第十五話 巣食う人々
フレティア王国の公・侯・伯が地方行政を子・男が中央行政をそして士が地方官吏と国防を担うという独自の貴族制度が、初の変革を迎えたのは公・侯・伯達、地方行政府による中央行政に対する反発が原因であった。地方の首長である彼らを尊重し、中央の貴族達より高い爵位を授けたのが裏目に出たのだ。
これに対して王家は、中央官吏の一部を陞爵させ発言力を強めるとともに、一部の地方の貴族たちには土地の管理を陪臣達に任せ、中央で役職に就くことを許した。中央官吏、地方貴族ともに力を付けさせるという、何とも強引な解決法であったが、中央に対する反発はしばらくの間、一応鳴りを潜めた。
後に、反発の旗手となった二人の地方貴族の名から「マーシャル・キッチナーの政変」と呼ばれることになるこの政変により、中央官吏の流れを汲む貴族と、地方から中央に乗り込んだ貴族、そして地方に残った貴族、後世それぞれ「法衣貴族」、「宮廷貴族」、「地方貴族」と呼ばれるようになる。彼らはそれぞれこの辺境の島国の主導を巡って鎬を削ることになる。
フレティア歴 274年 10月20日
フレティア王国 王都 アルビィン・ワイアット侯爵邸
王宮より二十分程の南に行った場所にワイアットの屋敷はある。フレティアでは一般的な木造の造りではなく、石造の頑強な造りのその屋敷は、周りの建物より高い屋根がよく目立ち、王都に住む全てのものに、その存在を知らしめている。その屋敷の庭に目をやると、左右対称に均整の取れた見事な庭が訪問者を出迎えている。多くの庭師によって手入れされるこの庭は雑草たちの立ち入る隙もなく、この屋敷の格式の高さをよく表している。
そんな屋敷の主、アルビィン・ワイアット侯爵は二階の客間で幾人かの客人と会談を行っていた。その面子はというと、財務総監のクライブ・ベル伯爵、国務卿ビル・ホリング侯爵の二人で、フレティアの官吏の中で最高の顕職就く者たちであり、ワイアット自らが率いている閥の重鎮でもある。もしこの部屋が暴漢に襲われでもすれば、フレティア王国の中央は一時的に機能不全を起こすだろう。
ワイアットは上質な木材で作られているであろう大きな椅子に深く腰掛け、つい今しがた使用人によって淹れられた茶を楽しんでいる。そんなワイアットの向かいに座る客人たちは、出された茶と茶菓子に手を付けることなくただ静かに、ワイアットが口を開くのを恐る恐るといった様子で伺っている。そんな状況がしばらく続き、客たちにとっては何時間にも思える時間が過ぎていく。そして、自分の手元の茶器が空になるとワイアットは重々しくそれでいて、どこかわざとらしく口を開いた。
「マーシャル卿の国王陛下への上奏は中止されたようだな。はて、内容はどういったものだったか……、お二方はご存知かな?」
上奏、このフレティア独特のこの制度は、フレティア王国においては大きな意味を持つ。建国当初のフレティア王国は諸部族の集まりであり、統治についての不満からそれら諸部族の反発や諍い絶えなかった。そういった反発や諍いを宥め躱すために、君主が臣下の意見等を聞くために設けられた制度であった。
建国から百年ほどの間は盛んに行われたが、王国の安定化とともにしばらくの間行われなかったが、法衣貴族が中枢で力を付け始めると、法令などを公布する前に国王に伺いを立てて許可をもらい、その施行が円滑になるよう、箔付けとして行われるようになり、現在では法令の公布の為の儀礼的な意味合いが強くなっきている。
その法衣貴族の特権ともいえる上奏が、フレティア南部に広大な所領を持ち、地方貴族の長老格として君臨し、ワイアットの長年の政敵であるアーヴィング・マーシャル侯爵によって行われようとしたのは、つい先日のことであり、フレティア王国では異例中の異例であり、ここにいる二人をワイアットが呼び出したのは、そのことに対しての詰問のためであるのはフレティアの中枢に巣食う者であれば誰の目から見ても明らかであった。
ワイアットの抑揚のない口調でつぐまれる言葉の意味をたっぷりと時間を使い理解した二人は、ほぼ同時に口を開こうとしたが、ベルが遠慮し年長で爵位も上のホリングに譲る。ホリングはワイアットに気付かれないようにベルを睨みつけると、顔をワイアットに向き直し質問に答える。
