第2章 5
アステリア王宮の広間では、国王夫妻と王子、そしてその隣に座る伯爵令嬢が、ワインを片手に醜悪な笑みを浮かべていた。
かつてのアステリア王家は精霊と共にあった。しかし、代を重ねるごとに王族の血は薄れ、精霊を視る力は失われていった。それを補うために稀に現れる「精霊の乙女」との婚姻を法とし、かろうじて土地の繋がりを維持してきたのだ。だが、今の王族はそんな歴史すら「古臭い迷信」として、あるいは乙女を「自分たちの力を補完する道具」としてしか見ていなかった。
「アニエスの実家が、冤罪の証拠を突きつけてくるとは忌々しい。あの家から王妃を出すくらいなら、賠償金を払って縁を切った方がマシだな」
「ええ、陛下。要求にあった『王家の秘宝』とやらも、倉庫に眠っている骨董品でしょう? 精霊が宿るなどと先代は申していましたが、結局はただの石。あんなもの、くれてやればいいわ」
王妃の言葉に、王子が伯爵令嬢の肩を抱き寄せながら頷く。
「父上、母上。このリリアーヌはあんな不気味な『乙女』よりずっと愛らしい。彼女を私の妃に認めていただけますね?」
「ふむ、家格は低いが……まぁ、不気味な置物よりはマシか。認めてやっても良い。精霊を疎かにしたからといって、困ることなど何もない。ルミナリア帝国を見ろ。あそこは人の力だけで魔物を退けたという。これからは我らも人の武力のみで、この国を守ればいいのだ」
だが、その傲慢な言葉が終わるか終わらないかの瞬間、扉が激しく打ち破られた。
「報告します! 街に魔物が発生しました! かなりの数です!」
「なにっ!? バカな、今までこの国に魔物など一度も……!」
「精霊の加護が薄れているのかと……!」
「黙れ! 迷信などどうでもいい、騎士団を向かわせろ! 人の力で十分だと証明してやる!」
だが、現場の状況は惨憺たるものだった。
「なんで! 今まで魔物なんて一度も出なかったのに!」
「助けてくれ! 精霊様、お守りください!」
逃げ惑う人々の悲鳴。急行したアステリアの騎士たちは、魔物の圧倒的な魔力の前に無力だった。
その頃、
フルール達は、慣れない異国の地での初夜に、まだ神経を尖らせていた。
滞在している宿は、一般客とは完全に切り離された別棟だった。内装や使われている家具はどれも一級品で、他国の王族や高位貴族を迎えるための贅を尽くした仕様となっている。
ギディオンはルーカスと警備状況の最終確認を終えた直後、フルールもまた、フィオの様子を気にかけながら部屋で身支度を整えていた時だった。
突如として夜気を震わせたのは、聞いたこともないような禍々しい咆哮だった。
「ッ、この声は……魔物か!?」
ギディオンが鋭く窓の外を睨む。同時にルーカスが廊下へ飛び出し、叫んだ。
「殿下、街の方角です! 火の手が上がっています!」
二人は迷わず武器を手に取った。駆け寄ってきたフルールの険しい表情に、ギディオンは短く告げる。
「ルル、お前はここで待っていろ。ルーカス、行くぞ!」
「はっ!」
二人が嵐のように現場へと駆け出していく。
一人残されたフルールは、窓の外の惨状に唇を噛んだ。
「精霊に守られているという国に、どうして魔物が……」
フィオを抱きしめながら震える乳母の傍らで、フルールは疼く頭をおさえた。
(……私にも、みんなと一緒に戦える力があったらいいのに。……いや、違う。私は、戦っていたはずよ。どうやって……?)
