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王宮の離れは、思っていた以上に静かだった。
白い壁に陽光が差し込み、小さな庭には風に揺れる花々が咲いている。
案内された部屋の扉を開けた瞬間、フルールは思わず感嘆の息を漏らした。
「まあ……。これはまた、ずいぶんと立派なお部屋ねぇ」
天井は高く、柔らかなクリーム色の壁紙には上品な金の刺繍が施されている。
足元には、ふかふかのペルシャ絨毯のような織物。
そして何より目を引いたのは、部屋の真ん中に鎮座する大きな天蓋付きのベッドだった。
(こんなお姫様みたいなベッド、腰が沈んじゃいそうだけど大丈夫かしら……)
そっと指先でリネンの質感を確かめる。
上質な綿の香りがして、掃除も行き届いているようだ。
(カーテンのドレープもきれい。窓枠の彫刻も凝ってるわね……。これ、お掃除するメイドさんは大変だわぁ)
前世で長年主婦をしてきた悲しい性か、豪華さよりも先に「手入れの大変さ」を考えてしまう。
ふと窓際に目を向けると、小ぶりなティーテーブルと、座り心地の良そうな一人掛けのソファが置かれていた。
(ここで日向ぼっこをしながらお茶を飲んだら、最高でしょうね)
窓の外には、手入れの行き届いた専用の庭が見える。
日本の自宅の狭い庭で、音也と一緒に手入れをしていた盆栽や、縁側の景色がふっと脳裏をよぎる。
(……音也、見てる? 私、なんだかとってもすごい所に招待されちゃったわよ)
少しだけ寂しさと、それを上回るワクワクを感じながら、フルールは大きな姿見の前に立った。
そこに映る少女は、まだこの豪華な部屋に気圧されているようにも見えたが、その瞳には確かに「新しい生活」への好奇心が宿っていた。
そこに――。
「フルール様! お荷物の整理はお済みでしょうか!」
明るい声とともに現れたのは、茶髪のショートカットのメイドだった。
快活な笑顔がまぶしい。
「私はミーナと申します! 本日からフルール様のお世話係です!」
彼女はフルールを見るなり、ぱぁっと表情を輝かせる。
「……近くで見ると本当に……」
両手を胸の前で組み、
「天使ですか!?
それとも女神様ですか!?
女神様とお呼びしても――」
「絶対やめて」
にっこり笑顔で即答。
しかし目だけは笑っていなかった。
「ひぃっ」
ミーナが背筋を伸ばす。
「よ、呼びません! 呼びませんから!」
(この子、元気すぎるわね……)
だが悪い気はしなかった。
「ちなみに、あなたはなんの動物の末裔なの?」
「ラタトスク…簡単に言うとリスですね!」
「ふふっ...そんな感じがするわね」
ひと息ついたあと、フルールはふと思い出す。
(そうだ。甘いもの……)
双子が目を輝かせていた顔が脳裏に浮かぶ。
(あの子たちを喜ばせたいわね)
「ミーナ、この国に魔物の資料がたくさんある場所ってある?」
「はい! 王宮近くの大図書館です!」
「じゃあ、午前中はそこに行きたいわ」
「かしこまりました!」
準備を進めていると――
扉を叩く音がする。
「入るぞ」
現れたのはギディオンだった。
「どこへ行くつもりだ」
「図書館ですけど?」
「私も行こう」
即答だった。
フルールが首を傾げる。
「え、番探しはいいんですか?」
一瞬、ギディオンの視線が揺れる。
番探しは急務だ。
頭では分かっている。
だが――
それでも。
目の前の少女を知りたいという感情が、判断を鈍らせていた。
「……今は食料を安定させる方が先だ」
それが最もらしい理由だった。
「ふーん?」
フルールは深く追及せず、あっさり頷いた。
そう言って歩き出すと、
王宮の回廊に朝の光が差し込んでいた。
「図書館って、そんなに大きいんですか?」
何気なく尋ねる。