「はっ、題は『地方の領主貴族の兵権の拡大とそれに伴う徴税権の付与』というもので、内容は地方貴族に地方に駐留する部隊の指揮及び編制を平時のみ地方貴族が行い、戦時にはそれを国に返還し、それに必要な資金は地方貴族に新たに自主的な徴税権を与えこれに充てるというものだったと記憶しております」
現在フレティアでは、地方に駐屯する軍の指揮権は中央から派遣される武官が掌握している。募兵についても王都などの都市部で徴募しそれを地方に派遣するという形をとっている。フレティア建国時に地方貴族の反乱を抑えるために作られた制度であるが、王国が安定し反乱の危険性が低くなった今では、地方貴族からは住民たちと衝突する厄介者、そして国王の自分達への猜疑心の表れとして、中央の一部の法衣貴族からも余計な仕事と予算を食らう金食い虫な無駄な制度として見られている。
そして徴税権については、こちらも地方貴族の独自の資金源を絶ち、反乱を抑えるために徴税の際には、中央から派遣された徴税官の監査のもと行わせるという制度があり、徴税官の職は中央から派遣される子爵や男爵の下級法衣貴族にとっては国からの俸給の他に貴重な収入が得られることもあって人気の役職であるが、地方貴族から評判はというと、言わずもがなである。
マーシャル伯爵は地方統治の効率化と軍事力の強化ためとの名目で、この上奏を行おうとしたが、その意図は明白だ。地方貴族の権限拡大、それが今回の上奏の目的なのは自明であった。
確かに地方統治は警察権を自由に振えることにより徴税や治安維持については円滑化され、軍事力も数という面では向上するだろう、だが所詮は私兵である。戦時においては兵権を返上するなどとのたまってはいるものの、いざ戦時にそれが返上されるとは限らないし、さらに暴力装置たる軍隊を持った地方貴族が刃を王室に向けないとも限らない、地方貴族達による最悪の事態を考えると、王国にとってはリターンよりもリスクのほうが上回るであろう。
法衣貴族にとっても、今までの政敵である地方貴族が自らの武力を奪い、それを振うなどということは想像もしたくない。その先に待ち受けるのは、彼らに対する服従、いわゆる政治的な死。または国賊、法匪の汚名を受けた上での処刑、いわゆる物理的な死の二者択一だ。
寸前でかわしたとはいえ、自らの閥に属する者たちの失敗をただで赦すほどワイアットはできた人間ではない。それを知るホリングは自らの減刑を願い、必死に弁解がましく述べ立てる。
「マーシャル卿の今回の上奏は全くの予想外でした。そもそも侍従たちが我々以外の上奏を受け入れるとは思えませんでしたし、普段であれば侍従会議での審議が2、3日掛かりますので、それまでに私達のような閣僚にも情報が上り、場合によれば横槍を入れてどうとでもできたのですが今回ばかりは予想外の事案でして……」
「予想外だということは二度も言わずとも分かっているよホリング卿、問題なのは宮廷の連中が地方の田舎者と手を結んだことだよ。1日経たずに上奏が決まったのだろう? 彼らがどのような利害の上で協力しているかは知らんが、どちらにせよ我らにとっては脅威だよ」
フレティア王国で王に上奏するには、王の近習である宮廷貴族を中心とする侍従官達の会議で許可されてからではないと上奏できない。常ならばその会議で何日か待たされ、許可を得てから一週間以内に上奏を行うことになっている。今回マーシャル伯爵が行おうとした上奏では侍従会議の期間がわずか1日と短く、上奏も翌日に行われようとしたため、法衣貴族に近い宮廷貴族を使い、横槍も入れることもできず、法衣貴族の意に反するような上奏を許しそうになってしまった。
「まぁ、今回は陛下の体調が優れず残念なことに上奏は叶わなかったようだ。政敵の悔しがる姿を見れて、君達にとってはさぞ喜ばしい限りだろう?」
ワイアットの含みのある言葉に、二人は更に恐縮する。ワイアットの言葉通り、今回の上奏が叶わなかったのは「国王の体調が優れない」と典医が直前になって上奏を取りやめさせたためだ。
「はっ……、その件に関しましては……、お骨折り感謝しております」
ホリングは何とか言葉をつむぎだして答える。
「何か勘違いしているようだねホリング卿、陛下の玉体を案じたのは典医殿であって、私は何もしとらんよ。礼をするなら彼等にしてくれ」
