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序章 ある軍人の後悔

 

 

 夜も明けきらぬ、まだ払暁とも言えない時間に怪しく動く男たちの一団がいる。


 男たちは皆、革の軽鎧を着込み、闇を欺く様な黒い外套を羽織っている。その身のこなしはただの兵士とは言い難く、恐らく何かしらの特別な訓練を受けたものだろう。


 一団は大小さまざまに別れ、王都のあちらこちらに散らばってゆく。目的の場所に着いたであろう者たちは、静かに人目につかない場所に息を潜め隠れる。


 しばらくすると、東の空がやや霞がかるのが見える。それを確認すると男たちは各所で一斉に動き出した。


 あるものは館の門を打ち破り、館の主の寝所に乗り込みその喉笛を掻っ切る、あるものは官衙であろう建物に押し入り、中の守衛を切り倒し建物内の机や椅子でもって入口にバリケードを築く。


 王都のあちこちから苦悶の声と、命乞いの啜り泣くような声そして、剣戟の音が聞こえ始めた。今まさに王都は暴力と野心が渦巻く、大釜の中に放り込まれようとしていた。


 王都中心部にある屋敷の一室でこの一連の騒乱の主犯達がたむろしている。


「打つべき手は全て打った。後は、成るように成るだけだ」


 若い男たちに囲まれた初老の男性はそうつぶやく。


「我らが明日、叛徒として城門に晒されるか、王太子殿下を擁立し王城に巣食う君側の奸を討つかの大博打はもう始まってしまったのだよ」


 言葉の主、フレティア王国軍務卿エドワード・スチムソン伯爵は周りの若者たちに、物を教える教師のような声色で語りかける。


「もとより我らが望んで行っていること、もはや後悔の念などありません」


「我ら一同、刑場の露と消えようともなんの後悔が有りましょうや。全てはこの国の民を思えばのこと」


 エドワードを囲う若者たちは口々に血気盛んな言葉をあげる。だが、その言葉のほとんどがエドワードが望んだような言葉ではなかった。


(運命の女神はどうしても私を、王家に仇なす反逆者にしたいようだ)

 

 今まさに始まってしまったこの国の最高権力への反逆――つまりはクーデター――をエドワードは望んでいたわけではなかった。


(全ては十年前だあの魔獣どもとの戦さえなければ!)


 エドワードは十年前の自分が陸軍卿になるきっかけとなった事件を思い出す。


 十年前に大陸南部に位置する大森林で、子悪鬼ゴブリン豚人族オークを中心とした魔獣が大量発生した。原因は恐らく餌である草食獣の大量発生だと言われている。


 しかし、いかに草食獣が大量発生したとはいえ、草食獣の繁殖が魔獣の食欲に追いつくことはなかった。草食獣を食い尽くした魔獣達はたちまち飢えてしまった。


 いつもであれば、増えすぎた魔獣たちは共食いや飢えで勝手に減って森の秩序はまた元に戻るはずなのだが、十年前の大繁殖ではどういうわけか魔獣たちが徒党を組んで南部の村々を襲い始めた。


 そして、間が悪いことに、当時隣国との国境で緊張状態が続いており、軍の主力が国境から離れられない状況にあった。


 南から大挙してやって来た魔獣の大軍に対して、ごく小規模な守備部隊や、四十路に手が届きそうな老兵しかいない予備部隊ではまともな対応ができなかった。


 そんな魔獣対策に手をこまねいていた軍に対し、当時権勢を振るってい、軍内部にも自らの勢力を築こうとする宮廷貴族が圧力かけ始めた。圧力に耐えかねた軍は宮廷貴族主導で臨時編成部隊の編成を行わざるを得なくなった。


 初めは「人員と指揮官ともにうちが出すので、装備のみを軍が出せ」という軍としては飲みがたいものであった。


 度重なる協議の結果、指揮官を宮廷貴族が軍から指名し兵と士官を貴族から出し、武器などの装備は軍が出し、食料などの消耗品を貴族が出すということで大筋合意した。


 ここまでは問題はなかった、問題は指揮官が当時軍務省の軍務畑にいた実戦経験皆無のエドワードが指名されたことと、送られてきた兵が農村部出身の小作人であったこと、同じく送られてきた士官が子爵未満の宮廷貴族の子弟であったことだ。


 エドワードは宮廷貴族の子爵家の次男であり、当時、軍務省兵備局という前線部隊からは“倉庫番”と言われる閑職にいた。宮廷貴族の連中は、身内の流れを汲み、扱いの容易そうなエドワードを指揮官に指名したのであろう。軍務省も下手な活躍をされ、宮廷貴族に発言権を付けられるのは面倒だと、この指名を受け入れた。


 当時、農村部の小作人は、身売りをしなければいけないほどの貧困にあえいでいおり、政変によりそれまで王領であった土地の権利を奪い、寄生地主化していた宮廷貴族は、そんな小作人を小作料の免除を餌に地方から引っ張り出してきたのだ。


 そして当時、子爵未満の貴族は宮廷貴族の中でもかなり位の低い連中だ。中級官吏や教師として働き、国からの給料で生活しており、その下の男爵は給料もさらに少なく爵位を世襲することも許されない。そんな連中の子弟の生活も、やはり厳しいものばかりであった。この現状を打破するため、気概のある連中が、軍で一旗揚げてやろうと新部隊に志願してきたのだ。


