第十二話 3つの災厄(後編)
音がない。文字が化ける。もくじんが沈黙した。
6人の配信者は、それでも戦っていた。
声も指示もなく、互いの姿だけを見て。ゴンザが盾を構える角度で「ここを守る」と伝え、ヴァルトの踏み込む足で「次はそこを斬る」と示し、マギステルのカードの持ち方で「火がくる」と報せる。リセの走る方向で「罠がある」と伝え、メイの手の光で「回復が入る」と知らせる。
言葉以前の、体の言語。初めてパーティを組んだはずの6人が、15分間の無音の戦闘を通じて、急速に連携を組み上げていく。
だが廃神の再生は止まらない。ヴァルトの大剣で鱗を砕いても、カイトの連撃で肉を抉っても、マギステルの炎で焼いても——踊りながら再生する。廃神は死なない。
カイトが仕掛けた。
スパチャ連携が使えないなら、自分の判断で最大火力をぶつける。再生速度を上回るリーサルコンボ——カイトの最高技術。配信で何度も見た、あの目押しの連撃。
前衛のゴンザとヴァルトが廃神の両腕を押さえた。隙が生まれた。カイトが地面を蹴り、廃神の懐に飛び込んだ。双短剣が回転する。一撃目。二撃目。三撃——
脳裏に映像が流れ込んだ。
カイトの目が見開かれた。動きが止まった。
『イチサンは、環境に優しいハイブリッドエコロジー車を研究開発しています。』
広告だった。
『新しい未来へ——イチサン。』
配信中に流れる広告。通常は画面の端に表示され、視聴者が見るものだ。配信者本人には影響しない——はずだった。
妖精の通信系統が狂っている。視聴者に送るはずの広告が、配信者の脳に直接流れ込んでいた。映像と音声が意識の中に割り込み、思考を3秒間占拠する。
3秒。
カイトの体が止まった3秒で、廃神の右剣が振り下ろされた。
無音の衝撃。カイトの体が木の葉のように弾き飛ばされ、神殿の柱に叩きつけられた。柱が砕けた。瓦礫がカイトの上に降り注いだ。
音がないから、崩落の轟音も聞こえなかった。静かに、柱が崩れ、埃が舞い、カイトが見えなくなった。
阿修羅妖精が——六本腕を振り回して瓦礫に飛び込もうとした。幽体だから物理干渉はできない。すり抜けてしまう。それでも腕を伸ばしている。撮ろうとしている。瓦礫の下のカイトを。
カイトは動かなかった。
メイが駆け寄ろうとした。だが廃神が間に立った。踊りながら。左剣が弧を描き、メイの進路を断つ。ぬりかべがメイの前に浮かんだ。壁になろうとしている。それが無理なことだと、わかっているはずなのに。
ゴンザの盾が廃神の剣を受け止めた。衝撃で膝が沈む。右腕が痺れている。とりさんがゴンザの頭の上で羽ばたいている。声は出ない。出ないが、羽ばたきの風がゴンザの頬に当たっている。
ヴァルトが大剣を振った。廃神の腕に食い込んだ。だが再生が始まる。刃が肉に飲み込まれていく。引き抜く。鱗が戻る。
マギステルがカードを切った。「カタストロフフレイム」——ネタデッキの大技。8ターンかけて構築していた切り札を、半端な状態で解放した。ゴーレムも2体しかいない。不完全な炎が廃神の背中を焼いたが、再生に追いつかない。
リセが壁を蹴って天井に跳び、廃神の頭上から強襲した。レンチが廃神の頭蓋に叩きつけられる。鱗が割れた。だがドラゴンが翼で風を起こし、リセを弾き飛ばした。
6人が——いや、5人が、それぞれ孤立した状態で廃神に挑んでいた。声もなく、文字もなく、連携もなく。
カイトは動かない。
ロックは瓦礫の陰に背中を押しつけていた。剣を握っている。D級の剣。この戦場では何の役にも立たない武器。握っているだけ。握っていないと、手が震えて止められないから。
5人の配信画面が——それぞれのスマホで光っている。コメント欄は文字化けの嵐。リスナーの声は届かない。配信者の声も届かない。
もくじんもいない。
ロックは一人だった。
