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「番探しの王子と転生おばあちゃん~王子様、私は黒髪黒目じゃありません~」  作者: 栗原林檎
第2章

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第2章 7

アステリア公爵邸に一通の手紙が届いた。それは、ルミナリア帝国からの正式な協力要請だった。


「滞在期間中、我が国の賓客がこの国の文化を学ぶため、住み込みの侍女を一名借用したい。ついては、相応の報酬を支払う用意がある。ただし、求めるのは我が国の王太子妃の公務を支えるに足る、完璧な礼法と教養を備えた者とする――」


手紙を読んだ義妹のリリアーヌは、即座に顔をしかめて手紙を放り出した。


「あの美貌の王太子様とお近づきになれるのは魅力的だけど、隣にいるフルールの世話なんてまっぴらごめんよ! それにこれ、見てよ。『完璧な礼法と教養』ですって? 休日返上で公務の手伝いをさせるつもりだわ。そんなの、侍女という名の奴隷じゃない!」


欲深い父親も、条件の厳しさに眉をひそめる。


「……ふむ。報酬は魅力的だが、リリアーヌには荷が重いか。アニエス! ちょうどいい、お前が行け」


「……はい」


「報酬は……分かっているな? 全て私へ差し出すんだ。ここまで育ててやった恩を、少しは返してもらわんとな。お前にはそれぐらいしか価値がないのだから」


「はい。……全て、お父様へ」


アニエスは身支度を整えた。といっても、荷物はほとんどない。唯一体裁を保つためのドレス数着は、すべて義妹のお下がりだ。

翌日。公爵邸の前に、ルミナリア帝国の紋章が入った豪華な馬車が止まった。

もちろん、見送りに来る者など一人もいない。

馬車の扉が開き、降りてきたのは軍服を纏ったルーカスだった。


「お待たせしたね」


「あなたは……!」


驚くアニエスに、彼は周囲に聞こえない声で囁き、茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせた。


「救い出すって言ったでしょ?」


「さあ、乗って」


大きな手にエスコートされ、アニエスは夢心地で馬車に乗り込んだ。


馬車の中、

赤くなった顔を見られたくなくて、アニエスはただ下を向いていた。

ふと、前に座るルーカスの視線を感じて顔を上げる。


「……そのピアス、つけてくれたんだね」


ルーカスが満足げに目を細めた。アニエスの耳元には、昨夜彼が預けたシルバーのピアスが揺れている。


「えっ……! あ、あの! せ、せっかく頂いたものですし! つけていないと失礼かと……!」


途端に顔を真っ赤にして、手足をバタつかせるように焦るアニエス。その仕草が、小動物のように愛らしい。

(……っ! 僕の嫁(まだ嫁じゃないけど)可愛すぎるだろ。なんだ今の反応、反則だ……!)


内心で激しく悶え、顔を覆いたくなる衝動を必死で抑え込むルーカス。彼は一つ咳払いをすると、努めて冷静な声で話を続けた。


「……荷物が随分と少ないね。お腹は空いていないかい?」


ルーカスは、滞在しているルミナリア帝国側の人間について説明していった。


「侍女というのは名目上で、君を保護するための口実だ。だからあちらでは好きに過ごしてくれて構わない」


「! いえ! お世話をさせてください! でないと私の価値が……」


アニエスが切実な声で訴える。


(報酬がないと、また家で居場所がなくなる……)


「お願いします……っ!」


その言葉の裏にある悲痛な覚悟を感じ取り、ルーカスの胸は張り裂けそうになった。


「わかった。君はこの国のことをどれだけ知っている?」


「はい。王妃となるために毎日登城し、教育を施されてきましたので、それなりには……」


「毎日!?」


「は、はい……何か……?」


ルーカスは絶句した。

アステリアの王家がどれほど厳しい教育を「精霊の乙女」に強いるかは噂に聞いていたが、あのような冷え切った家から、毎日休みなく登城させられていたというのか。彼女に安らげる場所はどこにもなかったのだ。


(ふざけるな。……どれだけこの細い肩に背負わせてきたんだ)


