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9  彷徨う魂

 僕の声に三沢さんは頷いた。


「そうだ。その子のお父さんは焼けた自分の家を掘り起こして、妻や子供の骨を拾い集めたんだ。惨い事だよね。その子も懸命に手伝っていたね。でも、その子は死んじゃってるから魂だけの存在だろ? お父さんには見えなかったんだよね。でもね、ある日お父さんはその魂の存在に気付いたんだ。そしてそれをギュッと抱きしめた。愛おしそうに泣きながらね。お父さんが全ての骨を拾い終えた日、私たちは姿をみせたんだ。もちろん人型でね」


 悲しい話をしているのに、なぜこの人たちは笑顔なのだろう。

 三沢さんの話は続く。


「私たちが、その子から預かっていた言葉を伝えると、泣きながら何度も何度もお礼を言うんだ。そして拾い集めた骨に向かってその言葉を伝えていたよ。するとね、燃え残った瓦礫の中から美しい光りが数本天に伸びて、明るい笑い声が聞こえたんだ。ああこれが天に召されるという事なんだと……これが成仏するという事なんだと私たちは理解した」


 古村さんが僕の前に跪いて目線を合わせて言った。


「その瞬間、俺も三沢もとても幸せな気分になったんだ。きっと俺たちも天に召されれば、こんなに幸せな気分でいられるんだろうと思った。でもね、ふと振り返るとたくさんの魂が悲しみを抱えたまま彷徨っていたんだよ」


 古村さんの目が悲しみを湛えた。 


「俺たちの母親や兄弟を殺した奴らの魂もそこにいた。その子を殺した女の魂もいたよ。結局みんな死ぬってことさ。どれほど足搔いても、死ぬ時がくれば死ぬんだ。空しいよな。本当にバカバカしいよな。でもよく考えたら、動物は全て同じことをしてるんだ。生きるためには他の命を狩るしかないんだよ。そして狩られた命にも、俺たちと同じように親も兄弟もいたはずだ。誰にもあいつらを責める権利はないさ」


 三沢さんが続ける。


「それに気づいた私たちは、ひとつでも多くの魂を幸せにしてやろうって決心した。それが助けてくれた君に対する恩返しになると思ったんだよ。愛のこもった言葉を伝えることで、幸せに逝けるという事はわかったのだから、それを私たちで伝えてあげようってね。人型の時に名乗る名前もその時に決めた。兄弟だと思われない方が良いと思って、わざと別々の苗字にしたんだよね。どうしてそう思ったかは忘れちゃったけれど」


「ひとつでも多くの魂を……」


 僕は少しだけ心が動いている自分に驚いた。

 古村さんが楽しそうに言う。


「そうこうしているうちに、伝えられずに漂っていた言葉たちが、俺たちのところに勝手に届くようになった。時々顔を出す仙人のようなじいさんが言うには、それを『言霊』というらしい。集まった言葉を忘れないように綴っているうちに、どんどんと溜まってしまってね。それで今の状態なんだ。ちなみに三沢の名前を決めたのは俺だ。俺の名前を決めたのも俺だ。俺は三沢より一年ほど早く生まれているからね」


 三沢さんが肩を竦めてみせる。

 僕とばあちゃんはいつの間にか、つられるように笑顔を浮かべていた。


「それで、なぜ君に手伝ってもらいたいかっていう話だ。もうわかったと思うけれど、君は私たちを救ってくれたその男の子の生まれ変わりなんだ。魂の匂いと色で分かるんだよ。君に記憶は無いだろうけれど、改めてお礼を言わせてほしい。あの時は本当にありがとう。あのまま死んでいたら私たちは怨霊になっていたかもしれない。私たちの魂を救ってくれた君の勇気に最大限の謝意を捧げたい」


 三沢さんと古村さんが僕の前で深々と頭を下げた。


「いや……僕は……えっ……僕?」


「うん、君だ。間違いない」


 僕はどうして良いのかわからず、焦ってばあちゃんの顔を見た。

 ばあちゃんも驚いた顔をしている。

 三沢さんが真剣な顔で僕に言った。


「聡志君、君の魂は本当に美しい。その美しさは傷ついた人の魂を引き寄せる力を持っているんだよ。特に傷ついた子供の魂は、魅入られたように君のもとに集まるだろう。もちろん決めるのは君だし、私たちも無理強いするつもりは無い。もっと言えば、彷徨う魂はいつか必ずここに来るから、君が責任を感じる必要もないんだ」


 その言葉に僕は少しだけ息を吐くことができた。


「まあ、正直に言うと俺たちが君と一緒にいたいだけなんだけどね」


 お道化たように発した古村さんの言葉は、僕に思わぬ衝撃を与えた。


「ほら、店の外を見てみろよ。もう子供たちが集まってるだろ」


 海へと続く階段に座ってこちらを見ている数人の子供たち。


「あの子たちは……」


「あの子たちは、君と同じようにどうして良いのか分からないまま、悲しみを抱え続けている子供たちだよ。ほら、目を見れば分かるだろう? 可哀想な子供達なんだ」


 古村さんがいう通り、子供たちの目は何かに怯え戸惑っていた。

 三沢さんが口を開く。


「ご両親の心の声を受け取った君は、もういつでも旅立てる。焦る必要は無いよ。だからせっかく来てくれた子供たちを先に送ってやろうね。その間に君はゆっくり考えてくれ。君が選んだ道を私たちは尊重する」


