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結界が大きく波打った。
空気が灼ける。
地鳴りのような咆哮が夜の森を震わせた。
炎をまとった巨大な影。
三つの首がそれぞれ唸り声を上げ、鋭い牙をむき出しにする。
「ケルベロス――」
その名が落ちた瞬間、騎士団の空気が凍りついた。
フルールの足がすくむ。
胸がぎゅっと締め付けられる。
(おっき……なに、あれ……)
今まで見てきた魔物とは明らかに違う。
圧だけで息が詰まりそうだった。
「フルール!」
ギディオンの叫びが飛ぶ。
「隠れていろ!!」
反射的に焚き火のそばから後ずさる。
副団長ルーカスが叫ぶ。
「ケルベロスなんて大型が出るって、さすがにやばくないですか!?」 「最近魔物増えすぎでしょ!!」
「動揺するな!」
ギディオンの声が戦場を貫く。
「前衛、陣形を組め!」
「魔法部隊、後方支援に回れ!」
騎士たちが一斉に動く。
次の瞬間――
ケルベロスの口が大きく開いた。
轟音とともに炎が吐き出される。
「散開!!」
間一髪で避けるが、熱風だけで肌が焼ける。
さらに、棘だらけの尻尾が唸りを上げて振り回された。
「ぐあっ!!」
「腕が――!」
数人の騎士が吹き飛ばされ、地面に転がる。
「治療急げ!」
魔法部隊が走るが、追いつかない。
炎、爪、尻尾。
容赦ない猛攻。
「くそ……!」
ルーカスが歯を食いしばる。
その瞬間。
ケルベロスの尻尾が大きくしなり――
ルーカスへと一直線に迫った。
「ルーカス!!」
ギディオンが飛び出す。
剣で弾こうとした、その刹那。
ずぶり、と嫌な音が響いた。
棘がギディオンの腕を貫いていた。
「――っ!」
血が弾ける。
「団長!!」
膝をつきかけるギディオン。
ケルベロスが追撃の炎を構える。
(やばい……このままじゃ……)
フルールの胸が苦しくなる。
(無理……見てられない……!)
震える指を握りしめる。
(えっと……回復の子……なんだっけ……)
頭の中が真っ白になる。
(ほら、孫がゲームで……小さくて……ふわふわしてて……)
必死に思い出す。
「えっと……あれよ……あれ……!」
焦りで涙がにじむ。
「名前……名前……!」
息を吸って、叫ぶ。
「――癒しの風を運ぶ小精獣、ブリーズリル!!」
淡い光がふわりと広がる。
小さな白い獣が現れ、宙をくるくると舞う。
羽のような毛並みがきらきらと輝き――
優しい風が戦場を包んだ。
その風がギディオンの腕に触れた瞬間。
血が止まり、裂けた肉がみるみる塞がっていく。
「……なに?」
「傷が……消えてる……?」
騎士たちが息を呑む。
ギディオンも驚愕する。
腕を見つめ、ゆっくりと握りしめる。
痛みがない。
(治癒……魔法? いや……)
誰も答えを持たない。
だが、迷っている暇はなかった。
「……今だ」
ギディオンの瞳が鋭く光る。
「全員――このまま殺れ!!」
怒号とともに、騎士団が一斉に突撃する。
魔法が剣に宿り、閃光が走る。
ケルベロスの咆哮が夜を裂き――
やがて、巨体が地に崩れ落ちた。
炎が消え、森に静寂が戻る。
ただ、荒い息と焚き火の音だけが残った。
フルールは胸を押さえ、へなへなと座り込む。
(よ……よかった……)
誰にも気づかれないよう、
小さな召喚獣はふっと光となって消えていた――。




