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11 修行2

「うわっ!」


 距離感がまったくつかめない状態なのに、僕の足元が急に揺らぎはじめた。

 もう立っているだけで精一杯だ。


「地震? なんだこれ! うわぁぁぁ」


 すると僕の足元にあったはずの真っ白な床があっという間に粉々になって、体を支えるものも無く、僕は真っ逆さまに落ちていった。

 まさに奈落に落ちるという感覚だ。


「どこまで! 落ちるんだよ!」


 僕はこういう状況を作り出している張本人に向かって大声を出した。

 絶対にその辺りで見ているに違いない。


「なんじゃ? 落ち着いたガキじゃのぉ」


 おじいさんの声だけが聞こえる。

 落ち着いているわけではなく、もう僕はすでに死んでいるのだから、これ以上死ぬということは無いのだし、あれほどの事故に遭っているせいか、痛みに対して無闇に怖がるという気持ちがわからないだけなんだけど。


「自分で止められるのかな」


 考えたことを敢えて口にしたのは、沸々とこみ上げる怒りを鎮めるためだったのかもしれない。

 両手を広げて風の抵抗を最大限にしてみたり、バタバタと両手両足を動かしてみた。


「なるほどね」


 どうやら、何をやっても変わらないみたいだ。

 そこで僕は気づいた。


「要するにこれは現実じゃないわけだ。だったら、自分の行きたい方向へ意識を向ければ、方向が変わるんじゃないか?」


 自分の姿形は、自分が認識するものに変わるという三沢さんの話を思い出した僕は、そう考えて上へ戻るように意識を集中した。

 ふと落下スピードが落ちて、体が浮遊しているような感覚を覚える。


「元居た場所に戻れ!」


 僕はそう声に出して全神経を集中させた。

 その途端に視界が暗転し、古書店の二階の床に転がる。


「なんじゃ、もう第二関門もクリアか。本当に鍛えがいの無い奴じゃ」


 不機嫌そうなおじいさんの声が聞こえたが、やっぱり姿は見えなかった。

 まだ床に転がっている僕の顔を、三沢さんが心配そうに見下ろしている。


「大丈夫かい? それにしても瞬間移動をもう身につけちゃったんだって? 凄いなぁ聡志は」


 僕は起き上がりながら三沢さんに聞いた。


「瞬間移動? 今のがそうなのですか?」


「うん、行きたい場所を頭の中に描いて強く念じると、そこにいけるという力技みたいなものだよ。実体がない君だからできるんだ。人に化けることができる私たちにも可能だけれど、あちらの世界とこちらの世界を行き来することはさすがに無理さ」


「え? 今僕が連れて行かれていたのは『あちらの世界』ってこと?」


「たぶんそうだと思うけれど、私は行ったことが無いからよくわからない」


 古書店の扉が開く音がして、あのおじいさんが入ってきた。


「ほうほう! 元居た場所がこことはなぁ。お前にとって、ここはすでに自分の家なのじゃなぁ。良きかな良きかな」


 意味が分からない。


「やはりお前には素質があるのぉ。時々遊んでやるから、まあがんばれや」


 ポスッという音が聞こえておじいさんが消えた。


「なんですか? あれ」


「凡狐の私にはわからんよ。それよりごはんにしようか。疲れた顔をしているよ。さっき古村が鯛の刺身を持ってきたからさ」


 食事と言われて頷きはしたが、魂だけの存在である僕に食欲は無い。

 食べようと思えば食べられるし、そんな気にならなければ食べなくても平気だし。


「わかりました。支度しますね」


 僕はいつものようにルナール古書店の奥にある厨房へと向かった。

 海に続く石段の踊り場にあるこの古書店は、表からはわからないが、意外と奥に長い作りになっている。

 この作りになったのは一種の本能のようなもので、狐の巣穴と同じように間口は狭く奥に長くしているのだと教えてくれたのは古村さんだ。

 

「無駄に広いよね」


 大きな厨房の壁際にある流し台の前に立ち、僕はヤカンに水を入れて火にかけた。

 魂だけの存在であるはずの僕が、実在する物や人に触れることができるようになったのは最近のことではない。

 ただ見る気のある人が、見たいと思って見ないと、僕の姿は見えないというだけで普通に何でもできるのだ。


「ごはんは炊けているからね。古村が戻ったら食べようか」


「わかりました」


 厨房の窓から見えるのは、眼下に海を臨む山の斜面だ。

 海風に逆らわないように、山の頂に向かって枝を伸ばす木々は、四季折々に色を変えて僕の無聊を慰めてくれる。


「それにしても趣味が悪いよな、あのおじいさん」


 先ほど見た母に似た人の姿を思い出しながら、僕は声に出してそう言った。

 母を思い出したのは久しぶりだ。

 あの日、両親が僕に残してくれた叫びを聞いてから、僕の中に残る両親やばあちゃんへの思いは、感傷というよりただの記憶に昇華していた。

 事故のことを思い出しても、両親のことを考えても、さほど辛いという気持ちにはならないし、むしろ薄っすらと懐かしいような気持ちにさえなる。


「さあ、食べようか」


 いつの間にかテーブルについていた三沢さんと古村さんの声が、僕を現実に引き戻した。


「ええ、食べましょう」


 三人での食事はいつも静かだ。

 狐の彼らは人だった僕よりもずっときれいに箸を使う。

 きっとものすごい努力をしてきたのだろう。

 そうまでして誰かを助けたいという二人の気高さには、本当に頭が下がる。


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