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第十二話 3つの災厄(前編)

ドラゴンが歌い始めた。


歌、と呼べるものかどうかはわからなかった。旋律があった。だが言葉が欠けていた。音節の半分が虫食いになっていて、残った断片だけが25層の空洞に反響している。


「……ティーーダの……ぽ……すぎだろ……」


何の曲かわからない。古い。とても古い歌だった。メロディの骨格だけが残っていて、肉がない。誰かが歌っていた歌の残骸。百年前か、千年前か。あるいは——アカウントが消された、その日の歌か。


ロックのポケットの中で、光の球が震えた。


それだけではなかった。


とりさんが翼を縮めた。ゴンザの肩で、丸くなって首を引っ込めた。


犬妖精が伏せた。ヴァルトの足元で、耳を倒して地面に顔を押しつけた。


阿修羅妖精の六本腕が——全部、耳を塞いだ。


ことね妖精がペンライトを落とした。光の棒が地面に転がって消えた。


もこもこの尻尾が爆発的に膨らみ、リセの視界を塞いだ。


ぬりかべだけが動かなかった。動かなかったが、壁面に刻まれた紋様と同じ色になっていた。擬態。本能的な防御反応。あのぬりかべが。


6体のドローン妖精が、一斉に怯えていた。


そして——配信が乱れた。


ゴンザの配信画面がちらついた。音声が途切れ、映像にノイズが走り、コメント欄の文字が一瞬だけ読めなくなった。すぐに復帰したが、また乱れる。乱れて、戻って、乱れる。脈拍のように。ドラゴンの歌の拍子に合わせて。


もくじんのテキストが走った。


『妖精たちがパニック状態です。ドラゴンの歌を——規制対象の音声と誤認しています』


ロックは理解した。ドローン妖精には規制機能がある。配信神ヨウツベノミコトの意思により、一定の音声は配信に乗せられない。著作権のある楽曲。特定の固有名詞。妖精たちはその判定を自動的に行い、該当する音をカットする。


リセの鼻歌ミュート事件と同じだ。あのときは鼻歌が規制判定に引っかかり、世界から音が消えた。


だが、今回はレベルが違う。一体なんだ、あの歌は。


恐怖におののく妖精たちの規制判定が暴走していた。歌の断片を解析しようとして処理が追いつかず、音声系統全体がフリーズとリブートを繰り返している。その影響が配信の映像系統にまで波及し、通信そのものが不安定になっている。


ドラゴンの歌が——二番に入った。


「……ある……はれ……ひ……い……」


妖精たちの震えが激しくなった。とりさんがゴンザの肩から転げ落ちそうになり、ゴンザが慌てて片手で受け止めた。犬妖精が小さく鳴いた。声は出ないはずの妖精が、声にならない音を漏らしていた。


そして——世界から音が消えた。


完全に。


石の砕ける音も。呼吸の音も。足音も。鎧の軋みも。剣が鞘を擦る音も。心臓の鼓動すら聞こえなくなった。


ミュート。


全域完全ミュート。ドラゴンの歌を「規制対象」と判定した妖精たちが、周辺一帯の音声を丸ごと遮断した。規制のやりすぎだ。歌だけを消せばいいのに、音という音をすべて切り落とした。


配信画面は映像だけが流れている。コメント欄だけが動いている。だが配信者たちの声はリスナーに届かない。リスナーの声も配信者に届かない——コメントは目で読めるが、声の連携は不可能になった。


6人の配信者が、声を失った。


ゴンザが何か叫んでいる。口が動いている。だが音がない。ヴァルトが剣を抜いた。金属音がするはずだった。なかった。カイトが振り返ってロックに何か言っている。唇が動いている。読めない。