ワイアットの言葉はもちろん嘘である。ワイアットこそが上奏前に典医に手を回し己が君主の病を偽らせた張本人である。最も本人はそのことに関して知らぬ存ぜぬを決め込む気であるようだ。
「なんにせよ田舎者達が、私達のゲームのやり方を覚えつつあるのは癪だ。ここは相手の望むゲームをするよりは、今の盤面をひっくり返してやるほうが楽しそうだとは思わんかね?」
ワイアットの比喩に富んだ言葉に思うところがあったのだろう、ホリングは素早く口を開く。
「はっ、上奏に関する新しい制度を部下たちに検討させていますが、今の所『尚書部』を復活させる案が最有力となっています」
「『尚書部』か……、ずいぶんと懐かしいものを引っ張り出してきたな、中身はそのままかね?」
尚書部は上奏が盛んに行われていた時期に上奏の内容を審査する部局として置かれていたもので、上奏が行われなくなると同時に廃止され、上奏が復活した時にも忘れ去られていた部局あり、在りし日には要員に高位の貴族が充てられ、合議により上奏の可否を決めていた、古式ゆかしい伝統ある部局であった。
「はっ、おおよそ以前の『尚書部』と変わりません。ただ、宮廷の方々にお骨折りいただき、要員はこちらの息のかかった方を……」
「そうか……」
自分たちに近い宮廷貴族を据えるのだろう、地方貴族が宮廷貴族の一部と手を結び中央への橋頭堡を得たといっても、本格的な寝技を知らない彼らが何時までもそれを維持することはできないだろう。日和見の連中に餌をちらつかせれば体制は決し、地方貴族に田舎にお帰り願えるはずだ。
だが、尚書部を復活させ、頭どころか総身を親法衣貴族の宮廷貴族を据えるという案を自信ありげに語るホリングの姿は、ワイアットの心の奥から不安とは違う、どこか苛立ちに似た感情を呼び覚ます。
(悪くはない、悪くはないはずだ……)
ワイアットは頭の中では理解している、地方貴族の動きを掣肘するのにこれほど効果的な策はないはずだ。だが、目の前の男をどこか頭の中に引っかかるものがある。
ワイアットは齢七十九、いかに長命な耳長族といえど、今までのように権勢を振える期間はそう長くはない。いずれは、ここにいる二人を含む若者たちに後事を託さなければならない。
(癪だ、癪に障る……)
ワイアットにとって、自らが心血を注いで築き上げたこの閥を、苦労も何も知らない若造どもにただで渡してしまうのは癪に障る。ただの俗物に成り果てた目の前の若造たちを眺めていると、その念が徐々に強くなり始めた。しばらくの熟考の後、ワイアットは禁断ともいえる一つの決断を下す。
(……喜べマーシャル、貴様に機会をくれてやろう。私の愛すべき俗物共と貴様の子等、どちらが優れているか、最後の勝負だ)
ワイアットは、その冷めた双眸で二人を見据え言い放った。
「『尚書部』の要員は法衣貴族、地方貴族、宮廷貴族から等分に選び、首長は陛下からの勅任とすべし。これは私の私見ではなく、命令ととってくれて構わない」
ワイアットの熟慮の末の乱心によって紡ぎだされた言葉は、そこにいる二人を思考停止に追い込むには十分な衝撃であった。長い長い沈黙の後、今まで後ろで控えていたベルが蒼白となった顔で言葉を何とか絞り出す。
「……正気、でありますか?」
「君には私が耄碌したように見えるかね? 正気だよ。田舎者達に機会をくれてやろうと言っているんだ。反対かね?」
「反対も何も、そんなことをすれば地方貴族どもの中央での跳梁を許すことになります! ただでさえ、下の者たちが中央での椅子を寄越せと突き上げているのです。彼らを無視し、地方貴族などに中央の椅子を与えれば、国が回らなくなります! そのようなことになれば我らの地盤は崩れ落ちます! どうか、どうか! ご再考を!」
蒼白であった顔を湯気が出るほど真っ赤にし、澱んだ碧眼を血走らせ、自らに食って掛かる俗物であった者を心底意外そうな目でワイアットは眺める。
(この男、ただの俗物に成り下がったと思っていたが、なかなかどうして気概を保っている。だが、その向きが結局は保身か……)
地方の子爵家の次男として生まれながら、王立学院を首席で卒業し財務庁に入庁、貿易局で頭角を現し、自らの助けがあったとはいえ、建国以来最年少で財務総監を奉職する、世間一般から見れば有能な男を冷めた様子で見つめながら答える。
