25
神木の光が完全に収まり、嵐のような桜吹雪が地面に降り積もった頃。
誰もいなくなったはずの場所に、二人の影がふわりと降り立った。
「……おい、嘘だろ」
真っ先に駆け寄ったルーカスが、その場で足を止めた。
そこにいたのは、漆黒の髪をなびかせていた王太子ではない。光を反射して輝く黄金の髪と、晴れ渡った空のような碧眼。
かつての伝説に謳われた、王族本来の神々しい姿を取り戻したギディオンだった。
「ルーカスか。……心配をかけたな」
「……ははっ、全くだ! その色、王宮の連中が見たら腰を抜かすぞ。何より、今の殿下は最高に幸せそうに見えますよ」
騎士たちが一斉に膝をつき、地響きのような歓声が上がる。
ギディオンは、隣に立つフルールの肩を優しく抱き寄せた。
不思議な感覚だった。
神木の中にいたあの時間、確かに誰か大切な人と、別の名前で呼び合っていた気がする。けれど、光から戻ると同時に、その記憶は霧が晴れるように消えてしまった。
残っているのは、魂に刻まれた「この人こそが自分の番だ」という絶対的な確信だけ。
それはフルールも同じだった。
「音也」――その響きを懐かしく感じたはずなのに、今はもう、目の前にいるギディオンを愛おしく思う気持ちがすべてを上書きしている。
二人は「ギディオン」と「フルール」として、この世界で生きていくのだ。
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凱旋する一行を城門で迎えた皇帝一家は、ギディオンの姿を見て言葉を失った。
「ああ……ギディオン。その姿、本来のあなたの色が……」
王妃が涙を流して駆け寄る。皇帝も震える手で息子の肩を叩いた。
「よくやった。これでお前を縛る『鞘』も役目を終えたのだな」
そして、フルールの姿にリリアが声を上げた。
「フルール、髪が! 真っ白じゃないわ、綺麗な銀色!」
「え……?」
言われて気づき、フルールは自分の髪を一房手にとった。
以前の無機質な白ではなく、月光を織り込んだような、輝く銀色。
(なんで私の髪色も変わったんだろう? ギディオン様は本来の姿に戻ったって言ってたけど……。)
その夜。祝宴を抜け出した二人は、離れのテラスで夜風に当たっていた。
隣に座るギディオンは、金髪碧眼のまま、愛おしそうにフルールを見つめている。
ギディオンはフルールの手をとり、そっと指を絡めた。
「フルール。お前が言っていた『東の国』のことだが……落ち着いたら、共に行こう。記憶は曖昧になってしまったが、俺たちの故郷に似たあの国へ。米も、味噌も、お前が食べたいと言っていたものすべて、一緒に味わいたい」
「……いいの? 王太子様がそんなに遠くへ行って」
「救世主の番を連れての外交だ。文句は言わせん。それに……」
ギディオンが少しだけ顔を近づけ、彼女の耳元で囁く。
「……本当にお前を番として迎えることができてよかった。もう二度と、お前を離しはしない。これからは、同じ時を歩もう」
その言葉に、フルールは胸がいっぱいになり、彼の肩にそっと頭を預けた。
胸がいっぱいになり、フルールは彼の肩にそっと頭を預ける。
二人の距離が自然と近づいた、その瞬間――
「あっ! 祭で買ったお米と味噌と大豆! 荷物に置いたままだった!」
「お前ってやつは……」
「ハハハ……」
二人は笑い合い、強く手を握り合う。
手首には、あの日買った腕輪が月明かりを受けてきらりと輝いていた。
それはもはや飾りではなく、永遠に結ばれた魂の証だった。
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けれど、フルールの頭の片隅には、何かがずっと引っかかっていた。
神木の底で感じた、あの深い悲しみ。そして、自分を呼んでいた「誰か」の声。
(……何かしら。すべて解決したはずなのに、このザワザワする感じ……)
その頃。
夜の神木は、淡い光をまといながら静かに佇んでいた。
幹の周囲には、目には見えないが確かに存在する――強固な結界。
誰一人、近づくことすら許されない聖域。
その結界の外に、一人の男が立っていた。
邪悪な魔力を抑え込むようにしながら、桜を見上げるジャッカル。
「……触れないか。さすがだな、神木」
かつては近づくことすらできなかった。
だが今は違う。
蘇った神木の奥から、はっきりと伝わってくる。
――微かな鼓動。
――幼い魂の気配。
「いる……」
喉が震える。
「封じられた魂が」
「本来、王太子と結ばれるはずだった存在が」
結界の向こうで、桜の幹が淡く脈打つ。
「神木が力を取り戻したからこそ……感じ取れるというわけか」
歪んだ笑みが浮かぶ。
「皮肉だな。祝福の象徴が、封印の檻だったとは」
彼は結界に触れようとして、指先が弾かれる。
見えない力が、冷たく拒絶した。
「まだ壊せない……だが」
視線が鋭く細まる。
「封印だけなら――解ける」
夜風に桜の花びらが舞う。
「中の魂を解き放てば、神木は均衡を失う」
「世界も、番も、すべて崩れる」
低く囁く。
「俺の番が奪われたようにな」
闇に溶けるように、ジャッカルは背を向けた。
神木だけが静かに光り続けている。
その奥で――幼い魂が、目覚めかけていた。




