婚約破棄されたので喜んで帰ったら、王太子に溺愛されました
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「アリシア・フェルグラント。お前との婚約を破棄する」
王立学院の卒業夜会。
大広間の中央で、第一王子エドワード殿下はそう宣言した。
ざわ、と会場が揺れる。
殿下の隣には、淡い金髪の令嬢がいた。
男爵令嬢のミレーナ。
最近、殿下が頻繁に連れ歩いている女性だ。
私が黙っていると、殿下は更に続けて口を回す。
「理由は簡単だ。お前は王太子妃に相応しくない」
「まあ」
私は思わず声を漏らした。
相応しくない。
その言葉を聞いて、私は胸の内で小さく息を吐いた。
――やっとだ。
これで、ようやく終わる。
「お前は冷たい。ミレーナのように誰にでも優しくできない。王太子妃になるには、人を思いやる心が欠けている!」
「そうですか」
「それに、お前は私に対していつも事務的だった!」
「そうですか」
「……何だ、その態度は」
「いえ」
私は微笑んだ。
「殿下のお話が終わったのでしたら、帰ってもよろしいでしょうか?」
会場が静まり返った。
「……は?」
「ですから、帰ってもよろしいでしょうか」
殿下が目を丸くする。
「お前は自分が何を言われたのか分かっているのか? 婚約破棄だぞ!」
「はい。ですから、嬉しいのです」
「……嬉しい?」
ミレーナが小さく笑った。
「アリシア様、負け惜しみはおやめください。エドワード様に捨てられたのですもの。お可哀想に」
「いいえ」
私は彼女を見る。
「本当に嬉しいのです」
そして、侍女に預けていた小さな封筒を受け取った。
厳重に封されたそれを慎重に破る。
中から出てきたのは、一枚の紙。
私はそれを取り出した。
「では、殿下。こちらを」
「何だ、これは」
「婚約解消に伴う確認書です」
「……確認書?」
「婚約破棄をされることは想定しておりましたので」
殿下の顔が引きつった。
「想定していた?」
「はい」
「いつからだ」
「三か月ほど前からです」
ざわめきが大きくなる。
「では、こちらに署名をお願いします」
「待て。なぜお前がそんなものを用意している!」
「なぜ、と言われましても」
私は首を傾げた。
「殿下は以前から、私との婚約を破棄したいとおっしゃっていましたから」
「そ、そんなことは――」
「先月は五回。その前の月は三回。その前は二回」
「……」
「記録してあります」
私は手帳を開いた。
該当のページにびっしりと書かれた文字をみて、殿下が黙った。
会場の隅から、誰かが吹き出した。
「それだけではありません」
私はページをめくった。
「王宮予算を私的な夜会に流用した件。視察をミレーナ様との旅行に変更した件。外交使節団との会談を忘れていた件。王立図書館の蔵書を勝手に持ち出した件」
「アリシア!」
「はい」
「それは……!」
「すべて記録しております」
私は手帳を閉じた。
殿下が睨みつけてくる。
「なぜそんな、くだらん記録をしている」
「婚約破棄されると思ったからです」
「……」
「私にはもう、殿下の尻拭いをする義務がありませんので公開しても良いかと」
その瞬間だった。
大扉が開いた。
「――その通りだ」
低い声が響く。
全員が振り返った。
入ってきたのは、国王陛下だった。
その後ろには宰相と、私の父であるフェルグラント公爵。
そしてもう一人。
黒い礼服を着た、銀髪の青年。
私はその姿を見た瞬間、少しだけ目を細めた。
「父上……?」
エドワード殿下の顔から血の気が引いていく。
「父上、なぜここへ」
「お前が重大な発言をすると聞いてな」
「それは側近達にしか言ってないはず……」
「私の耳はどこにでもあると思え」
国王陛下は静かに答えた。
殿下は絶句し、立ち尽くしていた。
「婚約破棄を宣言したそうだな」
「はい! 私はアリシアとの婚約を――」
「許可する」
「……え?」
殿下が固まった。
確かに最終的には認めてほしいのだろうが、まだしっかり説明もしていないうちに認められたため、困惑の方が強いのだろう。
国王陛下は私を見る。
「アリシア嬢。長い間、息子の面倒を見させてしまったな」
「いえ」
私は頭を下げた。
「こちらこそ、お世話になりました」
