19 ずっと待っていた子供
古村さんと一緒に買ってきた荷物を解いている間に、三沢さんが一真君と話をした。
ちらちらと様子を気にしている古村さんに、僕が声を掛ける。
「気になるなら一緒に聞けばいいのに」
古村さんが眉尻を下げる。
「俺の顔は怖いだろ? こういうことは三沢の方が適任なんだよ」
「三沢さんってその子の過去がわかるんでしょ?」
「あいつは優しいからな。俺はどうも感情移入してしまってダメなんだ。あの子のこともそうさ。あの蟀谷の傷は角材で殴られた痕だ。故意なのか事故なのか……進駐軍にやられたのか、日本人にやられたのかはわからん」
僕は驚いて古村さんを見た。
「日本人? 日本人の大人の男が同じ日本人の子供を殺したっていうの?」
古村さんが困った顔で僕の目を覗き込む。
「何言ってるんだ? お前も日本人の大人の女に殺されたくせに」
「あ……そうでした」
「三沢はなぁ、魂にシンクロするのが上手いんだ。やり過ぎると疑似体験になっちまうから奴の魂も痛むんだ。きっと今頃はあの子の死に際を追体験してるだろうぜ」
「三沢さん、辛いでしょうね」
「ああ、辛いだろうな。俺はシンクロしてしまうと復讐に走りそうになる。でも相手はもう生きてないから、怒りのやり場が無いだろ? 魂がやさぐれちまう。だからなるべく近づかないようにしてるのさ」
僕はこの頑張っている狐たちに何かをしたくて仕方がない気分になった。
「コーヒーを淹れましょうか?」
「ああ、頼むよ。三沢のも淹れてやってくれ。それと、あの子には……」
「ええ、すぐに麦茶を作ります。焙じるのは上手いですよ? ばあちゃん直伝だ」
古村さんが何度も頷いた。
「あの頃の子って何を喜ぶのかな……やっぱりアンコかな」
そう言うと古村さんはパッと姿を消した。
僕が焙烙に大麦を入れて、木べらで丁寧に焙じてゆく。
すぐに戻ってきた古村さんの手には、有名な和菓子店のあんころもちがあった。
「十個買ってきたからみんなで喰おう。今日は麦茶にしようぜ。その香りがたまらん」
「わかりました。もう少し待っていてくださいね。冷たい方が良いですか?」
「俺は温かいのが好きだな。まあ、今日はあの子に合わせてやってくれ」
「そうですね」
三沢さんが厨房に顔をのぞかせた。
「お? 麦茶作ってるの? あんころもちもあるじゃない。気が利くなぁ」
「もう少し時間がかかりますよ」
僕がそう言うと、三沢さんが笑いながら話しかけてきた。
「なあ聡志、海に連れて行ってやってくれよ。行ったことが無いんだってさ。そっちは私がやるから。こう見えても、焙烙を使わせたら私より上手い狐はいない」
いやいや、焙烙が使える狐なんてそうはいないからね?
「わかりました。じゃあ後はお願いします」
僕は古書店の二階に上がり、小さな椅子に座っている一真君を誘った。
「海に行ってみないか? 今の季節が一番きれいなんだ」
僕はまた現身を解いて魂だけの姿になっている。
「うん、行ってみたい」
僕たちは手を繋いで、海までの階段を降りた。
僕の方が少しだけお兄ちゃんって感じかな。
「広いねぇ……ずっと向こうまで全部海なの?」
「そうだよ、ずっとずっと向こうの向こうまで海さ」
「僕のお父さんは漁師の息子だったんだって」
「へぇ。でも一真君は海に行ったことが無かったの?」
「うん、僕は気管支が悪くて……いつも横になってばかりだったから」
「そうか、それは辛かったね」
一真君が僕の横にちょこんと座った。
「あの日もね、ちょっと具合が悪かったのだけれど、お母さんは仕事に行かなくちゃいけないでしょ? だから僕は何も言わなかったんだ。一緒に家を出て、いつものようにあの建物に連れて行かれた。発作が起きて苦しかったけれど、お母さんが迎えに来るまで待ってなくちゃって……あそこはとても騒がしくて、息が苦しくなっちゃったから外に出たんだ。苦しそうに咳きこむ僕を見た怖い叔父さんが、悪い病気を撒き散らすなって怒鳴って……」
「そうだったのか。辛かったね」
「それで……座っている僕を……そのおじさんが……グフッ!」
一真君が胸を押さえて激しく肩を揺らした。
「もういい! もういいんだ。何も言わなくていいよ。何も思い出さなくていいから」
僕は慌てて一真君の肩を抱いた。
「僕ね、明日逝くことになったの。三沢さんが今夜中に言葉を探してくれるって。もしなくても大丈夫だって言ってくれたんだ」
「うん、大丈夫だよ。もし言葉が残っていなかったら、僕が君に贈るよ」
「お兄ちゃんが?」
「うん、だって君は僕が君をみつけたんだもの。きっと何かの縁があったんだと思うんだ」
「そうかな……へへへ」
嬉しそうな一真君を見ると、胸が苦しくなる。
この痛みは喘息発作の痛みなのか、それとも殴り殺されたときのそれなのか。
どうやら僕も一真君とシンクロしちゃったみたいだ。
「ねえ、一真君はどうしてあそこにいたの? おうちに帰ろうとは思わなかった?」
「だってお母さんが絶対にここを動いちゃだめって」
「そうかぁ……きっと君が心配だったんだね」
「うん、僕ねぇお母さん大好き」
一真君が照れながらそう言った。
「そうか、お母さんが大好きかぁ」
「うん」
波打ち際に座る僕たちの体を若い男女がすり抜けて歩き去った。
その手はしっかりと繋がれ、互いへの思いが溢れている。
この子にもあんな未来があったはずなんだ。
あの日、母親が仕事に行かなければ……
あそこで一真君が発作を起こさなければ……
そこに野蛮な男が通りかからなければ……
人間は傲慢だ。
今生きているということを当たり前だと思って、人生を蔑ろにしているんだもの。
あなたたちが今日という日を迎えることができているのは、ほんの偶然なんだよ?
裸の魂にならないと、きっと分からないのだろうね。
僕も同じだったもの。




