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第三話 撮らない三秒間

冒険者ギルドの受付は朝から混んでいた。


Dランク3年目の書類更新。年に一度の手続きで、内容は住所確認と装備リストの提出だけだ。特に面白いことはない。3年間ずっとそうだった。


「ロック様、新スキル取得枠が開放されています。ご希望のスキルはございますか?」


受付嬢が事務的に言った。Dランク3年目で開放される追加スキル枠。選択肢は4つ。パリィ、二連斬り、体力増強、索敵。


「……二連斬りで」


「かしこまりました。スキル習得書をお渡しします。習熟には個人差がありますが、目安は実戦200回です」


200回。9層の周回で1日に戦闘が6〜8回だから、休みなしで約1ヶ月。現実的なペースだと2ヶ月。まあそんなものだろう、とロックは思った。世界一なだらかな右肩上がり。3年間、ずっとそうやって少しずつ強くなってきた。


書類を出してギルドのロビーに戻ると、空気が変わっていた。


人だかりの向こうに、フードの女が立っていた。身長はロックより頭一つ高い。背中に人間の胴体ほどもある大剣を背負い、左肩にはモンスターの頭部——角と鱗がある、明らかに深層の獲物——を担いでいた。血がフードの裾を伝って、ロビーの床に点々と赤い跡を残している。


査定カウンターの前まで歩くと、獲物をどーんと置いた。カウンターが軋んだ。


「査定、お願いします」


低い声。フードの奥に顔は見えない。


S級冒険者、ヴァルト。登録者89万人。


ギルドのロビーが静まり返った後、ざわめきに変わった。冒険者たちがスマホを取り出して撮影を始める。ヴァルトは構わず査定の書類を書いている。犬型の妖精が足元に座って、尻尾を静かに振っていた。


ロックは人だかりの後ろから見ていた。


あの頭部。角が3本で鱗が黒い。12層のブラックドレイク亜種だ。推奨ランクA・パーティ4名以上。それをソロで。


「あんなのどうやって狩ったんだ……」


呟いてから、スマホを開いた。ヴァルトの最新動画が投稿されていた。


再生する。


BGMなし。実況なし。テロップなし。


画面に映るのは、フードの女の背中と、大剣と、ダンジョンの闇だけだ。足音。呼吸。剣が空を切る音。鱗に刃が食い込む音。血が石壁に散る音。


ヴァルトの配信にはいっさいの装飾がなかった。純粋な戦闘記録。それだけで89万人が見ている。


犬型妖精のカメラワークが完璧だった。斜め後方二歩半の距離を保ったまま、ヴァルトの動きに完全に同期して並走する。剣を振る軌道、踏み込みの角度、回避の重心移動——すべてが画面の中央に収まるように、犬が走っている。


ブラックドレイクの突進。ヴァルトが横に跳ぶ。大剣を振りかぶり、鱗の隙間に刃を突き立てる。返しの尾撃を屈んでかわし、そのまま回転斬り。


コメント欄が沸騰していた。


『化け物かよ』

『なんでソロでいけるんだよ』

『大剣でこの速度はおかしい』

『つよすぎぃぃぃぃ!』


ハッチがいた。やっぱりいた。


ロックは戦闘の凄まじさに息を呑みながらも、それとは別のものを見ていた。


2分38秒。


ヴァルトが大剣を振り上げた瞬間、フードがずれた。顔の右半分が一瞬だけ露出する。


その3秒間、犬妖精のカメラが動いた。


ヴァルトの顔ではなく、斬られたドレイクの残滓——飛び散る鱗の破片を映している。画面構成としては自然だ。戦闘中に敵の破壊エフェクトにカメラが寄るのは、アクション配信ではよくある演出に見える。


3秒後、フードが戻る。犬のカメラもヴァルトの背中に戻る。


何事もなかったように。


ロックは動画を巻き戻した。もう一度見た。さらにもう一度。


偶然ではなかった。犬妖精は、フードがずれるたびに顔を逸らしていた。3回。すべて自然な画面の動きに見えるように、別の被写体に切り替えている。1回目は鱗の破片。2回目は崩れる石柱。3回目は剣に反射した光。


撮らないことが、犬の仕事だった。


ヴァルトの素顔を世界に晒さないこと。89万人の好奇心からフードの下を守ること。それを「撮らない」という行為で——しかも視聴者に気づかれないように——やっている。


「いい妖精だな」


ロックは呟いた。


---


ギルドのロビーでは、ヴァルトがすでに査定を終えて出口に向かっていた。犬妖精が隣を歩いている。ロビーの冒険者たちがスマホを向けているが、犬はそのすべてのカメラから主人の顔を遠ざけるように、さりげなく位置を調整し続けていた。


ロックだけが犬の背中を見ていた。


「お前にも守りたいものがあるんだな」


ロックは、ふと気になることがあって、依頼掲示板の前に移動した。


今日はオフの日だ。依頼を探すつもりはない。


掲示板はランク別に区分けされている。F級・E級の依頼は紙が密集して重なり合い、色褪せたものも多い。D級の欄にはそこそこの数。C級からは貼り替えが早く、紙が新しい。


ロックはD級の欄を眺める。中の下、報酬が少しましなぐらい。行ける階層もソロにしては広い。でも——


視線が自然と上に行く。B級。A級。その上。


S級の欄には、依頼が一枚も貼られていない。


正確には「掲示板に貼る前に完了している」のだ。S級の依頼はギルドが直接ヴァルトに打診し、ヴァルトが受けて、帰ってきて、納品する。掲示板を経由しない。


ロックは自分のD級の欄を見て、S級の空白を見て、またD級の欄を見た。


——遠いなぁ。


別に追いつきたいとも思わない。ただ、物理的な距離として、D級の紙とS級の空白の間に、何枚分の依頼が積み重なっているのかを考えた。


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