「……そうか」
国王陛下は少し寂しそうに笑った。
「では、これでフェルグラント公爵家と王家の婚姻契約は終了する」
そして、もう一つ。
陛下はこの場全てに届くように宣言を行った。
「それに伴い、エドワードを王太子から廃嫡する」
「お待ちください!」
声を上げたのはミレーナだった。
「そんな……! いったいどういうことですか!」
「以前より考えていたのだ。エドワードの能力はこの国を支えるに足らない。……だからこそ、アリシア嬢の能力を持って、どうにかこの国を預けられる、そう思っておったのだ」
父の言葉に、殿下が声をあげられる。
「そんな、私はこの国をしっかりと――」
「では、今までの業務を己1人でできるというのか?」
「そ、それは」
「いくら、優秀な大臣達が居ようと、最後に印を押すのは王なのだぞ。――今までの書類程度片付けられずどうするのだ」
殿下は言葉を失い、崩れ落ちる。
会場が凍りついた。
王の言葉こそ、この国では法。
確かに裁判などもあるが、このザマでは誰も助けに入らないだろう。
それに、この方は自分の意見だけで決められるお方ではない。
しっかりと証拠を用意していることだろう。
エドワード殿下が叫ぶ。
最後の抵抗だろうか。
「父上! 私は王太子ですよ!」
「違う」
「なぜです!」
「もう一度言うが、お前が今、捨てたものが何なのか分かっていないから、王太子でなくなるのだ」
国王陛下が私を見る。
「フェルグラント家との婚姻を失えば、お前を公私共にしっかりと支える者はいなくなる」
「ですが、ミレーナが!」
「男爵令嬢一人で王太子を支えられると思うか?」
ミレーナが青ざめる。
そして国王陛下は、後ろにいた銀髪の青年へ視線を向けた。
「第二王子ルシアン」
「はい」
「本日より王太子位をお前に譲る」
大きなどよめきが起こった。
私は黙って彼を見た。
ルシアン殿下。
私と同い年。
第二王子。
幼い頃からほとんど表に姿を見せず、王宮や北部の伯爵領で過ごしていた方。
そして――。
「アリシア」
「はい」
「久しぶり」
彼が微笑んだ。
その瞬間。
会場の空気が変わった。
「……お久しぶりです、殿下」
「敬語?」
「一応、殿下ですので」
「昔はルシアンと呼んでくれたのに」
「昔の話です」
「そう」
彼は少し寂しそうに笑った。
そこで、我慢できずにエドワード殿下が叫ぶ。
「なぜルシアンが! 私は長男だぞ!」
国王陛下は答えなかった。
代わりに宰相が一歩前へ出る。
「エドワード殿下。ご存じなかったのですか?」
「何を!」
「王太子として必要な資質を判定するため、三年間にわたり秘密裏に調査が行われておりました」
「……」
「その結果、殿下の評価は最低値でした」
会場のあちこちから息を呑む音が聞こえる。
なるほど。
これが、王が決断するに足る証拠。
「一方、ルシアン殿下は国境紛争を収め、北部の税収を三年で倍増させています」
「そんな……」
「そして」
宰相は私を見る。
「アリシア嬢は、その三年間、エドワード殿下の公務を補佐しながら、すべての問題を記録しておりました」
私は黙っていた。
王宮にいらっしゃる時は、必ず私が呼ばれて補佐を行っていた。
元婚約者様は色々なお相手と遊びになられていたので、私は誰に咎められることもなく、悠々と補佐を行えた。
「本来ならば、その記録は王太子の教育資料として提出される予定でした」
「……では」
ルシアン殿下が口を開いた。
「ありがとう」
「いえ。もう何度もその言葉をいただいております」
「それでも、改めてだよ」
「……はい」
ルシアン殿下は優しく笑いかけながら感謝を伝えて下さる。
そして一歩、私の方に近寄ってくる。
「もう一つだけ聞きたい」
ルシアン殿下が更に近づいてくる。
「俺が王太子になることを、君はどう思う?」
「大変そうですね」
「君なら支えてくれる?」
「嫌です」
「即答だね」
彼は笑った。
私は少しだけ頬を緩める。
「もう誰かの尻拭いはしたくありませんから」
「それなら安心して」
「何がです?」
「俺は君に尻拭いをさせるつもりはない」
「……」
「俺が君を支えるから」
その言葉に、胸が小さく跳ねた。
だが私は気づかないふりをした。
