第十三話 虚栄の砦 後編
フレティア歴 274年 10月6日
フレティア王国 王都西部 テスカウェル砦
ワイルダー達が通された部屋には、調度品の類意外はほとんどなく、置かれている家具も実用性一辺倒の面白みのないものだ。唯一、この部屋を飾り立てているものといえば、壁の刀掛けに掛けられた数振りの細身の両刃剣のみである。
「相変わらず、面白みも何もない部屋だな。それと、わざわざ来てやったんだ。茶の一つくらい出したらどうだ」
「うるさい! 今日の客はこのワイルダー殿だ。お前には無い! おい、オズワルド! ワイルダー殿に茶を、それと茶菓子をもってこい。一番いいやつだぞ」
オズワルドと呼ばれた、部屋の前に立つ若い兵士は、ポールソンの言葉に「はっ!」と、短く返事をすると駆け足で去っていく。
「どうぞ、お座りください。えーと、どこから話せばよろしいですかな?」
ワイルダー達に着席を促した後、自身も椅子に腰掛けワイルダーに問いかける。
「そうですね、まずは私がここにいる理由から、といったところでしょうか」
ワイルダーの言葉に、ポールソンは驚き、隣に座ったアンドリューを睨みつける。睨みつけられたアンドリューは悪びれる様子もなく、だ一言「言う暇が無かった」と、言い張っている。ワイルダーからしてみれば、なんとも釈然としない答えである。ポールソンは肩を落とし、大きく「はぁ」とため息をつく。
「まぁ、そんな些細なことどうでもいいではないか。時間はあるのだろうブレット?」
「俺は一応、この国の軍の代表だぞ。貴様の現役の頃と同じくらい多忙だ」
「それは多忙と言わん。あの頃でも趣味に費やす時間くらいはあった」
「あのなぁ……」
アンドリューの言葉にポールソンは頭を抱える。アンドリューの現役時代といえば、一時期は「国王より多忙なのは、フォードの会頭と風車の羽根だけだ」とフレティアの商人に戯れ歌にされるほどに忙しい身であった。このことを皮肉ったつもりで言った言葉も、当人が「忙しくない」と、言ってしまえば台無しである。
「すみませんが、そろそろ本題に入りたいのですが……」
二人の掛け合いを黙って聞いていたワイルダーが、しびれを切らして話に割って入る。
「おお、すみません。何分、お互い久々に会った身ですから、昔を懐かしんでしまいました」
ポールソンは申し訳なさそうな顔でワイルダーに詫びる。そして、その表情を真面目なものに変え、ポールソンは話し始める。
「今回、ワイルダー殿をお呼びした件についてですが、単刀直入に申します。要件は二つ、この国の兵たちに大陸式の調練を施して欲しいのです。そして、時期がくればこの国の軍制改革の青写真を引いて欲しい」
ワイルダーは調練の要請に対しては対して驚きはしなかった、先程見た兵の訓練から薄々勘付いていたのだ。だが、二つ目の要請には驚かざるを得なかった。
(軍制改革まで視野に入れているのか……)
練兵だけを近代化しても、その運用が旧式のままではその真価を発揮できない。リスクと労力の多い軍制改革の実施まで視野に入れているのは、ポールソンのこの軍に対する問題意識の高さを示している。
(……面白い話ではあるな、うまくいけば一軍を思うがままに動かせる。シュローニュでは望めない栄達だな)
異国の地で栄達を極める自分を思い浮かべ、心中でほくそ笑むが、すぐにその幻想を打ち払う。異国の者に簡単に軍権を渡すはずがない。それでも自分の戦術を、理論を世に出し、真価を問いたいという欲求に駆られてしまう。
腹を括ったワイルダーは、ややぎこちない作り笑いを浮かべつつ頷く。
「私のような者に務まるかは分かりませんが、この国に助けられた身。どうぞ存分にお使いください」
「おお、受けてくださいますか、感謝します」
ポールソンはその巨躯を腰から屈し、ワイルダーに対して頭を下げる。そして直ぐに頭を上げると笑顔を浮かべつつ話し始める。
「早速、中身の話で悪いのですが、先程、訓練を見られたと思います。ご覧のとおり大陸の兵とは似てもにつかない訓練を行わせています」
ワイルダーはポールソンの言葉に違和感を覚える。
「ポールソン殿は大陸の練兵を見たことが?」
「ええ、何度か。昔、大陸で傭兵の真似事をやっていた時期がありましたので。ですが、自分でそれをやるとなるとどうしても上手くいかないもので」
