第十三話 7人目の配信者
ゴンザが正面から押した。大盾を廃神の双剣に押し当て、一歩も引かない。歯を食いしばっている。声は出ない。だが盾の裏で、ゴンザの足が岩盤にめり込んでいく。
ヴァルトが右から斬った。大剣の一閃が廃神の左腕の鱗を3枚剥がした。返す刀で肩口を狙う。廃神の右剣が迎撃に来る。ヴァルトは躱さなかった。左腕で受けた。骨が軋む音がするはずの場面で、何も聞こえない。だがヴァルトの右腕は止まらなかった。大剣が廃神の肩を抉った。
リセが天井を蹴った。壁を蹴った。廃神の角を足場にして背後に回り込んだ。レンチでは通らない。わかっている。だが通らなくていい。リセが狙っているのは——尻尾だった。着地と同時にレンチを尻尾の付け根に叩き込む。鱗が一枚浮いた。その一枚の隙間にレンチの先端をねじ込み、てこの原理で抉る。
マギステルが11ターン目に入っていた。
足元に魔法陣が重なっている。3重、5重、8重——見たことのない密度。三層のリザードマン相手では絶対に使わない、使う必要のない、使う機会すらなかった理論上の最大火力。
メイが後方で回復を回し続けている。ゴンザへ。ヴァルトへ。リセへ。マギステルの魔力消費をバフで補填する。4人に対する同時維持回復。B級ヒーラーの限界を超えている。額に汗が流れている。
妖精たちは、心配している。
主人から決して目をそらさない。
ロックは叫んだ。声は出ない。わかっている。口だけが動いた。
*——頑張れ。*
誰にも聞こえない声。
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5人が、無音の中で、連携していた。
コメントなし。テキストなし。声なし。配信なし。
配信されない本気。
ロックは5台のスマホを抱えて、後方でそれを見ていた。
その時──
来た。
広告だ。
5人ぶんのスキップできない広告が、同時にロックの意識に流れ込んでくる。
「この素晴らしいポーションを──」
「新作ダンジョンガイド、好評発売中──」
「あなたの冒険にもっと輝きを──」
「期間限定!ゴールドバック・キャンペーン──」
「装備の買い替え、今がチャンス──」
「この夏、あなたも配信者デビュー──」
いや、6本あった。
どうやら阿修羅がロックの方に広告を飛ばしたのだ。
明確なルールがあるようでいて、たまにイレギュラーを挟んでくるのが妖精という存在だ。
6本の映像が頭の中で重なる。音が混ざる。映像がちらつく。意識が六方向に引き裂かれる。
ロックは膝をついた。
スマホを落とすな。落としたら妖精が散る。落としたら仲間との最後の通信が切れる。もくじんとの回線が切れる。
全力でスマホを持ち続けた。
広告の残り時間が表示された。
目を疑った。
1時間。
この広告、1時間もある。
しかも6本同時。
ロックの視界が白く染まる。広告の映像と音声がすべての感覚を塗りつぶしていく。目を閉じても消えない。耳を塞いでも消えない。意識に直接流し込まれている。
広告の向こうに、仲間の姿がちらつく。ゴンザの大盾が揺れている。ヴァルトの大剣が光っている。でも見えない。聞こえない。ポーションの広告が邪魔で。ゴールドバックのキャンペーン情報が邪魔で。
もくじんのテキストも──届かない。
広告がテキスト表示領域まで覆っている。6人ぶんの広告がスマホの画面を完全に埋め尽くし、もくじんのコメント欄が見えない。
ロックは完全に孤立した。
ポータルから帰還するまで、残り30分。
ロックは地面にうずくまっていた。広告の洪水に耐えている。
目を開けても広告。閉じても広告。体を動かそうとすると、意識がブレて広告の音量が上がる。じっとしていることしかできない。
戦場では5人が戦い続けているはずだ。ゴンザが盾を掲げ、ヴァルトが斬り、マギステルがカードを投げ、リセが駆け、メイが浄霊している。その全部が、ロックには見えない。
──俺は何をやっているんだ。
D級。登録者ゼロ。妖精はずっと寝たまま。
二連切りは弾かれた。カードを投げたのが唯一の戦果。それだって、マギステルのカードの力であってロックの力じゃない。
こうやってスマホを抱えているのだって、誰かのスマホを預かっているだけだ。自分のものは何もない。自分の配信はない。自分の視聴者はいない。自分の妖精は眠っている。