戦えない。声も出せない。文字も届かない。25層の底で、瓦礫に背中を押しつけて、5人の背中を見ているだけ。
——何もできない。
——何も。
胸ポケットのスマホが震えた。
もくじんだった。
テキストが浮かんだ。化けていない。もくじんの文字だけが、まだ確かだった。
『ロックさん、読めますか』
読める。
ロックは震える指でスマホに打ち込んだ。自分のスマホ——配信アプリを開いていない、ただの通信端末。妖精の系統を経由しないメッセージ。
「もくじん、読める。どうすればいいんだ」
テキストが返ってきた。
『沈黙していて申し訳ありません。歌の解析を試みていました。まだ完全ではありませんが、一つだけわかったことがあります』
『あれは旧時代の異世界ニコガルドからもたらされた歌です。あのドラゴンの歌が妖精の通信系統を狂わせ、スマホを経由して各配信者に災厄をもたらしています。ロックさんにしか頼めない。歌を止めてください』
「どうやって止める」
『物理的にドラゴンの発声を阻害してください。口を塞ぐか、衝撃で中断させるか。一時的でも構いません。何か相手の気を引くアイテムはありませんか。ドラゴンの注意を逸らせるものがあれば——』
ロックは自分の装備を見渡した。
D級の剣。刃こぼれしている。
カップ麺の残り。味噌味。食べかけ。
砥石。D級用800円。
邪神像。リュックに3体。
そして——
ポケットに……あった。
ロックは歯を食いしばった。
D級の俺が、何かできるかはわからない。
でも。
5人が戦っている。カイトが瓦礫の下で動かない。妖精たちが怯えている。コメント欄が壊れている。ドラゴンが歌い続けている。
ロックは立ち上がった。
---
瓦礫の陰から飛び出した。
D級の剣を構えて、廃神に向かって走った。
全速力。9層ソロ周回で鍛えた脚。S級の前衛から見ればスローモーションだろう。だがロックの全速力だった。
廃神の脚に斬りつけた。二連斬り。
一撃目。黒い鱗に刃が当たった。火花が散った。手が痺れた。刃が欠けた。
二撃目。同じ場所を斬った。鱗に傷すらつかなかった。
ダメージは——ほぼない。
火花が散っただけだった。刃は欠け、廃神は気にもしなかった。
踊りの振り付けを変えもしなかった。虫が止まった程度の認識すらなかったかもしれない。
だがロックの目的は攻撃ではなかった。
目の前にドラゴンがいた。青い鱗。閉じた目。動き続ける口元。あの歌。近くで聞くと——聞こえないはずなのに——体の芯が震えた。
ロックはポケットからマギステルのサイン入りカードを抜き取り、ドラゴンの口に放り込んだ。
カードに封じられた魔力が暴発した。
小さな爆発。ドラゴンの口内で火花が弾け、青い煙が噴き出した。ドラゴンが目を見開いて咳き込んだ。首を振った。口からカードの燃えかすが落ちた。
歌が途切れた。
音が戻った。
一瞬だった。だがその一瞬に、世界のすべてが殺到した。
ゴンザの盾が鳴る金属音。ヴァルトの息遣い。マギステルが何か叫んでいる声。リセのブレーキ音のような歓声の残響。メイの回復魔法の低い詠唱。瓦礫が崩れる音。自分の心臓の音。
コメント欄が爆発した。
『音戻った!!』
『今の何!?』
『ロックがカード突っ込んだ!!』
『マジか』
『マギステルのカードだあれ!!』
6人の配信者が我に返った。妖精たちのパニックが一時的に解除される。とりさんが再び飛び上がった。犬がヴァルトの横に並んだ。阿修羅の六本腕が起き上がった。ことねのペンライトに光が戻った。もこもこの尻尾がわずかに縮んだ。ぬりかべが——定位置に、戻った。
ロックは廃神の肩から振り落とされ、岩盤に叩きつけられた。背中に鈍い痛みが走る。メイの回復光がすぐに飛んでくる。
「みんな、スマホを手放せ……! あの歌はスマホを通じて呪いをかけてくる……!