「……っ、それなら心強い。この土地の食文化にも詳しそうだ。その知識を、うちの食べるのが大好きな王太子妃様に教えてやってくれないか」


「はい! わかりました!」


表情を輝かせたアニエスに、ルーカスはふっと表情を緩めた。


「やっと笑ってくれたね」


「え?」


「いや、なんでもないよ」


馬車が宿泊先の離宮に到着した。


「さあ、着いたよ」


ルーカスに手を取られ、馬車を降りたアニエスを待っていたのは、まばゆいばかりの笑顔だった。


「アニエス様! 会いたかったわ!」


「フルール……様……っ!」


駆け寄ってきたフルールが、アニエスをぎゅっと抱きしめる。

その瞬間、フルールの顔が驚愕に染まった。


「……っ、ほっそ! ちょっとアニエス様、細すぎよ……! 折れちゃいそうじゃない!」


「え、あ、あの……」


「ダメよ、こんなの! すぐにご飯の時間にするわよ! 特大サイズよ!」


フルールはアニエスの手を引くと、有無を言わさぬ勢いで中へと連れて行く。

背後でルーカスが「あはは、頼んだよ」と苦笑しながら見送る中、アニエスは生まれて初めて体験する「他人からの純粋な温かさ」に、目を白黒させるのだった。


フルールの号令とともに、テーブルには次々と豪華な料理が運ばれてきた。湯気を立てる柔らかな肉料理、色鮮やかな野菜のスープ、そして焼き立ての白いパン。


「さあ、遠慮しないで食べて! 食べなきゃ元気も出ないわ!」


「あ……ありがとうございます……っ」


アニエスはおずおずとスプーンを手に取った。公爵邸では、義妹の食べ残した冷たく固いパンや、味のしない薄いスープが常だった。

一口、スープを口に運ぶ。野菜の甘みと出汁の旨みが、冷え切った身体の隅々にまで染み渡る。


「……おいしい……」


ポタポタと、スープの皿に大粒の涙が落ちた。温かい料理がこれほどまでに心を揺さぶるものだとは知らなかった。


「ちょ、ちょっと! 泣くほど美味しかった!? もっと食べて、おかわりはいくらでもあるんだから!」


食後、アニエスはフルールに促されて宿の豪華な貸切の浴室へと案内された。

湯気の立ち込める大きな浴槽。公爵邸では、家族が使い終わった後の冷え切った残り湯を、咎められないよう慌ただしく浴びるのが精一杯だった。


服を脱ぐ際、胸元でチャリ……と指輪が鳴る。

(外して入ろうかしら……)

だが『肌身離さず持て』という父の脅迫めいた言葉が過り、結局外せぬまま湯船に浸かった。


(……温かい。久しぶりに、こんなにゆっくりお湯に浸かれたわ)


彼女は、自分自身の肩を抱くようにして目を閉じた。

かつては腰まであった美しい髪。けれど、手入れをする時間すら与えられず、少しでも時短にするために自分で無造作に切り落としてしまった茶色いウェーブがかった髪。その短い毛先を触りながら、労わるように丁寧に乾かしていく。


ふと、アニエスは心の中で、自分に寄り添ってくれていたはずの精霊を呼んでみた。

現れた精霊は、かつての輝きを失い、透き通るほど姿が薄くなっていた。もう、その声を聞くこともできない。


(……ごめんなさい。私がもっとしっかりしていれば、あなた達にこんな思いをさせずに済んだのに)


自分の無力さに胸を締め付けられながら、アニエスは精霊達に謝った。精霊はただ悲しげに、胸元の指輪へ向かって激しく首を振るだけだった。


(……え? これはアステリア王家の秘宝で、精霊の力が宿っていて、私を守ってくれる……はずよね?)


父の言葉を思い出し、アニエスは首元の指輪をそっと握りしめた。精霊の様子に一抹の不安を覚えながらも、お風呂から上がると、そこには見慣れないほど上質な生地のドレスが用意されていた。

おずおずと袖を通すと、その滑らかな肌触りの良さに驚く。


「あ! はじめまして! 私はフルール様付きの侍女、ミーナと申します!」


そこには、淡い緑の長い髪を三つ編みにした、人の良さそうな可愛らしいメイドが立っていた。


「アニエス様、とってもお似合いです! そちらのドレスはルーカス様からですよ。サイズが分からないみたいで、『今から一緒に新しいものを買いに行こう』と仰っておりました」


「え!? お、お買い物……?」


(てっきり、メイド服か何かかと思っていたのに……)


その時、コンコンと控えめなノックの音が響いた。


「準備は出来たかい?」


ドアを開けると、そこには優しく微笑むルーカスが立っていた。


「あ、はい。でも、あの……」


「よし、行こう!」


「えっ……!?」


戸惑うアニエスの手を、ルーカスは迷いなく取る。その手の温かさに、彼女の心臓がトクンと跳ねた。


(働かないと、私の価値はないはずなのに……どうしてこんなに優しくしてくれるの?)


エスコートされるアニエスの首元、服の下に隠された黒ずんだ指輪。

それは彼女の不安な鼓動に呼応するように、微かに、そして禍々しく熱を帯び始めていた。


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