸ということを気遣われてか白湯が置かれていた。
「こんなものだろう。よくやってくれたよ、あの御仁は」
あの御仁というのはアンドリューのことであろう。多く輸入することを渋るロレンスに対して、もっと輸入するよう説得していたのは、印象に残っている。
「どれぐらいそろいますかね?」
「何しろ無いところから増やすからな、学校開設時に三歳馬が10頭いれば御の字だろう。すべて軍に回してくれるとは限らんがな」
「そりゃそうですなぁ、はぁ、栄えあるシローニュ騎兵が馬一頭ごときで一喜一憂することになるとは思いませんでしたねぇ」
マッカローの言葉は、今の境遇に不満があるという訳ではなく、どこか、今の状況を楽しんでいるといった風であった。
「全くだ、600の兵を率いて戦場を駆け回っていたころが懐かしい。今この国で、それだけの馬を率いて戦ったところで、一度限りのあだ花になるだろうな」
ワイルダーも珍しく、マッカローの冗談に付き合うが、最後に出た言葉は、冗談かどうかは分からない。騎兵で戦ったところで、次の補給は得られないそういった意味なのだろうが、それは騎兵としての自分が死んでしまう、そういった意味が込められているような言い方だ。
「最後のあだ花って…… あだ花が咲くかどうかは、この国のかじ取りする連中に言わなきゃどうにもならんですななぁ。ですが、そのあだ花を美しく咲かせるようするのが、あっしらの仕事なんじゃ?」
この言い方に、ワイルダーは思わずその無表情を崩し、口元を緩める。
「柄にもなく詩的な言い方だな。馬に乗れなくなったら詩人にでもなればいい、私が一冊は本を買ってやろう」
詩的かどうかはともかく、興味があるものと言えば、馬と戦と酒と女程度の、花を咲かせるなどという言葉を使ったのがおかしかったのだろう。珍しく饒舌なワイルダーが冗談を返す。
「馬に乗れなくなったらって…… 隊長はそれまであっしをこき使う気ですかい? 馬車馬よりひでぇや」
マッカローは困ったように笑いながら答える。
「馬車馬より酷いかもしれんぞ?」
マッカローはそんな脅しにも動じず答える。
「そんなこと言われたって、もう行くとこないでしょうね。それに、今更こんな辺鄙なところで所帯を持とうなんて考えても、いませんからね。行けるところまでついていきますよ」
この言葉を聞いたワイルダーは、緩めた口元をまた結び、紡ぎ出すように一言、謝意を表す。
「……すまないな」
「何をいまさら、一緒にシローニュから逃げた時、腹はだいたい決まってましたよ」
思い出すように言われた一言であった。友情であるとか、尊敬の念であるとかそういったものではなく、軍隊という特殊な環境のもと築かれた信頼関係、その延長から出た言葉であった。
二人の間に、しばしの沈黙が訪れる。ワイルダーは手元の冷めてぬるくなった白湯を啜り、マッカローは酒を喉を鳴らしながら呷る。
その行動は、二人の信頼関係が成した、共通の考えが二人の頭の中に同時に浮かんだことを示すものであった。
((気まずい……))
マッカローにとっては遠回しに、信頼していると告げたようなものであり、ワイルダーにとってはそう告げられたようなものである。お互いをよく知っているものにとって、気恥ずかしいことこの上ない会話であった。
この妙な空気を打破し、元の正常な状態のまま床に就くため、マッカローはやや無理矢理な迂回機動を行う。
「そういえばフォードの旦那のお孫さんは、挨拶の時から分かっていましたが、かなり賢いお子さんのようでしたね。ありゃ、旦那が自慢したくなるのも分かるってもんです」
傍目から見ても無理矢理な機動だというのは分かる。だが、ワイルダーはその意味を正確に理解し、この話に合わせる。
「あぁ、そうだな。あの幼さで大人の前で堂々と意見が言えるだけでなく、しっかりと理にかなった意見を言えるというのは、早熟を通り越して天才という奴だろうな。……ただ」
「ただ? あれですかい、十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば…… ってやつですかい?」
「いや、それもあるかもしれんが…… 『白虎の傭兵団』という傭兵団を知っているか?」
マッカローは意外な質問に少し驚くが、勿論といった様子で頷く。『白虎の傭兵団』と言えば、長く軍に身を置くものにとって、知らぬはずがない名前であった。
「ええ、少し昔に幅を利かせてた美女が団長をやってて、しかもやたら女が多いとかいう連中ですかい? 知ってますぜ、全く羨ましい連中なこって…… あっしも、もう少し顔がよけりゃ、若いツバメとして囲って……」
長くなりそうなマッカローの話を遮るように、続けて質問する。
「では、そこの初代の団長が男だったということは?」
「へぇ、そいつは知りませんでした。それが何か関係あるんですかい?」
「あぁ、何でもその団長は7歳で初陣を飾り、15で傭兵団を旗揚げしたそうだ。20歳頃には叙爵の話もあったという話もあるな。おそらくその団長も、ウイリアムといったか、彼と同じく天才だったんだろうな」
驚異的な速さである。マッカローの初陣は17の時であったし、20歳の時でもまだ騎兵隊の下働きとして馬に秣食わせていた。それを考えると、その初代団長は間違いなく、天才だったのだろう。ワイルダーがこのような話を出すということは、その団長と、ウイリアムをなぞらえてのことであろう。
「つまり、フォードの坊ちゃんもそんな大人物になると?」
「……22歳になる前に、その団長は殺されたらしい」
「へ?」
予想外の言葉にマッカローは素っ頓狂な声をあげ驚く。その様子がおかしかったのか、ワイルダーは声色をやわらげ続ける。
「貴族に毒を盛られた、閨で女に刺された、落馬して事故死した、いろいろ言われたらしいが、おそらく殺されたんだろう」
「そりゃ…… なんでまた?」
今頃、どこかの大貴族になっているであろう人物の、英雄譚を期待していたマッカローは、話の続きをワイルダーに求める。
「妬まれたんだろう。貴族の世界ではよくあるらしい、彼もその才が過ぎるようなことがあれば、その団長と同じようになるんじゃないかと思ってな」
「…………」
何とも面白くない話だと言わんばかりに、マッカローはムスッとして黙っている。その様子にワイルダーは、少し効きすぎたと思いながらも、手に持っていたコップを机に置きながら告げる。
「寝酒も十分に飲んだだろう、もう寝よう」
「……そうですね、もう寝ましょうか」
そう言ってマッカローは、器に残っていた酒を飲み干すと、燭台の芯についている火を指で消し、月明りを頼りに寝台に潜り込んだ。
マッカローは、殺された団長。彼がどのような気持ちで世を去ったのか…… そんなことを考えながら、静かな寝息を立て始めた。