音の戻った世界で、ロックは叫んだ。
一時的な解除にすぎない。
だが——十分だった。
---
ヴァルトが最初だった。
「持ってて」
スマホを差し出した。ロックに向けて。
ロックは地面に座り込んだまま、それを見上げた。ヴァルトのフードの奥の目が見えた。暗くて、深くて、何も読めない目。だがその目が——「頼んだ」と、言っていた。
ロックはスマホを受け取った。
犬妖精が大人しくロックの足元に座った。尻尾を振らない。静かに座って、ヴァルトの背中を見ている。
ヴァルトは何も言わなかった。大剣を構え直し、廃神に向き直った。フードを深く被り直した。
妖精リンクが感染経路だった。
スマホを手放せば、妖精の制御を失う代わりに、歌の影響から解放される。
だがスマホを手放すということは——ずっと傍にいた相棒を手放すということだ。
ゴンザが黙ってスマホを渡した。
「……」
とりさんがロックの頭に乗った。小さな足の感触。温かかった。
ゴンザは一言も発さなかった。大盾を両手で握り直し、廃神の正面に立った。コメントも視聴者も数字もない、ただの盾持ちとして。
マギステルが駆け寄ってきた。
「というわけでロックくん、持っていてほしいんですよ」
両手がふさがっているので、スマホをロックの胸ポケットに押し込んだ。画面にはまだ配信が回っている。ことね妖精がロックの肩に移動し、ペンライトを振り始めた。消えかけの光だったが、まだ振っている。
「私のカードがお役に立てたようで、幸いですよ」
カードの束をファンのように広げた。11ターンのコンボ。普段の8ターンより長い。三層の検証では一度も試したことのない、この戦いのためだけの構築。
リセが走ってきた。走りながらスマホのストラップを外し、ロックの首にかけた。立ち止まらなかった。立ち止まるという概念がこの人間にはないのかもしれない。
「壊さないでね!」
振り返りもせず、戦闘用の小型ポータルを足元にセットし、そのまま廃神に向かって跳んだ。
もこもこがロックの肩に移った。リセの肩から降りたことが一度もなかった妖精が、初めて——別の肩に乗った。尻尾が膨らんでいる。危険度バロメーターが振り切れている。だが降りない。ロックの肩でも降りない。
メイが最後だった。
ゆっくり歩いてきた。戦場のど真ん中を、シスターの足取りで。
「全力でいきます」
スマホをロックのズボンのポケットに押し込み、振り返った。両手に浄霊と回復の二重詠唱を重ね、6人全員にバフをかけた。
光が走る。ゴンザの盾が輝く。ヴァルトの大剣が唸る。マギステルのカードが燃える。リセの足が加速する。カイトは——まだ壁際で倒れている。だがメイの光はカイトにも届いていた。
ぬりかべがロックの背後に浮かんだ。微動だにしない。廃神をじっと見つめている。暗闇の先を、いつもそうしているように。怖くはない。もう、ずっと前から。
ロックは立ち尽くしていた。
両手にスマホ。胸ポケットにスマホ。首からスマホ。ズボンのポケットにスマホ。頭にとりさん。足元に犬。左肩にことね。右肩にもこもこ。背後にぬりかべ。
周囲を阿修羅が旋回している——カイトはまだ倒れていて、その手からスマホが転がり落ちていた。
制御の離れた阿修羅だけが先にロックのもとに来ていた。六本腕を垂らして、主人が倒れた壁際とロックの間を行き来している。
5台のスマホ。6体の妖精。配信は6チャンネルすべて継続している。
画面には——ロックの視点が映っている。
配信者たちの背中が、映っている。
ドラゴンが再び歌い始め、世界がミュートに沈んだ。
だが5人はもう怯まなかった。声もコメントもスパチャもない。ただ互いの姿を見て、互いの動きを読んで、連携を組み直していく。
6人は、方法を理解した。