ワイルダーは先ほどの訓練の様子を思い出す。恐らく、フレティア王国の練兵は個人の力量を上げることに傾注しており、集団での戦いというものをあまり想定していない。これは、その任務の大半が少人数で行われる治安活動などであるのと、建国以来、他国との戦争を経験していないフレティア王国独特の事情のためであり。ポールソンの訓練が失敗したのも集団戦を理解していない兵士ばかりであったのと、当のポールソンも集団戦の真意を理解できていなかったからであろう。
「それは、仕方がないでしょう。大陸式の練兵は、戦場を知った多くの貴族や傭兵が兵を鍛え上げていますので、高度な結束があり戦場でも通用します。フレティアには実戦経験のある兵士達はいますか?」
ワイルダーの話を聞いたポールソンとアンドリューは、苦虫を何匹も噛み潰したような顔で顔を見合わせる。
「ワイルダー殿、我が国の大半の兵は実戦経験がない。剣を抜くことなど街での治安維持活動か、郊外に現れた魔獣との戦闘くらいだ。実戦経験のある兵士はほとんどいない。どうしてもそれは必要ですか?」
「絶対必要というわけではありません。いざとなれば大陸から傭兵を呼べば良いでしょう」
大陸式教練の肝は統制された動きにある。隊列を組み、足並みをそろえ、指揮官の命令通り行動する。個性を殺し、集団の歯車としてのみ動く兵隊を作り上げる。そのためには、戦場での動きを知り、それなりの教養を持つ者達が大量に必要である。
大陸では諸国が割拠し戦乱が絶えないため、そういった連中は軍人貴族や傭兵など掃いて捨てるほどいる。金さえ積めばフレティアくらいであれば足を伸ばす連中も多くいる。
「やはり、必要ですか。……ブレット、予算の方は?」
「……ある訳無いだろう。あったら、ワイルダー殿をここに呼ぶ前に、大陸から召喚している」
そんな二人の会話を聞いていると、ワイルダーは自分が昔、温めていた計画が頭をよぎる。
(士官育成のための学校の設立。……試すには、いい機会か)
軍隊の指揮官の全てに同質の教育を受けさせるれば、部隊ごとの練度の差をこ少なくするとができる。非貴族の受け入れにより、多くの指揮官が自分の実力ではなく門地や財力でその地位についている現状を多少なりとも打破できる。従来よりもずっと短い期間で士官を大量育成できる。
もはや、シュローニュ軍での栄達が望めない以上、この建策を世に出す機会はもう訪れないだろう、ワイルダーはこの機会にかけてみることにした。
「大陸では行われていない試みではありますが、軍人の学校、つまり士官学校で教育するという手があります。効果のほどは未知数ですが、やる価値はあると思います」
ワイルダーの言葉にアンドリューがまず興味を示す。
「それは、ワイルダー殿が自ら考えたものですかな?」
「ええ、私が若い頃、軍の改革のため考えていた案です。最もシュローニュでは採用されることはありませんでしたが……。まぁ、若い時分に考えたものとはいえ、今でもかなり自信のある建策であったと思います。いかがですか?」
ポールソンはワイルダーの言葉に「面白い」といった様子で答える。
「良い考えですな。必要な量の士官を供給できる。しっかりと教育さえすれば実戦経験のある連中とも十分に渡り合える。……どうせ手詰まり、やってみる価値は十分です」
とんとん拍子に進んでいく話にも遅れることなく、アンドリューは落ち着き払った様子でポールソンに尋ねる。
「やるとなると、校舎が必要ですな。……ブレット、確か王立学院の一部が縮小されると言っていなかったか?」
「ああ、中央の連中は自分の子を官衙にねじ込むのに、頭のいい平民は不要だそうだ。まさか、あんなところに作れと言うんじゃないだろうな、あそこは法衣貴族と官吏の牙城だぞ」
アンドリューの提案を察したポールソンは渋い顔をする。
王立学院は中央官僚の育成を目的として設立された機関である。生徒は貴族、平民を問わず広く受け入れていたが、ポールソンの言葉どうり最近になって平民の受け入れ枠が減りつつあるのが現状で、施設の一部に空きが出始めている。
「別に構わんだろう。場所を遊ばせるのはもったいない。向こうも溢れた平民の受け入れと軍の監視ができるんだ、喜んで間借りさせてくれるだろう。自前の建物は金を貯めて立派なのをそのうち建てればいい、建材ならうちが安く用意してやるぞ」
アンドリューの本心とも冗談とも取れない言葉に反応することなくポールソンは深く考え込む。アンドリューの言うとおり、学院や貴族連中も受け入れを受諾してくれるだろう。だがその分、軍に対する要求や予算が厳しくなることであろう。せっかく、今まで何とか守ってきた軍の権利を切り売りする契機となってしまうのではないか、そう危惧しているのだろう。