「俺みたいなD級の冒険なんて、誰が見るんだよ」
いつもの言葉が浮かんだ。
広告は終わらない。
残り50分。
ロックの意識は薄れかけていた。広告の映像がぐるぐる回っている。体温が下がっている気がする。指先の感覚が怪しい。スマホを落としそうになって、何度も握り直す。
残り48分。
何かが──聞こえた。
広告の隙間に。ノイズの奥に。
最初は気のせいだと思った。でも確かに聞こえる。広告の音声とは違う、金属的な、甲高い音。
音が大きくなっている。広告の映像にヒビが入るように、ノイズが走る。
広告が消えた。
6台同時に。
突然の沈黙。映像が消え、音が消え、ロックの意識に空白が生まれた。
そこに──音が聞こえた。
ブレーキ音。
金属が金属を引き裂くような、耳の奥を引っ掻くような、あの音。
ロックは一度聞いたことがある。リセの配信で。妖精のミュートが解除された瞬間に、最大音量で叩きつけられたあの音。ギルドのベンチで悲鳴を上げた、あの音。
まったく同じ音だった。
目を開けた。
視界が晴れた。
リセが廃神の真横を通り過ぎ、背後にうずくまっていた。
右手に、竜の剣を持っていた。
廃神の武器。古い古い剣。それがリセの手にある。
スティール。
シーフの固有スキル。敵の装備を奪う。成功率は装備のランクに依存する。25層相当のボスの武器を奪う確率は──計算するまでもない。限りなくゼロに近い。でもゼロではない。マギステルの成功率1.5%が可愛く見えるレベルの確率を、リセは引いた。
竜の剣を奪った瞬間──リセが歓声をあげたのだ。
「キィィィィイイイイイ!!!!!」
金属が擦れるような、甲高い振動音。
ブレーキ音が世界を貫いた。
スマホの広告が、同時に消えた。
もくじんのテキストが画面に弾け飛ぶように表示された。
『リセさんがスティールに成功。廃神の武器を奪取しました』
ロックはふらふらと立ち上がった。
目の前の光景を、見た。
廃神は武器を失っていた。
竜が歌を止めた。剣が奪われたことで、それどころではないと判断したのか。
あるいは、ただ単に大音量の歓声に驚いただけなのか。
竜がブレス準備に移行した。巨大な口が開く。喉の奥に光が溜まっていく。だが、歌が止まった以上、妖精たちの動揺は収まりつつある。その間に。
ゴンザが動いた。
大盾を体の横に構え、走った。A級タンクの全力突進。廃神の掘削腕──武器の代わりに振り回し始めた岩の腕に、大盾が正面からぶつかった。
音はない。だが衝撃は見えた。空気が歪み、地面が割れ、ゴンザの足が地面にめり込む。
掘削腕が──止まった。
ゴンザの会心の一撃。スキルではない。タンクとしての純粋な膂力。何百回と廃神の攻撃を受け止めてきた腕が、今この一撃に全てを乗せた。
ヴァルトが飛んだ。
ゴンザの盾を足場にして、跳躍。フードが完全にめくれた。犬妖精は──ロックの足元にいる。見ていない。他の妖精たちも、すっと視線をそらした。ヴァルトの素顔を、今この瞬間、誰も撮っていない。
配信されない全力。
大剣が廃神のもう片方の腕を切断した。
腕が地面に落ちる。振動。
ドラゴンがブレスの体勢に入った。口腔の奥で炎が渦巻いている。25層の底を焼き尽くす灼熱が、解放されようとしていた。
マギステルがその正面に立った。
11ターン。三層の検証用ではない。大会用のテンプレでもない。この戦いのためだけに、この敵のためだけに組んだ、マギステルの本気のデッキ。
「いきますよ——ことね!」
叫んだ。聞こえないと知りながら。ロックの肩のことね妖精が、消えかけのペンライトを全力で振った。
ブレスが放たれた。
マギステルの魔法が放たれた。
白と赤がぶつかった。光が膨張し、熱が膨張し、25層の天井が揺れた。相殺——いや、マギステルの魔法がわずかに押している。余波が廃神の胴を貫いた。鱗が弾け飛び、肉が焼け、骨が露出した。
マギステルが膝をついた。魔力が尽きた。指先の震えが全身に広がっている。だが口元は笑っていた。
「——はぁー、このデッキ、最高におもしろいですね」
しかし、廃神は止まらなかった。
切断された腕が、地面の中から再生し始めた。砕けた岩が集まり、新しい腕を形成していく。掘削腕が再び動き出す。ブレスの準備が再開される。竜が口を開こうとしている。