「君は何か間違っていないか? 地方貴族の跳梁? その程度のことも抑えられないほど貴様らは無能か? 中央での人脈も何もない田舎者どもに蹴落とされるとでも? そうだとすればさっさと身を引きたまえ、それが陛下に対する最高の奉公だよ」
ワイアットの言葉の通り、自らを含む中央の法衣貴族が新参者にそう簡単に権力の椅子を譲り渡すほど無能ではない。逆にその新参を飲み込むほどの力を十二分に有しているはずだ。そしてワイアットはさらに続ける。
「下の者からの突き上げ? そんなもの放っておけばよいだろう、元より彼らは国に身を捧げているはずだ。それが自らの無能を棚に上げ出世まで求めてはいかんよ。私たちは、情実に流されず働きによって職を得られるように努力しているはずだ、それは君が一番理解しているはずだろう?」
法衣貴族はその性質上、血脈と門地が重視されるほかの貴族よりも実力主義が浸透している。たとえ、この国最高の顕職である宰相に就いた者の子息や縁者であっても、その実力が不十分であればその一生を中央から左遷されることもあるし、逆に優秀であればワイアットのように中央で権勢の限り尽くすことも可能である。今ここにいる面々はそのことを身をもって十分に知っているはずだ。
「私はね、これを機にこの国の形を変えてみたいと思っている。現場にいる君達が一番よく分かっているだろう、この国の現状を。私が初めて陛下に仕えた頃は私にも理想があった。大陸からは遅れた蛮地と誹られるフレティアをかの地の列強に伍する国に育て上げようと息巻いていた。だが実際は宮廷や地方の連中との政争に明け暮れる日々だった。そんなことをやっているうちにもうこの年だ、この献策を私にとってこの国に対する最後の奉公にしたいと思っている」
先ほどとは打って変わり、どこか遠いところを見るような弱々しい眼差しで、まるで臨終の老人の如く語りかけているが、今目の前の俗物に語っている理想は無論、建前である。自らの手綱を離れんとする若者に対し、自らの自尊心を満たし、己が果たすことの叶わぬであろう好敵との闘争の決着をつけるための建前。「国のため」と標榜してもそれは二の次、三の次に過ぎない。むしろこの老人は政局の混沌を望んでいる。自らが行ってきた前時代の労を後事を託すであろう若者に強いようとしている。
この老人のわがままの真意を知ってか知らずか二人の若者は眉をひそめつつ耳を傾けるが、次第にその眉間の皺を不快感とは別の感情によって深くしていく。そんな二人を気にすることなく老人は表情を変えずに仕上げと言わんばかりに語気を強め語る。
「この尚書部を機に我らと地方貴族、宮廷貴族の垣根を払い、ただ陛下に忠を尽くす、ただ一つの貴族という集団にしてみたい。この国を一つにしたいのだ」
「国を一つに」何とも耳心地の良い、素晴らしい言葉に聞こえる。だが、それは並々ならぬことだとは二人にとって周知のことだ。その並々ならぬことを成し遂げてみたいと、この老人が虚言している。この虚言を聴いた二人の脳裏には共通の疑問が浮かぶ。
(そのようなことが、本当にできるのか?)
ベルもホリングもその結論に行きつくのは当然のことである。「国を一つ」勿論、今までこの国が経験したことのない状況だ。それを目の前の老人は「成し遂げたいと」言っているのだ。ただの老人の放言ではない。これからできるであろう尚書部のというこの国の行く末を決める機関の人事に口を出した行動を伴う放言である。
「国を一つになど……、そのようなことは本当に可能なのですか?」
耐えかねたといった様子でホリングがワイアットに対し質問をぶつける。ワイアットはその言葉を聞くとおもむろに立ち上がり窓際に立つ。
陽が傾き、外は火の燃えるような空模様となって、窓から切り取られる景色はその美しい庭と相まって一つの絵画のようである。それを背にワイアットは力強く、それでいて老人らしく若人たちに語り掛ける。
「可能、不可能ではない。我らがやらねばならぬのだ。国のためにな」
大変遅くなって申し訳ありません。言い訳は活動報告でしときます。
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