22 砂時計
僕は大きく息を吸い込んだ。
「先にコーヒーを淹れますよ。三沢さんにココアも頼まれているし」
「そうか? じゃあこれも一緒に出してやってくれ」
古村さんがポケットから出したのは市販のスナック菓子で、筍の形をしたクッキーにチョコがコーティングされたものだった。
「これ? 幸子ちゃんはこれが好きなの?」
「ああ、母親の意識に入って確認したから間違いないよ。誕生日にこれを買ってやると言ったら、ものすごく喜んだんだってさ。誕生日が来る前にあんなことになっちゃったけどね」
「そうなんだ……コンビニでも買えるようなお菓子なのに」
「これを全部一人で食べるのが夢だったんだとさ。あの子たちがどんな毎日を送っていたのかを調べようとしたけれど、止めた。知ったところでどうしようもないさ」
僕は丁寧にココアを練った。
「どうしようもない……まあ、確かにそうですよね」
「なあ聡志、誤解するんじゃないぞ? 死に尊卑は無いんだ。死はただの現象なんだと覚えておけ。尊い死に方なんて無いし、恥ずべき死に方なんてものも無い。ただ魂が肉体を離れて故郷に戻るだけだ。そこに感情移入をするな」
僕はなぜだかものすごく腹がたっていた。
古村さんが言うことは正しいのだろうけれど、納得できない何かが僕の胸を締め付ける。
「冷めちゃうぜ? どうせなら温かいまま出してやれよ」
僕は再び手を動かした。
ドロドロに練り上げたココアを、温めた牛乳でのばしていく。
この工程で手を抜くと拙くて飲めたものじゃなくなる。
「甘い方が良いかな」
「ああ、まだ子供だからな。うんと甘くしてやろう」
「まだ子供……そうですよね、幸子ちゃんはまだ幼い子供だったんだ」
「勇者だったっけ? うまいこと言うなと思ったよ。お前ってもしかすると文才があるかもしれんな。どうだ? 送ってやった子供たちのことを文章に残してみるってのは」
「そんなこと! 無理ですよ。僕に文才なんてあるわけ無いじゃないですか。小学校もろくに行けてないのに」
「文章を書くのに学歴なんて関係ないさ。感じたことを文字に起こす作業だろ? 自分の心に素直になればいいだけだ。誰にも送られずに逝ってしまったあの子たちが、確かに生きていたのだという証を残すのなら、フィクションも技術もいらないんだよ。何も引かなくていいし、何も足さなくていい。ただあるがままを書くだけさ」
「逆に難しそうだな」
「うん、たぶんね」
「考えておきます」
コーヒーの抽出時間を計るための砂時計を見る。
あとほんの数秒で全ての砂が落ち切るだろう。
古村さんがポツンと言った。
「砂時計ってさ、人の寿命みたいな感じだな。生まれた瞬間に命の砂時計がひっくり返されるんだ。どうやっても止めることはできない」
「それって生まれた瞬間から、死に向かっているってこと?」
「そういうことになるな」
僕はもう一度砂時計を見た。
すでに砂は落ち切っている。
ゆっくりとフレンチプレスのフィルターを押し下げた。
「持って行ってきますね」
「ああ、これは箱ごと渡してやってくれ。子供はその方が喜ぶ」
「わかりました。古村さんって子供の気持ちがわかるの?」
「いや、経験則だよ。もう何人も送ってきたからな」
そうだよね、古村さんも三沢さんもずっとそうしてきたんだものね。
僕の魂が一度他の星に行って、またこの星に戻って来る間もずっと頑張っていたんだ。
そしてまた僕の命の砂時計の砂は落ち切って、今は魂だけになってここにいる。
トレイにココアとマンデリン、そしてスナック菓子の箱をのせて、僕は古書店の二階へと上がっていった。
「ちょっと休憩しませんか?」
「ああ、良い香りだ。助かるよ」
三沢さんが近くに置いてあった小さなテーブルを引き寄せた。
「はい、幸子ちゃん」
僕がスナック菓子の箱を渡すと、幸子ちゃんの目が輝いた。
「すごい! これ欲しかったの!」
喜ぶ幸子ちゃんを微笑ましそうに見ている三沢さんが聞いた。
「古村?」
「ええ」
僕の返事に三沢さんが大きなため息を吐く。
「また傷を負ってきたんだな。なあ聡志、ちょっと古村と一緒に居てやってくれよ。あいつはへらへらしているように見せているけれど、本当は繊細で傷つきやすい奴なんだ」
僕は声に出さずに頷いた。
「じゃあ幸子ちゃん、ココアも熱いうちに飲んでね」
「ありがとうございます。ごちそうになります」
これ以上ここに居ると、きっと泣いてしまうだろうと感じた僕は、急いで厨房に戻った。
古村さんは調理台に両肘をついて何やら鼻歌を歌っている。
「すぐに淹れますね」
僕は急いでマシンのスイッチを入れた。
「ねえ古村さん、さっきの話だけど、真面目に考えてみようかな」
古村さんが歌うのを止めて僕の顔を見た。
「うん、それも供養だと思ってやってみなよ」
エスプレッソマシンのボタンが赤から緑に変わる。
慎重にタンピングをして湯通ししたマシンにセットした。
「慣れたもんだな。もうすでに旨いことがわかるよ」
古村さんはコーヒーの香りを何度も楽しんでから、砂糖を三杯静かに入れた。
ゆっくりとかき混ぜて口に含む。
飲み下す前に、何度か鼻で呼吸をするのが古村さんの楽しみ方だ。
「どうですか?」
「完璧」
一口飲んでは小さなスプーンでかき混ぜる。
溶け残った砂糖を掬い、嬉しそうな顔で口に運んだ。
「至福だな。お陰で傷が癒えたよ」
「そりゃよかった」
「なあ聡志、辛くなったら言えよ。俺がお前を送ってやるから」
「ええ、その時は言いますよ。でもまだ良いかな。お店も楽しみだし、古村さんも三沢さんも放っておけないしね」
フンッと鼻で笑った古村さんは、名残惜しそうにカップを置いた。
「あまり深く考えるな。それが長く続けるコツだ」
「それも経験則ですか?」
「そうだよ、何年やってると思ってるんだ」
「慣れました?」
少し考えたから古村さんが言った。
「いや、慣れることは無いな。人ひとりに一つの人生があるんだ。何度やってもすべてが初めてと同じだよ」
「なんだか人生って流れ星みたいですね」
古村さんが顔を上げた。
「うん、やっぱりお前には文才があるな」
それきり僕たちは黙ったままずっと海を見ていた。