「連中の横槍が心配なら、こっちから釘を刺しておいてやる。全ては無理かもしれんが多少はマシだろう」
「貴様がそう言ってくれるなら、こちらもやぶさかじゃない」
アンドリューの言葉に嬉しそうな表情で応える。少しわざとらしい様なこの笑みには、その言葉を待っていたという意味が含まれているようだ。
「場所が決まったことはいいことですが、教官は私一人では全てを賄えません。何人か鍛え上げなければ、できれば実戦経験のある者も欲しいですね」
「しばらくは時間があるので、ここの奴らから選りすぐって鍛えましょう。ここにいる連中は一応、フレティア軍の中では優秀な部類です。ワイルダー殿が鍛えれば教官も務まるでしょう」
ポールソンの言葉通り、テスカウェル砦に置かれる兵は国軍の最精鋭。その大半が訓練や警邏をせず、昼間から酒を煽っている地方の軍とは違い、愛国心や英雄願望、立身出世、動機は様々ながら意気溢れる若者達ばかりである。
「実戦経験のある者については、私に心当たりがあります。ワイルダー殿のように部隊を率いた経験はありませんが、読み書きも問題なく出来る者です」
「それは頼もしい、これだけあれば、そうですね……。三年ほど時間を頂ければ、何とか形にはなるでしょう」
「十分です。むしろ、学舎の設置の根回しが間に合わないくらいです。他に必要なものはありますか?」
ワイルダーは少し悩んで応える。
「大方は、この砦にあるもので賄えると思いますので大丈夫でしょう。必要なものがあればその都度連絡しましょう」
「なら、良いのですが。どうぞ困ったときはなんなりとお申し付けください」
「ありがとうございます。では、いつごろから始めればいいでしょうか?早いうちがいいのなら、明日にでも始めることができますが」
ワイルダーの急いた発言に苦笑いでポールソンは応える。
「こちらとしてもそれは大歓迎なのですが、敵が多くいましてね。それをどうにかしないことにはなんとも……」
ポールソンの言う敵は要するに貴族内の「反軍派」達のことである。彼らは常々軍の予算削減と権限譲渡声高に叫ぶ連中だ。反軍の理由は様々であるが、彼らの共通する目的はただ一つ、現在の軍を王国から無くしてしまうことだ。彼らのことだなんの肩書きもない人種が調練を行ってると知ったら、これをネタにまた揺すってくるであろう。
「敵、ですか……、どこの国にもいるのですね」
ワイルダーも含みのあるポールソンの言葉を察し、同情的だ。恐らくシュローニュででも似た経験があるのだろう。
自分が関係のない話ばかりで、時折、自分の爪を眺めて暇を潰していたアンドリューが、二人の会話が聴き終るや否や爪から目を離しワイルダーに提案をする。
「そういうことなら、ワイルダー殿はしばらくは暇になる。これを期に少しフレティアを見て回りませんか? 勿論屋敷で待っている副官殿も一緒にです」
アンドリューの提案は、ワイルダーにとって非常に魅力的な提案に思える。これから私が教えることになる国の様子を少しでも知っておきたいし、この耳長族という人種に少し興味を抱き始めたからである。
「期間はどのくらいでしょう」
「約二ヶ月。ここから西のポート・ヴァールまでは、私も用があるので付いて行きましょう。それ以降は家から人を出しましょう」
長い間、軍に身を置き、気軽な旅行など望めなかったワイルダーにとって、アンドリューの言葉は首を縦に動かすには十分魅力的であった。
「行かせてもらいます。屋敷で待っているイーデンも喜ぶでしょう」
「それは良かった。では、存分にこの国を見ていってください。ヴァールでは私の孫たちを紹介しますよ」
「それは楽しみですね」
「楽しみにしておいてください、自慢の孫ですから」
そんな話をしていると、先程のオズワルドと呼ばれた若い兵士が茶を運んでくる。三人はそれを楽しみながら、しばらく他愛のない会話を交わしたのち今日の会談はお開きとなった、ポールソンとワイルダーは別れの際に固い握手を交わし、これからの改革を誓い合った。
二人の男が自分の理想に、一人の男を巻き込もうとして、その男の野心に巻き込まれる形となった、この会談はこの国の形を変えるための大きな原動力となっていくが、それを知り得る者はまだ誰もいない。
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