廃神が——踊り始めた。


ドラゴンの歌に合わせて。音のない世界で、二本の剣を振り回しながら。巨体が旋回するたびに地面が割れ、壁が砕ける。だが音はない。破壊だけが無音で進行していく。


ロックの視界の端で、遭難者が岩陰に這い込むのが見えた。足を折った男を、意識のある女が引きずっている。口が動いている。叫んでいるのだろう。聞こえない。


残り時間、48分。


---


ロックは震える手でスマホを操作した。


音がない。声が出せない。だがコメント欄は生きている。テキストは妖精の音声系統を経由しない。視覚情報だけで成立する。


——コメントで連携する。


ロックはゴンザの配信のコメント欄に書き込もうとした。だが指が止まった。数万人のリスナーが同時にコメントを打ち込んでいる。パニックだった。「音が消えた」「どうなってる」「聞こえない」「逃げろ」「大丈夫か」——怒涛の文字列が滝のように流れ落ちていく。この中に自分の一行を打ち込んでも、一瞬で流されて誰にも読まれない。


カイトが同じことに気づいていた。スマホを睨み、コメント欄の奔流を見て、舌打ちした——音はなかったが、舌打ちの顔だった。


メイが歩み寄ってきた。ロックのスマホを覗き込み、何かを打ち込んだ。ロックのスマホではなく、自分のスマホに。


ゴンザの配信画面に、スパチャが表示された。


5G。メイから。どうやらスパチャを投げていた。


『みなさん落ち着いてください。スパチャで会話します。スパチャは固定表示です』


スパチャ——投げ銭メッセージ。通常のコメントは流れてしまうが、スパチャは一定時間画面上部に固定表示される。金額が大きいほど長く残る。配信者同士が別の配信にスパチャを投げれば、固定表示でメッセージを確実に届けられる。


『ゴンザさん。前衛の状態を教えてください。スパチャで返してください』


ゴンザがスマホを見た。メイのスパチャを読んだ。不器用な指でスマホを操作し、メイの配信に5Gを投げた。


『全員無事。だが声が出ない。連携できない』


カイトがすかさず全員の配信にスパチャを投げた。6連続。5G×6。


『よしきた!文字で話すぞ!前衛は俺が指示出す!後衛はロックが見てる!分担!』


リセの配信にもスパチャが飛んだ。リセからカイトに。5G。


『りょ!!!!』


たったこれだけに5G。リセらしかった。


スパチャ連携が回り始めた。声の代わりにテキストで。金で固定表示を買って。戦闘中の指示系統を、投げ銭で構築する。


コメント欄のリスナーたちも察した。通常コメントの奔流が徐々に収まり、代わりにスパチャが飛び始めた。リスナーから配信者へ。戦況の報告。敵の位置。再生状況。コメント欄では流れてしまう情報を、スパチャの固定表示で伝える。


『ゴンザ右!右から来てる!』5G。

『ヴァルト後ろの柱崩れるぞ!』5G。

『カイト左足大丈夫?さっきの治った?』5G。


戦場に声はない。だがスマホの画面には文字が溢れている。金色の文字が。一つ一つが5Gの重みを持った言葉が。


だが、確実に機能していた。


ゴンザのスパチャ指示で前衛が動き、リスナーのスパチャ報告で死角を補い、メイのスパチャ判断で回復を回す。音のない戦場に、金色の文字だけが飛び交う異様な光景。


廃神が踊りながら右の剣を振り下ろした。


カイトが横に跳んだ。スパチャを読んでいた。『右剣くる』の4文字。リスナーの5G。


ゴンザの盾が左の剣を受け止めた。衝撃波が無音で広がり、地面のひびが蜘蛛の巣のように走った。ゴンザの足が5センチ後退した。盾の表面に亀裂が入った。


ヴァルトが廃神の脇腹に斬り込んだ。大剣が黒い鱗を削り、赤い筋に沿って火花が——無音で散った。鱗が数枚剥がれ落ちた。だが廃神は踊りを止めない。踊りながら再生している。剥がれた鱗の下から、新しい鱗が生えてくる。