 この兵と士官の相性が、エドワードにとっては最悪と言っていいほど悪かった。士官である貴族は、高位の宮廷貴族に虐げられる農民兵に自らを重ね、兵に対して横暴に振舞うことはなかった。兵も自分たちを人道的に扱ってくれる士官を感謝こそすれ不満や不平を漏らすことはなかった。


 こんな士官と兵たちが打ち解けるまでには時間はかからなかった。厳しい訓練の後、あるものは自らの財布から金を出し兵とともに酒を酌み交わし、あるものは、夜遅くまで文盲であった兵たちに読み書きと算盤を教えた。実戦に出るまでの訓練期間一ヶ月の間で、全ての士官が兵と寝食を共にするようにまでなった。


 厳しい訓練に耐え、士官と兵の結束も正規軍以上、さらに意外なことにエドワードの指揮にも非凡なものがあり、正規軍から“寄せ集め”とのそしりを受けていた臨時編成部隊は、数に勝る魔獣に対し連戦連勝。南部の村々を解放していった。


 そんな中、士官の中には「小作人や自分たちを冷遇する今の制度を変えるべきである」という反体制の声が上がり始めた。この声を聞いたエドワードは宮廷貴族に目をつけられてはかなわないと、すぐに声を上げた者達を呼びつけて、口頭で厳重注意を行ったのだ。


「貴様らの理想は大したものだが、今それについて声を上げるべきではない。しばらくは隠忍自重し、この戦いが終わるまでは戦いに集中しろ」


(今思い出しても腹立たしい、なぜこの馬鹿達はこの言葉を自分の都合のいいようにしか解釈しなかったのだ!)


 この過激な士官たちはエドワードの言葉に反発するかと思いきや、それを受け入れ気味が悪いほど軍務に励み始めた。


(今思えばあの時に何かしらの対策を打っておけばよかった……)


 エドワードの臨時編成部隊はこのような諸問題を孕みつつも、結成から約半年で南部の魔獣活動地域を平定。大森林の奥深くまで進軍し一年で子悪鬼ゴブリンの巣を三つ、豚人オークの巣を二つ焼き払いさらに小規模な一つ目悪鬼(サイクロプス)の群れを打倒した。


 この活躍に宮廷貴族は喜び、軍もその実力を認めることになった。魔獣討伐後、臨時編成部隊を魔獣討伐の専門部隊として常設する運びとなった。これにより宮廷貴族は軍内部にも影響力を持つことができたと考えた。


 だが、これが大きな間違いであった。この魔獣討伐の専門部隊は、正式に魔獣討伐軍と名を変え、反体制派の牙城となっていった。エドワードが摘み取ったと思っていた反体制の思想は、魔獣討伐軍の中で秘密裏に育っていたのである。


 戦功により陞爵しょうしゃくしたエドワードは、戦後3年間ほど軍の士官学校で対魔獣戦術の教育と、魔獣討伐軍の人員確保のために教官として赴任していた、その後改めて魔獣討伐軍の指揮官として帰還した時に魔獣討伐軍の異様さに気がついた。


 毎日のように私室に昔、隠忍自重しろといった士官たちが「義挙を行うにあたっての指揮官となって欲しい」と、詰め寄ってくるのである。初めはすぐに収まるであろうと楽観的観測をしていた時期もあった。


 だが、自分の後任として赴任した教官たちが、反体制の思想を持つ新米士官を軍全体にばら撒き、かつて宮廷貴族との政争に敗れ、反主流となっていた法衣貴族の官吏たちと協力関係を築いていることに気づいたときは、もう全てが遅いのだと悟った。


 エドワードは、これだけ大掛かりに動いているのだから、宮廷貴族側の密偵が気づいていると思い調べてみると、見事といっていいほど巧妙に隠されていた。流石は軍に身を置くとは言え貴族の子弟、その防諜のやり方も実に巧妙であった。二重スパイや買収は基本として、真実の入り混じったどうでもいい情報を流す欺瞞工作などの手段を使い、宮廷貴族側に流れる情報はせいぜい軍内部の汚職や、自分たちと関係のない反体制派の情報だけであり、逆に宮廷貴族が送り込んでくる密偵の情報を取ってくるほどであった。


 この状況を知ったエドワードはもうこれまでと、極力国力が減退せず、早期に収束が望める計画を条件に、士官たちの要求を受け入れ、本格的にこのクーデターに参加し、その首魁として、今こうして各部隊から送られてくるであろう報告を待っている。


(どうしてこうなった…… どうしてこうなったのだ!)


 エドワードは今日何度目か数えるのも億劫になった後悔を心の中で行う。


(私はただ静かに、平凡に暮らしたかっただけなのだ。さっさと軍を退役し、王都の郊外にでも家を構え、釣りでもして過ごしたかったのだ)


 今となっては叶わない夢がエドワードの心の中に空虚に響く、そして自分の屋敷のすぐ外からは剣戟の音が聞こえてくる。


 フレティア歴298年11月3日 もう夜と言うには明るすぎる王都は暴力と野望が煮込まれた大鍋の中にある。





 ご意見・ご感想お待ちしております。


 2015年 12月13日 プロット改変のため、矛盾点などを修正

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