再生速度が速い。このまま削り続けても、いずれ6人のほうが先に力尽きる。
そのとき、カイトがようやく覚醒した。
壁にもたれたまま、それを見ていた。
体はボロボロだった。広告で意識を飛ばされ、壁に叩きつけられた。肋骨が何本か折れている。立ち上がるたびに視界が揺れる。
でも、頭は動いていた。
カイトの目が、廃神の再生パターンを追っている。掘削腕の再生速度。ブレスの溜め時間。竜が歌い始めるまでのインターバル。全部、数えていた。
転がっていたスマホを拾い上げて、カイトが叫んだ。
「もくじーん!!リーサルあるー!?」
もくじんのテキストが表示される。
「あります」
もくじんのテキストがカイトのコメント欄に表示された。
「リーサルルート、あります。ただし──ルートは目押しだらけです」
「再生核が胸部中央にあります。再生が完了する前に、そこを貫く必要があります。ただし、成功できるかどうか分かりません」
カイトが笑った。折れた肋骨を庇いながら、壁から体を剥がした。
「一発で成功させる!! 俺は天才だ!!」
剣を構えた。
一拍。
「──いや、成功させるよ? 成功させるけどさ!」
もう一拍。
カイトがロックを見た。
「ちょっとこれ持ってて!!」
最後のスマホが、ロックに押し付けられた。
両手もポケットもふさがっていたので、ロックはそれを口にくわえた。
阿修羅妖精がロックのとなりで六本の腕を合掌させた。合掌──サムズアップではなく。祈りだった。
6台のスマホがすべてロックの手にある。
ロックには、彼らの雄姿を見守る責務があった。
カイトのリーサルコンボが始まった。
マギステルの魔法で焼かれた胴の再生が最も遅い。そこから入った。拳が再生途中の鱗を砕き、肉を抉り、骨に到達した。
一撃。再生が始まる前に次の一撃。さらに次。さらに次。
目押し。目押し。目押し。
もくじんが言った「とても確率の低い道」を、カイトは一発で走り抜けていく。0.3秒のフレームに拳を合わせ、0.2秒の隙間に体を滑り込ませ、0.1秒の判断で次の導線を選ぶ。人間の反応速度の限界を、カイトの目だけが超えていく。
ゴンザが盾で廃神の左腕を押さえた。再生部位を物理的に潰し、カイトの導線を確保する。声が出る。
「右だ!」
飯の話以外の一言。今日は何度聞いたか分からない。
ヴァルトが尻尾を斬り落とした。反撃を封じる。大剣が弧を描き、鱗ごと尾を断ち切った。犬妖精がヴァルトの動きに合わせて、体を揺らしていた。
マギステルは消耗しきって倒れていた。メイもすでに疲弊の色が見えてきている。リセが絶叫した。
「いけぇー!!! やっちゃえカイトー!!!」
カイトの目が——光っていた。配信画面越しに何百回と見てきたあの目。コンボが完成する直前の、恐怖と歓喜が混じった目。阿修羅が六本腕のすべてで追いかけても撮りきれない、あの目。
ロックは口にくわえたスマホ越しに、それを見ていた。
歯がスマホの縁に食い込んで痛い。顎が震えている。涎が垂れている。6台のスマホを抱えた体は重くて、妖精たちの体温で腕が熱くて、コメント欄の光で目が眩んで、何も格好よくない。
だがロックの目は、カイトの目を見ていた。
カイトの拳が核に届いた。
最後の一撃。
拳が廃神の胸の中心を貫いた。
音が——鳴った。
何の音かわからなかった。破壊の音か。崩壊の音か。あるいはドラゴンの歌の最後の一節が、ようやく最後まで歌い終わった音だったのかもしれない。
廃神の体に亀裂が走った。鱗が割れ、肉が崩れ、骨が砕ける。再生が止まった。核が壊れたのだ。
崩壊は静かだった。
ゆっくりと、石になっていく。赤黒い鱗が灰色に変わり、角が崩れ、双剣——リセが奪った片方も含めて——が塵になって消えた。
肩のドラゴンが最後まで残った。
石化が足元から這い上がっていく中で、ドラゴンはまだ口を動かしていた。歌っていた。声はもう出ていない。ミュートが解けた世界で、ドラゴンだけがまだ無音だった。自分の歌が聞こえない場所で、それでもまだ歌の形を口でなぞっていた。
石化がドラゴンの尾に達し、胴に達し、首に達し——最後に、口元に達した。
歌が、止まった。
静寂。
25層の底に、灰色の石だけが残った。
ロックはカイトのスマホを口から外した。
歯型がくっきりついている。
「……弁償かな」
6台のスマホが、まだ配信を続けていた。




