第03話:ズレた時間
『ウラヌス』出現から4日目。内閣府、政策統括官(防災担当)付参事官——桃井の執務室。無機質な空調の音だけが響く個室で、62歳の古狸は、湯呑みを弄びながら言った。
「……それで、イージスのエラーだけど」
京極は直立不動のまま、表情筋を固めて答えた。「ベンダーは想定外の事象であり、プログラム上のバグ(瑕疵)は見当たらない。の一点張りです」
「困るねぇ。さっき管理監から——状況を説明しろ、と矢の催促があってね。17時までに持っていかんと」
「ええ、承知しております。ただ、状況が少々複雑でして……」京極は言い淀み、部屋の隅に立たせていた白髪の老人に視線を向けた。外部技術顧問。いわゆる「先生」と呼ばれるコンサルだ。
京極:先生。先程の話、もう一度参事官に。
顧問:はい。システムは正常です。バグではありません。
桃井参事官:ほう? じゃあ、なんで画面は真っ赤なんだね。
顧問:前提が変わってしまったのです。……現在、15時32分ですが、窓の外、太陽はおおよそ17時半の位置にあります。
桃井参事官:ん?
顧問:つまり、物理的な時間が加速し、消失しているのです。毎日約30分ずつ。我々の時計と、地球の動きがズレてしまっている。
桃井参事官:……時間がズレとる、と。
顧問:ええ。我々は今、暴走するメリーゴーラウンドに乗っているようなものです。景色は猛スピードで流れているのに、手元の時計だけがゆっくり進んでいる。イージスはこのズレを『異常』として検知しているのです。
桃井参事官:……で? どうするんだね?
京極:……はい?
桃井参事官:いや、だからね。管理監にはなんて返事する?
京極:……
桃井参事官:まあ、いいや。じゃぁそれ、パワポで一枚ペラ、文字大きめでまとめて。
京極:……はぁ。
桃井参事官:管理監にはそれで説明しとくから。あとは、京極くんはベンダーさんところ行って、赤いの出さない様に何とかして……以上。
京極:……承知いたしました。京極は力なく頭を下げ、顧問と共に執務室を出た。
◇
廊下に出た京極は、大きく息を吐き出した。胃が痛む。
京極:しかし、先生。我々の時計がみな壊れたということなのでしょうか?
顧問:いいえ、セシウム原子の振動数は絶対です。時計は正しい。NTPで同期したサーバーのタイムスタンプも狂いなく同じ時刻を刻んでいます。
京極:……ならば、地球の自転が速まったのでしょうか?
顧問:その線ですよね。しかし、一日あたり30分もの『加速』が物理的に起きているなら、少なくとも『潮位』は引くと思い確認したのですが、特に異変は……
京極:ならば、我々が集団幻覚を見ているとでも?
顧問:それもまた一つの答えかと。我々は今、客観的な物差しを失いました。時計を信じれば空が狂い、空を信じれば物理学が狂う。……どちらが『正解』なのか、もう誰にも判断できないのです。
(……クソッ)心なしかいつもより速く刻む時計の針を眺めていると、ふと脳裏に、かつての愛人の顔が浮かぶ。彼女なら、こんな理不尽なオーダーも、涼しい顔で「処理」していただろう。京極は天井を仰ぎ、心の底からの本音を漏らした。
「パワポ……丸投げしてぇー……」
一方、その頃。勝どきの路上。私はスマホの画面を見て、思わず口笛を吹いた。
「……入れ食いね」
デリバリーアプリの地図画面。普段なら、ライバルである配達員のアイコンがウジャウジャと表示されているはずなのに。しかし今、画面上には私を示す青い点以外、誰もいない。他の配達員たちは、あまりの「異常さ」に恐れをなしたのかも。無理もない。
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「……怖がってちゃ、食っていけないのよ」
信号待ちで停車した私の横に、一台のバイクが滑り込んできた。「お姉さん、まだやってんすか? タフっすねぇ」
「あんたこそ」
「へへっ、まあね。借金あるんで」木島はヘルメットのシールドを上げ、東京湾の方角を指差した。ビルの隙間から、青白く発光する巨大なドームが見える。
「てか、あのアレ、なんで『ウラヌス』って呼ばれてるんすか? なんか卑猥な響きしません?」
「……なんでウラヌスが卑猥なの? てか、ニュース見てないの? 形が天王星に似てるからでしょ」
「天王星?」
「そう。土星の輪は横に広がってるけど、天王星の輪は縦に回ってるの。あのアレみたいに」
私が指差した先。ドームの表面には、巨大な「縦の輪」が光の帯となってうっすらと見えた。
「そっか、ウラヌスって天王星かぁ…じゃぁ、ネップチューンってなんでしたっけ?」
信号が青に変わる。「悪いけど、セーラームーンの話を転がしてる暇ないの、それじゃあね」
(第3話 完/第4話へ続く)




