第1話 神の言葉
喉にナイフが刺さって倒れている巨大な熊の死体がある
これがブレードベアだろう
ナイフといっても、柄の部分に折れた棒の端が紐でくくりつけられ、近くに折れた棒の片割れが落ちているところを見ると、村人たちは手製の槍を使ってブレードベアを倒したらしい
しかしその周りには…
熊の爪で頭を割られ、脳を飛び散らした死体
腹を裂かれ、内臓が飛び出た死体
首があり得ない向きに曲がった死体などが散乱し、悲惨な光景が広がっている
(命の軽い世界)
(幻想でなく現実)
神の言葉が今更ながら頭に浮かび
「……うっ、うぷっ」
僕はこみ上げてくる吐き気に、物陰に移動すると胃の中身を全部吐き出した
もっとも、転生した際に、体内までリセットされたらしく、胃液しかでなかったが
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「誰かー、誰かいませんかー」
僕は既に修得していた、癒し手のL3のスキル『クールダウン』を使用して、心を落ち着かせると
生き残りの村人を探して村の中を移動していた
「……誰もいないみたいだ
やっぱりみんな死んじゃったのかな…
あ、そういえば…」
僕は再び神の言葉を思い出した
(ブレードベアに襲われて全滅した小さな村がある)
全滅『した』確かに神はそう言っていた
「つまり生き残りはいないってことか…
やるせないな…」
苦痛に満ちた表情の死体を見ながら
つい1人言を呟いた
「僕はこの村の人たちとは縁もゆかりもない
だけど、一応この村の生き残りという設定だったよな…」
僕が選んだ道は、せめて村人たちが安らかに眠れるように
お墓を作ることだった
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一通り村の内外を探索してみると
近くの丘の中腹にいくつかの木製の十字の墓標が見つかった
おそらくここが共同墓地だろう
ふと、思い立ってこの村そのものに『鑑定』を使用してみると
『(元)スターハ村
6戸21人の寒村だった集落
特産は岩塩と野兎等の干し肉、植物の蔓を使った細工物
村の北にある岩塩の採掘できる洞窟に干し肉等を保存している
住民は、村長兼長老のグリシェ(65)
グリシェの息子で猟師のグリート(43)
・
・
・
・』
と出た
そこで僕は、まず村の中からスコップや鍬、斧、鋸、ナイフなどの必要な道具を探した後
21人分の墓穴を掘り、なるべく家族が近くにいられるように
1人1人を鑑定して名前を調べ、穴に運び、埋めて行った
非力なはずの僕にこれだけの力仕事ができたのは
おそらくメインクラスに選んだ戦士のStr補正が効いているのだろう
そして薪用だったと思われる丸太を削り、組み合わせて十字にし、横木にナイフで名前を彫って墓標にする作業を行ったが
10人分完成したところで日が大分傾いてきたので
今日の作業はここまでにして
食事を作ることにした
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僕はまず、生活魔法のレベルを一気に10に上げ
着火や清浄などを修得し
即清浄を使用して体の汚れを落とした
「やっぱり最後の120ポイントは大きかったな
それにタレントスキルのおかげで42ポイントでレベル10にできるし」
そして竈に着火で火を起こした後
村探索の過程で見つけていた畑から、この世界にも存在していたジャガイモと未成熟の大豆(いわゆる枝豆)を収穫し
さらに湧き水と岩塩を長老家族の家に運び、塩茹でにすることにした
「こんな時でもお腹はすくんだな
肉はちょっと食べたくないけど」
クールダウンと自分自身のスプラッタ映像を見ていたおかげで、吐き気こそ収まっていたが、どうしても今、肉は食べる気になれなかった
そして僕は茹で芋と枝豆を、口に押し込むようにして食べた後、複数の布団を重ねて、その間に入って寝ることにした
「紗那…父さんたち…
元気でやってるかな…
いや、僕が死んだばかりだから、さすがに無理かな…
明日…お墓が完成したら
アイワンだったかアワインだったかの町を目指そう…」
さすがに疲れていたのか
布団の中に入るとすぐに眠気が襲ってきて、僕は意識を手放した
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朝起きた僕は、汲んでおいた水で顔を洗い、昨夜の残りの茹で芋を食べた後
再び墓標作りの作業に入った
手慣れて来たのか、昼前には墓標が完成し、村人たちを埋めた場所に立てることでようやく墓ができた
その後、この世界の流儀がわからなかったので
日本風に正座し、手を合わせて冥福を祈った
そして茹でた干し肉とジャガイモを昼食にし、丁度いい長さと太さの棒と布で木刀を作り(この村には剣が無かった)さらにナイフと棒で槍も作った
「昨日の鑑定では、町まで2時間ほどと出ていた
今から出れば3時前には着けるだろう」
ようやく明の転生者としての生活が始まる
次回タイトル予告「騎士と従者」
用語解説
ブレードベア
個体によっては4メートルを超える巨大な熊
その名の通り、20〜30センチにもなる長く鋭い刃のような前足の爪が特徴
攻撃力は高いが、遠距離攻撃手段を持たず、長い爪のせいで移動速度はさほどではないため(それでも人間よりは速い)中級以上の冒険者から、よく狩られる存在でもある
肉は硬い上に臭く、食用には向かないが
毛皮は防具に、爪はナイフや槍の穂先になり
新鮮な肝臓は薬にもなるため
初級冒険者が無謀な挑戦をして返り討ちに合うことも多い