再生速度が速い。斬って、削って、砕いて——追いつかない。


カイトがスパチャを投げた。全員の配信に。


『再生するぞこいつ!削り続けないと戻る!』


マギステルが中衛からカードを切った。「フレイムランス」。炎の槍が廃神の背中を貫いた。焼けた鱗が炭化して崩れ落ちる。だがドラゴンが歌い直すたびに、妖精たちの通信が揺れ、マギステルの集中が乱れる。次のカードを引く手が一瞬遅れる。


スパチャ連携は機能していた。だが限界があった。テキストを読むには目を使う。目を使えば、その瞬間だけ戦場から目が離れる。声なら0.1秒で伝わる情報が、テキストでは1秒かかる。その0.9秒の差が、25層相当のモンスターとの戦闘では致命的だった。


そして——第二の災厄が来た。


---


カイトが全配信にスパチャを投げた。5G。指示。


画面に表示された文字は——


『カイト 5G「スイーツ無常!訳しろ!」』


ロックの目が止まった。


「……は?」


読めない。日本語の形にはなっているが、意味をなしていない。

コメントでも『スイーツ無常wwww』と謎のパワーワードの出現に沸き上がった。


カイトが打ったのは「突っ込むぞ!援護しろ!」だったはずだ。

たぶん。

だが画面に表示された文字列は、まったく別の何かに化けていた。


次のスパチャ。マギステルから。5G。


『っあー! 明日!』


読めないことはない。だが、まったく意味が通じない。


メイのスパチャ。5G。


『嗚呼ゐ嘘鋳語巣詐無……』


ロックはぞっとした。

なんでこの人のだけお経みたいなのに化けるのか。

もう誰が何を言っているかわからない。


だが、ロックは気づいた。

配信でよく見るものだ。


「——自動音声字幕の変換エラーだ」


ドローン妖精の通信系統は、音声だけでなくテキストの変換処理も担っている。配信者が打った文字は妖精を経由して配信画面に表示される。その経路が——ドラゴンの歌で破壊されていた。


音声系統の崩壊に引きずられて、テキスト変換も正常に機能しなくなっていた。文字化け。スパチャの固定表示は残るが、表示される文字が元の文章と一致しない。


声が使えない。テキストも使えない。


スパチャ連携が——崩壊した。


カイトが苛立たしげにスマホを叩いている。何か打ち込んでいる。だが画面に出る文字は毎回違うものに化ける。


ゴンザが盾を構え直した。文字が読めないなら、もう見ない。目の前の敵だけを見る。だが連携は取れない。


ヴァルトは最初からコメントを読んでいなかった。だが他の5人の動きを予測するための情報がない。フードの奥で目だけが動いている。


戦場が孤立していく。6人が、一つの空間にいながら、一人ずつに分断されていく。


リスナーのコメントだけが——まだ辛うじて読めていた。


化けていなかった。リスナーのテキストは妖精の通信系統を経由していない。


もくじんのテキストが浮かんだ。


『文字化けの原因を特定しました。妖精の通信系統がドラゴンの歌と共振しています。音声だけでなくテキスト変換も汚染されています』


ロックはもくじんの文字を読んだ。唯一の確かな情報源。


だがもくじんのテキストが——一拍、止まった。


ドラゴンの歌の断片が、もくじんのテキスト欄に書き起こされていた。もくじんが歌詞を解析しようとしていた。


「ある……晴れた……魔法使い……ハミング……」


テキストが長く止まった。5秒。10秒。25層の戦場で10秒の沈黙は永遠に等しい。


そして——


『……すみません。少し、懐かしくて』


もくじんの声が——テキストの向こうに、感情が滲んでいた。ロックがもくじんを見たのはカイトの配信を通してだけだ。テキストだけの存在。声もなく、体もなく、文字だけで世界と繋がっている。そのもくじんが——「懐かしい」と言った。


この歌を知っている。


いつの時代の歌なのか。誰が歌っていたのか。もくじんがなぜ知っているのか。問いたい。だが今は——


もくじんのテキストが途切れた。


コメント欄から、もくじんの文字が消えた。


最後の情報源が、沈黙した。

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