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第二話 出汁のタイミング

A級冒険者ゴンザの配信は、朝の同接が4人から始まる。


画面に映っているのは、大柄な男の背中だ。革鎧の上から毛皮の外套を羽織り、体格に似合わない丁寧さで焚き火に薪をくべている。場所はダンジョン7層、第2安全地帯。天井の隙間から差し込む淡い光が、石壁を青白く照らしていた。


ゴンザはA級タンクだ。巨大な盾を背負い、どんな攻撃でも受け止める壁役。パーティ向きの職業で、ソロ向きではない。だがゴンザはソロで7層を周回していた。


配信はいつも同じ構成だった。


まず周回。画面は淡々としていて、盾で殴って倒すだけの戦闘は地味としか言いようがない。同接4人のうち3人は常連で、1人は迷い込んだ新規。新規の半数は5分で去る。


だが、安全地帯に着くと空気が変わる。


彼の真骨頂は、キャンプ飯配信だ。


ゴンザが荷物を降ろし、鍋を取り出す。同接が50人になる。水を汲みに行く。60人。火を起こす。80人。野菜を切り始める。140人。


味噌を投入する。


890人。


コメント欄が爆発した。


『きたああああ』

『味噌の時間だ』

『今日は赤味噌? 白味噌?』

『合わせだろ合わせ。見てわかれ』

『匂いが届かないのがこの配信の唯一の欠点』


ゴンザは飯の話だけ饒舌になる男だった。


「今日は合わせだ。寒い日は合わせがいい。赤の深みと白の甘み、どっちも欲しい日がある。そういう日は体が冷えている」


『わかる』

『わかるわ』

『ゴンザが飯の話してるときだけ文学になるの何?』


同接が1000人を超えた。ロックは味噌ラーメンをすすりながら画面を見ていた。


出汁を取るタイミングが、今日もぴったりだった。


昆布を引き上げるのが沸騰の15秒前。鰹節を入れるのが沸騰直後。火を落とすのが30秒後。毎回同じだ。温度計なんか使っていない。泡の大きさと音だけで判断している。ロックは3年間この配信を見ていて、一度もタイミングがずれたことがないのを知っている。


けれども、それを指摘したコメントは、一度も見たことがなかった。


出汁の取り方がぴったりだからといって、それがなんだという話ではある。A級冒険者の配信で注目すべきはスキルや装備や立ち回りであって、料理の精度ではない。でもロックの目はいつもそこに行く。


「おいしそぉぉぉぉ!」


コメント欄にハッチがいた。こいつどこにでもいるな、とロックは思った。


味噌汁が完成した。ゴンザが両手を合わせる。


「いただきます」


同接14,120人。コメント欄が同じ言葉で埋まった。


『いただきます』

『いただきます』

『いただきます』

『いただきます』


毎回この瞬間にスパチャが飛ぶ。毎回誰かが泣く。ロックも味噌ラーメンに向かって小さく「いただきます」と呟いた。誰にも聞こえない声で。


食事が終わると、同接は急速に減っていく。14,000人が380人になり、ゴンザが寝袋に入ると4人に戻る。画面は暗くなり、焚き火の爆ぜる音だけが残る。


ゴンザはまた配信の切り忘れをしていた。


これも毎回だ。食後に眠くなって、スマホを操作せずに寝てしまう。本人は翌朝「あ、また切り忘れた」と言って消すのがお決まりになっている。


だから、この後の時間を知っているのは常連の4人だけだ。


かちゃ、かちゃ。


画面の端で、食器を洗う音がしていた。


ゴンザは食べ終わった直後に食器を洗う。必ず。どんなに疲れていても、寝る前に必ず。大きな手で小さな椀を丁寧にこすり、水で流し、布で拭いて、荷物の一番上に戻す。


配信を見ている4人のうち、この音を目当てに残っている人間がどれくらいいるのか、ロックは知らない。少なくとも自分はそうだった。


配信画面のアングルを切り替えると、とりさんが映った。——ゴンザのドローン妖精、鳥型のとりさんだ。小さな鳥の幽体が、洗い物をするゴンザの背中を静かに撮っている。


首をわずかに傾げて。味噌が鍋の縁に溶け残っている一滴。消えかけの焚き火。ゴンザの指が椀の縁をなぞる動き。


とりさんは、ゴンザがカメラの前にいないときも、ずっと撮っていた。

何を撮っているのか、たぶん本人にもわかっていない。ただ首を傾げている。誰にも伝わっていない。


でもロックには見えていた。


食器を洗い終えたゴンザが寝袋に入る。焚き火が消える。画面が完全に暗くなる。


音が止んだ。


ロックはイヤホンを外さなかった。暗い画面をしばらく見つめていた。空になったカップ麺の容器が、手の中でへこんだ。


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