第2章 15
ミーナは震える手でフィオを抱き、破壊された扉の陰に身を潜めていた。
目の前では、漆黒の六枚翼を持つ「ルシファー」と、二人の騎士が死闘を繰り広げている。
その圧倒的な魔圧に、ギディオンとルーカスは防戦一方だった。
「ふふふ、強いでしょう? こちらの国の魔物が、なぜ倒すと消えてなくなるのか……その理由に気づきましたか?」
ジャッカルの余裕に満ちた声が、戦場に不気味に響く。
「まさか……」
ルーカスが呻くように声を絞り出した。その疑念を肯定するように、ジャッカルは残酷な笑みを深める。
「さすが狼の末裔、勘がいい。そうですよ、正体は
『精霊』です。君たちが崇めている存在そのものを、私が少し作り変えたのですよ」
「……相変わらず、反吐が出るほど趣味が悪い……なッ!」
ギディオンが怒りと共に剣を叩きつけるが、ルシファーは大剣で軽々とそれを受け止める。
「よく、喋る口……ね!」
フルールが叫びながら、黒い羽の礫を間一髪で避けた。彼女の意志に呼応し、これまでのレベルアップによって強力になった召喚獣たちが次々と姿を現す。
強固な結界を張るクリエ、巨大な大蛇へと成長したフロストリーネ、そして勇猛な獅子の姿となったサンディ。彼らはルシファーの猛攻を押し返し、漆黒の羽を次々と引き裂いていく。
「おや、少しは羽をむしられましたか。ですが、そんな小物の召喚獣じゃ、この子は倒せませんよ。ほらほら、死んじゃいますよ? 早く倒してくださいよ」
ジャッカルの言葉に合わせるように、ルシファーがその羽を大きく羽ばたかせた。凄まじい風圧が二人を壁際まで吹き飛ばし、凄まじい衝撃がその体を打ち据える。
「……っ、ギディ! ルーカス! お願い……みんなを、守って……フィリス!」
フルールが祈るように叫ぶと、柔らかな光が二人を包み込んだ。瞬時に傷を塞ぎ、意識を無理やり呼び戻す。
(本気で私たちを殺そうとしていない……むしろ、殺されるのを待っている? さっきの記憶……隠しボスがレベル100にって……もしルシファーがボスだとしたら、裏ボスは……ジャッカル?)
「考え事をしている余裕があるようですね」
ルシファーが羽ばたくと、散った羽が一つ一つ小物の魔物へと姿を変え、部屋を埋め尽くした。
「なっ……! 多すぎる……!」
絶体絶命の瞬間
「きゃぁ……!」
ミーナの腕の中で、フィオが喉を震わせて叫んだ。
崩落した天井の隙間から、地上へ向けて一筋の鋭い光が漏れ出した。それはフィオが危機に呼応して無意識に放った光だった。同時に、外で魔物の掃討を終えた騎士団の怒号が近づいてくる。
「地下だ! この光の先に閣下たちがいるぞ、続けッ!」
同行しながらも外で足止めを食らっていた騎士団が、崩落箇所から一気になだれ込んできた。
「ここは我々が食い止める! 姫様と閣下は、親玉に集中を!」
騎士団は円陣を組み、フルールを取り囲むように盾を掲げた。四方八方から襲いかかる小物の魔物の爪を、彼らは自らの体を盾にして弾き返す。
「一匹たりとも姫様には近づけるな! 死守せよ!」
騎士たちの必死の防衛により、フルールの前に「道」ができた。
「みんな……。これ以上、好きにはさせない! ゼファー!!」
フルールの呼び声に応え、ゼファーが騎士団の頭上を飛び越えて魔物の群れを切り裂く。騎士団が魔物を足止めし、ゼファーがそれを一掃する見事な連携。その光景と重なるように、フルールの視界に光が走った。
『魔物の群れを撃破しました』
『レベルがアップしました。Lv90→Lv92』
フルールは立ち止まることなく、そのまま空中を舞うルシファーを見据える。ここで終わらせる。その一心で、彼女は「システム」が授けた最強の力を解き放った。
「これで……終わりにする! 天に還れ、最果ての龍――『最上級召喚獣・ディマイズ』!!」
フルールの絶叫と共に現れた巨大な光の渦が、
ルシファーを飲み込んだ。黒い羽は粒子となって消え去り、静寂が訪れる。
「たお……した……」
その瞬間、フルールの脳内に冷酷なシステム音が響き渡った。
『最終試練:ルシファーを撃破しました』
『レベルがアップしました。Lv92→ Lv100』
『これより「聖獣化」のスキルが追加されます』
「聖獣化……?」
呆然とするフルールの前で、ジャッカルが勝ち誇ったように叫んだ。
「おめでとうございます! これで世界を終わらせることができます! さあ、アニエス! 今です!」
「ルーカス、アニエスを止めろ! フルールに近づけるな!!」
ギディオンが叫ぶが、魔物の残党が壁となり、あと数歩のところで届かない。
「……あ」
糸を引かれるように、虚ろな目のアニエスがフルールへと駆け寄る。
彼女は、自分の左手の小指に嵌められていた銀の指輪にそっと触れた。
その濁った瞳の奥に、ほんの一瞬だけ――かつてのアニエスの色が戻った。
唇が、かすかに動く。
「……ごめ……なさ……い……」
声にはならない。ただ、風に消えるような口の動きだけが、確かにそう形作っていた。
次の瞬間、アニエスは力任せに、自分の指から指輪を引き抜いた。
皮膚が裂けるような嫌な音と共に、黒く染まった指輪が外れる。
血の滲んだ指先を気にも留めず、彼女はフルールの手を掴んだ。
「やめろォ!!」
ギディオンの叫びが届くより早く、アニエスはその指輪をフルールの指へと、無理やり押し込んだ。
「……!? ぁ……あああああああああ!!!」
(熱い……! 体が、内側から焼け落ちそう……! 骨が軋み、血が沸騰する音が頭の奥で響く……壊したい、全部壊してしまいたい……! ダメ、ギディ、そこにいるのに……逃げて……っ!)
フルールの必死の抵抗も虚しく、レベル100に到達したシステムが彼女を強制的に変貌させていく。
白銀の髪は黒い炎に包まれ、爆ぜるような轟音と共に燃え上がった。肉体が引き裂かれ、再構築される激痛の中で、彼女の体は巨大な漆黒のフェニックスへと変わっていった。
「ルル!!!!!!!」
「フルール様!!!!」
『このゲーム、レベル100になると、主人公が裏ボスになるんだ!』
(……裏ボスは……私……? 私は、世界を壊すためにレベルを上げてきたの……?)
「ははははははは!! この世界の『理』を外れた異物。聖獣化したフルール様に、この指輪をつければ暴走は止まらない! さあ、世界を壊せ!」
ジャッカルの命令に従い、黒いフェニックスは愛するギディオンに向けて漆黒の業火を放った。
(どうしたら……どうしたらルルを救える……!)
ギディオンは襲いくる炎を避けながら、必死に思考を巡らせる。その時、漆黒に染まった指輪が、フルールの涙に呼応するように、一瞬だけ鋭く光った。




