第2章 3
婚約式の朝、王宮の仕度部屋はかつてない活気に包まれていた。
鏡の前に立つフルールの姿を見て、専属メイドのミーナや侍女たちは感極まったように声を上げた。
「お嬢様……なんてお美しい……! この黄金色のドレス、ギディオン様の瞳の色に映えて、まるで太陽の女神様みたいですわ!」
「本当に。銀髪と黄金のコントラストが、言葉にできないほど気高いわ……」
そこへ、正装を整えた双子のレオンとリリアが顔を出した。普段はやんちゃなレオンも、今日は凛々しい騎士風の礼装。リリアも気品溢れるドレスに身を包んでいる。
「お姉様、すごく綺麗……。……その、世界で一番、兄様に似合ってると思う」
「……お姉様、お美しいです。我が国の誇りですわ」
頬を赤らめてそっぽを向くレオンと、恭しくお辞儀をするリリア。
フルールが「二人とも、とっても素敵よ。私、自慢の弟と妹ができて幸せだわ」と微笑むと、二人はさらに顔を赤くして照れ笑いを浮かべた。
そこへ、銀色の礼装を纏ったギディオンが現れる。控えていたルーカス副団長が、深々と頭を下げた。
「殿下、本当におめでとうございます。……お二人のこの日を、誰よりも心待ちにしておりました」
「あぁ、感謝する、ルーカス」
ギディオンはフルールの手を取ると、その黄金色のドレスを愛おしそうに見つめた。
「……その色を纏っていると、本当にお前が俺のものになるのだと実感できていいな」
熱い視線に鼓動を跳ねさせながら、二人は腕を組み、歓声の渦巻く大聖堂へと歩みを進めた。
国王の前に立ち、二人は深く礼を捧げる。
「今ここに、王太子ギディオンとフルールの婚約を宣誓する!」
鳴り止まない拍手と祝福。二人の絆は、公式に帝国の礎となった。
だが、その夜。フルールは激しい動揺の中にいた。
「……ミーナ、これ、何?」
全身を磨き上げられ、着せられたのは、透けるほど質の良い、あまりに薄手のネグリジェ。
「ネグリジェが……今までのと全然違うんだけど。これ、まさか、その……初夜?」
「はい? そうですが? 何か?」
「な、何かって……! 今日のって『婚約式』よね!?」
動揺するフルールをよそに、ミーナはテキパキと机に夜食を並べる。
「フルール様、この国では番が認められると本来なら即、結婚式なんです。殿下は二十二歳。オスの本能を抑えようとすれば、魔力が暴走しかねませんわ。しっかり受け止めてあげてくださいね!」
「う、受け止め……!?」
「はい、これ避妊薬。陛下からの言いつけもありますから、しっかり飲んでください。ギディオン様の分もありますからね! では!」
嵐のように去っていくミーナと入れ替わりで、扉が開いた。
入ってきたのは、夜の闇を溶かしたような色気を纏ったギディオンだった。
「……どうした、そんなところで固まって」
「な、ななな……なんでも、ないです……っ」
隣に座ったギディオンは、震えるフルールの肩を引き寄せた。
「初夜はまだ先だと思っていたか?」
心臓が口から飛び出しそうなほど跳ねる。ギディオンは小瓶に入った避妊薬を自らの口に含むと、そのまま強引にフルールの唇を奪った。
「んっ……!?」
舌を絡ませ、薬を彼女の口へと流し込む。逃げ場を塞ぐような熱い接吻。自身も薬を飲み下すと、彼はフルールの手を自らの逞しい胸へと導いた。
「覚悟を決めろ。お前は俺の番だ。……お前は、俺が欲しくないのか?」
低い、甘く掠れた声。オスの本能を剥き出しにしたその瞳に見つめられ、抗えるはずもなかった。
そのまま、ギディオンはフルールを軽々とお姫様抱っこで抱え上げ、広いベッドへと運んでいく。
「なっ、ギディ……っ!」
シーツの上に押し倒されると、フルールは言いようのない体の熱さに気づいた。
「あれ……なんか、体があつい……?」
「あぁ、さっきの薬には、媚薬の成分も入っているからな。初夜の痛みを和らげる効能があるみたいだぞ」
ニヤリと不敵に笑うギディオン。溢れんばかりの色気を振りまく彼を直視できず、フルールは思わずうつ伏せになって顔を伏せた。
すると、無防備になった首筋――そこにある「番の証」を、ギディオンの舌がペロリと湿らせた。
「……ぁっ!」
「大丈夫だ。俺にすべて預けていろ」
ルミナリアの夜は、二人の情熱を溶かすように深く耽っていった。
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アステリアへと向かう豪華客船の甲板で、フルールは手すりに掴まって遠い目をしていた。
足腰がフラフラで、一歩歩くごとに腰に響く。
「……信じられない、あの獣……。婚約式よね? 婚約……」
「まだ顔が赤いぞ。アステリアまでは三日の船旅だ。そこでたっぷり休め」
背後から平然とした顔で肩を抱き寄せるギディオンに、フルールは真っ赤になって睨み返した。
視線の先、水平線の向こうに島影が見えてくる。
「……あれが、アステリア精霊国」
「あぁ。精霊が守る国、と言われているが……実態は危ういものだ」
ギディオンはフルールを抱き寄せたまま、事前に調べていた文献の内容を静かに語り始めた。
「アステリアには古くからの伝承がある。この地は代々、一人の『精霊の乙女』が精霊の声を聞き、その意思を土地に繋ぎ止めることで、平穏と実りを維持しているのだという。」
「一人の女の子が、国全体の運命を背負っているなんて……」
「だが、現王家はその力を軽視し、乙女を単なる飾り物として扱っているという噂もある。……ジャッカルがその歪みに目をつけないはずがない」
「……殿下、その乙女というのは、今も実在しているのですか?」
ルーカスが真剣な面持ちで尋ねる。
「あぁ。現王子には、幼い頃からその役目を担わされている婚約者がいるはずだ」
ベアトリスの話した、ジャッカルの絶望――愛する番を失い、世界を壊そうとする彼の闇。その標的が、もしこの「精霊の乙女」だとしたら。
フルールは胸を締め付けられるような予感に、強く拳を握りしめた。
(絶対に、あなたの陰謀を止めてみせる。この世界を、守り抜くんだから)
フルールは心に誓い、決意を胸に新たな国の土を踏む。