ズキン、と脳を刺すような鋭い痛みが走る。必死に記憶を辿る中、ふと、乳母の腕の中にいたフィオと目が合った。
真っ黒な、すべてを見透かすような瞳。その瞬間、フルールの脳内に鮮烈な光景が蘇った。
「……召喚獣。そうよ、召喚獣よ! なんで忘れていたの……!」
街の状況は惨泗たるものだった。
アステリアの騎士たちは「精霊など迷信だ、国を守るのは人間の鍛え上げた武力だ」と豪語し、自らの力を過信していた。ルミナリア帝国が魔物を退けた際も、人の力だけで討伐したのだと聞き、完全に魔物を舐めていたのだ。
だが、魔法も使えないただの騎士が、魔力の塊である魔物に敵うはずがない。
「ぐわあああ!」
「ひ、怯むな! 斬り伏せろ!」
アステリアの騎士たちは次々と負傷し、防衛線は崩壊寸前だった。
「チッ、足手まとい共が……!」
ギディオンが吐き捨て、凄まじい魔力で魔物を薙ぎ払う。ルーカスもまた、負傷した騎士を庇いながら獅子奮迅の戦いを見せるが、多勢に無勢。負傷者は増える一方だった。
そこへ――。
「――癒しの風を運ぶ小精獣、ブリーズリル!!」
フルールの叫びと共に、魔法陣からエメラルド色の光を放つ小精獣が飛び出した。ブリーズリルが羽ばたくたびに清浄な風が巻き起こり、負傷した騎士たちの傷を瞬時に癒していく。
「ルル……!?」
「みんな、下がって! ここからは私の召喚獣が引き受けるわ!」
フィオの瞳と重なった瞬間に思い出した力。フルールの指揮のもと、召喚獣たちは瞬く間に魔物を圧倒した。ギディオンたちの魔法や剣も冴え渡り、やがて夜の街に静寂が戻った。
その直後だった。
倒された魔物たちが、どす黒い霧となって空気中に溶け、跡形もなく消え去ったのだ。
「な……消えた……!?」
アステリアの騎士たちもギディオン達も、呆然とその光景を見つめる。
ルミナリア帝国の魔物は、倒せばその場に死骸が残り、フルールにとっては貴重な「お肉(食材)」となるのが常識だった。しかし、この国の魔物はまるで幻だったかのように、一欠片の肉も残さず霧散してしまったのだ。
「お、おにくがあああ!!!」
フルールの絶叫が夜空に響き渡った。
「嘘でしょ!? せっかく美味しそうに太ってたのに! 骨の一本も残らないなんて、そんな殺生な……!」
「ルル……。まあ、確かに妙だな。帝国側の個体とは根源が違うのかもしれない」
膝を突いて絶望するフルールを、ギディオンが呆れ半分で宥める。
戦いが終わって、周囲からは震えるような声が漏れ始めた。
「ありがとうございます……! 助かった……!」
「精霊……? いや、聖獣か……? あんなもの見たことがない」
「あの方はいったい……精霊の乙女なのか……?」
「いや、だが私の知っているアニエス様とは……」
人々の感謝と戸惑いが入り混じる視線を受け、フルールは小さく身を縮めた。
「……行くぞ。ここは騒がしすぎる」
ギディオンが彼女の肩を抱き、一行は宿泊先へと急いだ。
宿泊先に戻ると、ギディオンが呆然とした様子でフルールを見つめた。
「……そうだった。ルル、君は『召喚師』だったな。……なぜ、俺はこんな大事なことを忘れていたんだ?」
「……私もです、殿下」
ルーカスも眉間に皺を寄せ、己の記憶を疑うように首を振った。
「お嬢様が召喚獣と共に戦う姿を何度も見てきたはずなのに、まるで霧がかかったように思い出せなかった……。それが、お嬢様が力を振るった瞬間に思い出した。一体何だったんだ、あの奇妙な忘却は……」
「……私もなの。フィオと目が合った瞬間に、思い出した気がしたわ……」
フルールはフィオを抱き上げ、その瞳をじっと見つめる。
「あー」という可愛らしい声と、陽だまりのような赤ちゃんの匂い。
(あなたは、いったい何者なの……?)
部屋に戻り、フルールは懐かしいその言葉を口にした。
「……ステータス、オープン」
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名前: フルール
年齢: 16歳
スキル: アイテムボックス / 鑑定 / 料理 / ???
魔力適性: 魔法(不可) / 召喚魔獣(極)
【Lv:55】
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「やっぱり。上がっているわ……この数字のことを言っていたのね」
以前、神木でギディオンと番の契りを交わす前は「50」だった。さっきの戦闘で、レベルが5も上がっている。
フルールは部屋を訪ねてきたギディオンに、ステータスの話をした。
「100になったら、きっともっと凄い召喚獣が呼べるようになるんじゃないかしら!」
明るく希望を語るフルール。だが、その笑顔を見つめるギディオンの胸には、言いようのないざわつきが広がっていた。
(……なんだ、この漠然とした不安は……)
不吉な予感を振り払うように、ギディオンは静かに彼女を抱き寄せた。