 僕とばあちゃんは手を繋いで古書店を出た。

 縋るような子供たちの視線が痛い。

 斎藤さんが少し離れてついてきた。

 なんだか守られているような安心感があるのは、斉藤さんが警察官だったからだろうか。

 僕とばあちゃんは波打ち際まで歩いて、そのまま砂の上に座った。


 しばらく黙ったまま二人で潮騒の音を聞き続けた。

 同じリズムで繰り返されるその波音は、泣きたくなるほど心に沁みる。


「ばあちゃんはどう思う?」


 僕の声にばあちゃんがゆっくりと顔を向けた。


「ばあちゃんは聡志ちゃんとずっと一緒にいたいよ。でもね、逝っちゃったら何も覚えてはいられないんだ。聡志ちゃんはばあちゃんのことを忘れるし、ばあちゃんも聡志ちゃんを忘れてしまうんだよ」


「寂しいね」


「そうだね、寂しいね。この世界に生きている人間だけが、忘れないという特権を持つんだろう。だからみんな自分の子孫を残して、自分という存在を覚えていてもらおうとするのかもしれないね」


「僕は絶対にばあちゃんを忘れないよ? お母さんのこともお父さんのことも忘れないよ?」


 ばあちゃんはゆっくりと首を横に振った。


「忘れないとだめだ。覚えているなんて辛すぎるからね。忘れてしまうから次に進めるんだよ。魂の浄化というのはそういうことだよ」


「魂の浄化? 三沢さんの言う『心の声』を聞かないと浄化されないの?」


「どうだろう。それはばあちゃんも知らない。でもきっと、魂の中に愛されていたという記憶が無いと悲し過ぎるからじゃないかな? 悲し過ぎると前を向く勇気が生まれないものだよ」


 僕はふと斉藤さんのことが気になった。


「斉藤さんはなぜここに残っているのですか?」


 斎藤さんが穏やかな声で答えた。


「君の叔父さんに頼まれたからだよ」


「叔父さん?」


「うん、君も会っただろう? 実の母親の前で言うのはどうかと思うけれど、あの男はとても心の弱い男でね、誘惑に勝つことができない人間だ。私も何度か逮捕したよ。その度に説教して、更生の約束をさせるのだけれど、結局同じことを繰り返していたね。そんな彼が私の葬式に来て泣くんだよ。さすがに驚いたねぇ。おまけに私に対する言葉じゃなく、自分が迷惑をかけ続けた人たちを、あの世で守ってくれと頼むんだ。面白いだろう?」


 ばあちゃんが申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。


「もうすぐ死んでしまう母親や、もう死んでしまった兄夫婦、そして葬式にも行けなかったたった一人の甥のことを、号泣しながら頼む頼むってさあ。だからかな、まだ君が彷徨っているのなら、一緒に連れて行ってやろうって思ったんだ。でも私の出る幕は無かったね。こんなに君を愛しているおばあさんが君の手を握っていたのだから」


 斉藤さんの笑顔が心にまっすぐ沁み込んできた。


「三沢さんも古村さんも、どれほどの決意で今の仕事をしているのかなんて、未熟な私には想像もできない。だから私から君に言えることはたったひとつだ。自分の心に噓をついてはいけないよ。それだけだ」


 なぜ僕は泣いているのだろう。

 この町に来てからずっと無視されて、悲しくて辛くて、悔しくて寂しくて。

 昨日まではこんなところ絶対に出て行ってやるって毎日毎日泣いていた。

 でも僕にはばあちゃんがいてくれたんだ。


「あの子たちには誰もいなんだろうね。ひとりでずっと彷徨っていた……可哀そうに」


「自分よりあの子たちを可哀そうと思えるんだね、君という子は……強い男だな」


 斎藤さんの言葉が僕の弱さを炙り出す。

 僕は自分が世界で一番不幸だと思っていた心を恥じた。

 

「ばあちゃん、僕……」


「うん、分かってるよ。聡志ちゃんの思うようにすればいい」


 僕はばあちゃんの手を握って『ルナール古書店』に戻った。

 あれほどいた子供たちは、もうほとんど姿を消している。

 きっとみんな浄化してもらったんだなと思った僕は、斉藤さんの顔を見た。


「斉藤さん、ばあちゃんを一緒に……よろしくお願いします」


「任せてくれ」


 こうして僕は『ルナール古書店』のバイトとして住み込むことになった。

 狐ではない僕の姿は誰にも見えないし、話しかけても誰にも気付いてさえもらえない。


 でもお腹は空かないし、着替える必要も無い。

 三沢さんは笑うけど、古村さんが時々どこかから持ってくるお菓子も食べれば美味しいって思えるから満足だ。

 雨が降っても濡れないし、壁をすり抜けてどこにだって行ける。

 そう考えたら、この状態もそんなに悪いことばかりじゃない。


 それに悲しい顔だった子供たちが、幸せな笑顔を見せてくれるのが何より嬉しい。

 二匹の狐さんは、かなり人使いが荒いけれど、僕の毎日はとても充実している。

 生きている時より死んでからの方が充実してるなんて、もしかしたら僕だけかもしれない。

 ああ、今日も子供たちがやってきたようだ。


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