「殿下。そういうことは、婚約者でもない女性に軽々しく言うものではありませんよ」
「では、婚約者になればいい?」
「……何を」
「君が望むなら」
私は黙り込んだ。
会場中の視線が集まっている。
国王陛下まで面白そうにこちらを見ていた。
「アリシア」
「はい」
「俺はずっと待っていた」
「……何をですか?」
「君がエドワードとの婚約から解放される日を」
私は目を見開いた。
「……まさか」
「三年前から、父上に頼んでいた」
「何を」
「エドワードが王太子として相応しくないと判断された場合、君との婚姻を認めてほしい、と」
「……」
「でも君があいつを選ぶなら、諦めるつもりだった」
ルシアン殿下は笑った。
「だから、ずっと待っていた」
私は手にしていた手帳を見た。
三年前。
私がエドワード殿下の婚約者として王宮に通い始めた頃。
何度も王宮の廊下ですれ違った銀髪の少年。
私が落とした書類を拾ってくれた。
雨の日には傘を貸してくれた。
体調を崩した時には、誰にも知られないよう医務室へ薬を届けてくれた。
けれど私は、それを全部――。
「……親切な方なのだと思っていました」
「それだけではないよ」
「え?」
「好きだったから」
心臓が跳ねた。
「君がエドワードの婚約者だったから、言えなかっただけ」
「……」
「でも今日、ようやく言える」
ルシアン殿下が私の前に立つ。
「アリシア。俺と結婚してほしい」
私はしばらく彼を見つめた。
そして――。
「一つ、条件があります」
「何?」
「私を王太子妃として扱わないでください」
「……難しいね」
「私は誰かのために生きるのは、もう嫌です」
「分かった」
「自分の仕事をしたいです」
「好きなだけすればいい」
「記録官として働きたいです」
「王太子妃の執務室を記録室に改装しよう」
「……」
「不満?」
「いえ」
私は少し笑った。
「では、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
彼が手を差し出す。
私はその手を取った。
その直後。
「待ってくれ!」
エドワード殿下の声が響いた。
もう誰も振り返らなかった。
「アリシア! お前は私の婚約者だろう!」
「先ほど破棄なさいましたよ」
「取り消す!」
「できません」
「なぜ!」
「殿下ご自身が、私には王太子妃の資格がないとおっしゃったではありませんか」
「それは……!」
「でしたら、私はその言葉を尊重します」
エドワード殿下は黙った。
ミレーナも震えている。
けれど私は、もう二人を見ることはなかった。
ルシアン殿下と並んで、大広間を出る。
廊下に出たところで、彼が小さく笑った。
「ねえ、アリシア」
「はい?」
「さっきの条件だけど」
「何でしょう?」
「もう一つ追加してもいい?」
「どうぞ」
「俺のことも、少しずつ好きになって」
私は足を止めた。
「……努力します」
「それだけ?」
「はい」
「じゃあ、気長に待つよ」
彼は笑った。
私はその横顔を見ながら、ふと思った。
婚約破棄を告げられた時。
私は、本当に嬉しかった。
自由になれると思ったから。
自分の人生を、自分で選べると思ったから。
けれど――。
もしあの瞬間に戻れるとしても。
私はきっと、同じように笑うだろう。
ただ一つだけ。
あの時より、少しだけ違うことがある。
今度は。
私を選んでくれた人の隣で、自分の人生を選べる。
「ルシアン殿下」
「何?」
「明日から、記録室の改装をお願いします」
「分かった」
「それと、王国中の水路記録を確認したいです」
「うん」
「あと、北部の税収資料も」
「……仕事の話ばかりだね」
「嫌ですか?」
「まさか」
彼は嬉しそうに笑った。
「君が楽しそうなら、それでいい」
その言葉を聞いて。
私はほんの少しだけ、彼の手を握り返した。
婚約破棄の日。
私は婚約者を失った。
そして同時に――。
私をずっと待っていた人を、見つけた。
だから今日の記録には、こう書こうと思う。
『婚約破棄された』
その下に、一行だけ付け足す。
『なお、その結果、人生で一番大切な人に出会った』
私は手帳を閉じた。
そして、新しい人生へ歩き出した。
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