「王宮付属のものではなく、王都最大の知識庫だ」 「魔物、生態、魔法、歴史……あらゆる記録が集められている」
「へぇ……」
フルールは感心したように息を漏らす。
「じゃあ一日じゃ読み切れないわね」
「一生かけても無理だろうな」
淡々とした答えに、思わず笑う。
図書館は石造りの大きな建物だった。
天井まで届く本棚がずらりと並ぶ。
フルールは魔物関連の棚へ一直線。
「えっと……」
何冊も引き抜き、ぱらぱらとページをめくる。
危険度、特性、生息地。
ギディオンも隣で目を通し、ときおり補足する。
「この魔物は群れで襲う」
「これは炎属性だ」
「見た目以上に俊敏だ」
「なるほどねぇ……」
そのとき。
フルールの視線が、さらに上の棚へ向いた。
「あ……」
背伸びをして指を伸ばす。
つま先立ちになっても、ほんの少し届かない。
「んー……」
ぐっと伸ばした瞬間――
ふわりと影が落ちた。
後ろから伸びてきた長い腕。
「おい」
低い声が耳元に落ちる。
「これが欲しいのか」
同時に、本がすっと引き抜かれた。
「え――」
懐かしい匂いがする。
振り向いた瞬間、すぐそこにある顔。
近い。
近すぎる。
肩が触れそうな距離。
吐息すら感じそうで。
「っ……!」
フルールの胸が跳ね上がる。
(ち、近いわよ王子様……!)
一方のギディオンも、わずかに息を止めていた。
小柄な体。
ふわりと甘い香り。
思いのほか細い肩。
(……近すぎた)
一瞬だけ視線が絡む。
「……」
「……」
沈黙。
ギディオンは軽く咳払いし、視線を逸らして本を差し出した。
「これだろう」
「あ、ありがとう……」
心臓の音がうるさい。
(なによこのドキドキ……年甲斐もなく)
だが彼の胸も、妙に騒がしかった。
そして。
一冊の挿絵に目が止まった。
巨大な蜂のような魔物。
「……ハニービー」
指でなぞる。
「この魔物なら、それっぽいわね。
日本で言うと蜂かしら。」
「にほん?」
「あ、いや、こっちの話…です」
(あぶないあぶない……)
ギディオンはしばらく彼女を見つめ、静かに言った。
「……敬語で話す必要はない」
「そのままでいい」
「え、王子様なのにいいんですか?」
「あぁ」
(敬語だとなぜか違和感を感じる……)
(昔から知っているような錯覚を覚えるのはなぜだ)
「じゃぁ、遠慮なくそうさせてもらうわね。」
魔物の本を数冊借り、午後。
フルールは森へ向かう準備を整えていた。
「副団長ルーカス、騎士団数名、同行します!」
「よろしくお願いしまーす!」
ギディオンは馬の前で立ち止まり、騎士団へ向き直った。
低く、よく通る声が森の縁に響く。
「これより、魔の森入口周辺にてハニービーの捜索に向かう」
一斉に背筋が伸びる。
「主目的は生態確認と討伐」
「無理な深追いはするな」
「隊列を崩さず、互いを常に視界に入れて行動しろ」
「「「了解!!」」」
重なった声が森に反響する。
(ついでにお肉もあったらいいわね)
ギディオンは自分の馬の手綱を引き寄せ、ひらりと鞍に乗る。
「来い」
短い一言。
フルールは一瞬ためらってから、前回と同じように差し出された腕を掴んだ。 軽く引き上げられ、すとんと背後に収まる。
思ったよりも近い。
鎧越しでも伝わる体温と、馬の動きに合わせて揺れる背中。
(……やっぱり近いわね)
前に乗ったときより、不思議と距離を意識してしまう。
ギディオンはわずかに肩越しに振り返る。
「掴まっていろ」
「はい」
短く返事をしながら、そっと鎧の端を握る。
馬が歩き出す。
風が頬を撫で、騎士団がその後に続く。
ギディオンの背は揺れながらも安定していて、
なぜか安心感があった。
魔の森の入口が見えてくる。
ギディオンが低く告げる。
「無理はするなよ」
「はーい」
こうして――
魔物食で帝国を元気に!
への第一歩は、静かに始まったのだった。




