20
「んーーーー! よく寝たわ!」
窓から差し込む柔らかな光を浴びて、フルールは大きく背伸びをした。
どうやら、あの頭痛のあと二日間も眠り込んでいたらしい。起きて早々、ミーナに「心配したんですよぉ!」と泣きつかれてしまった。
聞けば、ギディオンは執務の合間を縫っては様子を見に来て、フルールの手を握りしめ、ずっと傍を離れなかったのだという。
(……目が覚めた報告とお礼を言わなきゃいけないわね)
身支度を整え、王宮へと向かう道すがら、フルールは倒れる直前の記憶を手繰り寄せようとした。
何か、とても大事なことだった気がする。……けれど、思い出そうとすると頭の中にモヤがかかり、ツキンと小さな痛みが走る。
そんなことを考えていると、向こうから見覚えのある姿が歩いてくるのが見えた。
「フルール! 目が覚めたのか!」
ギディオンが、パッと顔を輝かせて駆け寄ってくる。
その様子に、周囲の従者たちがザワついた。
「体調はどうだ。痛いところなどはないか?
食事は終わったのか?2日も眠っていたからな、
しっかり食べたんだろうな?」
(笑っている……あの『漆黒の闇王子』とまで言われたあのお方が、あんなに嬉しそうに笑っている……)
(いや、あの笑顔はフルール様限定だぞ。見ろよ、あのデレデレ具合……)
「(近い近い近い近い!)ギギギディオン様、
その節はご心配をおかけしました……」
フルールが気圧されて一歩引こうとした瞬間、逃がさないと言わんばかりに、ギディオンの大きな手が彼女の手首をガシッと掴んだ。
「――どこへ行く。ちょうど時間が取れたところだ。お茶でも……、いや、お茶を飲んでいけ。断ることは許さん」
「えぇっ!? いえ、私は新しい魔物食の調査を……」
フルールが戸惑いながらも手を引こうとするが、ギディオンは指一本分も力を緩めない。それどころか、まるで迷子を保護した親のような、あるいは獲物を捕らえた肉食獣のような、必死さと強引さが混ざった視線を向けてくる。
「……調査など後でいい。俺の目の届くところで大人しくしていろ」
(な、なにこの強引さ!? おばあちゃん、こんなに激しく迫られたら心臓がもたないわよ……!)
「でっ...でも」
フルールが断りかけると、ギディオンはあからさまに肩を落とし、大型犬のようにしょんぼりとした。
「……ぐっ、分かったわよ、お茶にします……」
その破壊力抜群の落ち込みっぷりに、おばあちゃん(中身)は根負けしてしまった。
「そうか。では、すぐに向かおう」
ぱっと表情を明るくしたギディオンは、フルールの手首を掴んだまま、さっさと歩き出そうとする。そんな主君の現金な様子を見て、傍らに控えていたルーカスが深く、深く溜息をついた。
「……殿下、あとの書類仕事と騎士団への報告は、私がすべて引き受けておきますよ。ええ、もう好きにしてください」
ギディオンは歩きながら、背後を振り返りもせずに片手を挙げて応える。
「すまない、ルーカス。頼んだぞ」
「はいはい、分かりましたよ。……全く、誰があの氷の殿下をあんなふうにしたんだか」
呆れ顔で首を振るルーカスをその場に残し、フルールは半ば引きずられるようにして王宮へと連行されていった。
王宮の執務室でお茶を飲みながら、フルールは気になっていたことを尋ねた。
「あの、ギディオン様。……『黒髪黒目の乙女』の方は、どうなったの?」
その問いに、ギディオンがカップを持つ手をピタリと止める。
「……地下牢だ。王族を騙り禁術を用いた罪、そしてお前への害意。それ相応の裁きを受けてもらう。もう二度とお前の前に現れることはない」
ギディオンの声は冷徹だったが、フルールを見つめる瞳には深い安堵が混じっていた。
「そう……。せっかく待ち望んだ『番』かと思ったのに、残念だったわね」
「残念などあるものか。……あんなものより、お前が無事であることの方が、俺にとっては数万倍重要だ」
「な、何を言って……。あ、そうだ! 話を変えるけど、豊穣の星月祭……というのがあるそうね!」
あまりに真っ直ぐな言葉に耐えきれず、フルールは慌てて話題を切り替えた。
「ああ、帝国で最も重要な祭りだ。当日は王族が民の前で挨拶をするんだが、そこでフルールのこれまでの功績を称え、父上から褒賞なども与えられるらしいぞ」
「へぇ~……って、褒賞!? そんなのいらないわよ!」
「貴族たちの手前、受け取らないわけにはいかないだろう」
「えぇ~……」
「……褒賞と聞いて、ここまで嫌そうな顔をする奴がいるとはな」
ギディオンは苦笑するが、フルールは真剣だ。
「だって、何が来るか想像できないじゃない。それに私、落ち着いたらこの帝国以外も見て回りたいと思っているし!」
その言葉に、ギディオンの空気が一変した。
「……なんだって?」
「な、なんで怒るのよ! ギディオン様の『本物の番』が現れたら、私がここにいると何かと問題になりそうでしょ!」
ベアトリスに言われた「出番はない」という言葉。あながち間違いではないと、フルールは思っていた。
けれど、ギディオンは一歩踏み込み、対面に座っていたはずが、いつの間にかフルールの隣に腰を下ろしていた。
「問題になど、させるわけがないだろう」
「へっ? なになに、近いわよ」
「……“ルル”」
ギディオンが、低く甘い声でフルールの愛称を呼び、その手を優しく、けれど逃がさないように握りしめる。
(その色気はしまってー! 音也、私には音也という大事な人がいるんだからダメなのよ、ダメダメ!)
心の中でおばあちゃんは大パニックだ。
コンコン。
「ギディオン様、よろしいでしょうか」
絶妙なタイミングで入ったノックの音に、ギディオンが小さく舌打ちをする。
「そ、そろそろ行くわね!!!!」
フルールは真っ赤な顔をして、早歩きで執務室を飛び出した。
離れに戻っても、フルールの心は悶々としていた。
音也に似ているようで、似ていない彼。
ベアトリスの件以降、明らかに彼の態度は変わった。自惚れでなければ、そこには明確な「好意」がある。一度結婚した身として、さすがに鈍感ではいられなかった。
「ど、どうしよう音也~~~っ!」
空を見上げて叫ぶ。
考えを振り切るように、フルールは王宮図書館で「帝国以外の国」を調べ始めた。
「適当に『東の方から来た』なんて言っちゃったけど……本当にあるのね、東の国」
大きな海を渡った向こう側。そこには、フルールの知る「故郷」に似た国が存在していた。
何より目を引いたのは、その食文化だ。
「え、これって……米! 味噌! 納豆! 大豆があるわぁ~!!!!」
大喜びでその一冊を借り、離れに戻る。昼食を用意していたミーナに早速尋ねてみた。
「あちらの国とは、最近まで交流が止まっていたんです。でも、魔物食の普及で外交や輸出入が再開されたそうで。今度の祭りの出店には、珍しい東の国の食材も並ぶかもしれませんね」
「まあ! 行きたいわ、絶対に行くわ!」
現金なもので、食い気が勝ったフルールのワクワクは止まらない。
ミーナによれば、星月祭はみんな着飾って外に出る特別な日で、出店が立ち並ぶ中、プロポーズをする人も多いのだという。
「なんだか、とても楽しそうね!」
懐かしい故郷の味に出会えるかもしれない。
祭りの日の到来を、フルールは心待ちにするのだった。




