第2話
薄暗い十畳ほどの和室だった。
部屋全体に漂うカビ臭さがすえた臭いと混じり合う。
畳の上に絨毯が敷かれ、洋室または事務所を装っている。
事務机が三つ。回転椅子が一つ。スチール書庫が一つ。
スチール書庫には複数のフラスコ、ビーカー、試験管が収納されている。
事務机にはいずれもデスクトップサイズのバイオリアクター、細胞培養装置、分析装置が置かれ、それらを従えるように中央にノートPCが鎮座している。
天井には裸電球がぶら下がっている。
一人の青年――Mが部屋に戻ってくる。
髪はぼさぼさ。小太りで丸顔。汚れが目立つ白いTシャツに褪せたジーンズ。
漂う体臭から、ここ数日風呂には入ってないことがわかる。
路上で寝ていたらホームレスと区別がつかない風体ながら、銀縁のメガネの奥から覗く鋭い眼光は、見る者に知性と畏怖を感じさせる。
Mは回転椅子に座るとノートPCのキーボードに指を走らせる。
ドアホンが鳴る。
Mは「ちっ」と舌打ちしながら立ち上がり、リビングルームまで歩く。
ドアホンのディスプレイにはスーツ姿の中年女性。
「どちらさまですか」
Mが言う。
「市役所の神田と申します。前沢幸人さんはご在宅でしょうか」
「はい」
「本日は本人の生存を確認させていただくために伺いました」
Mは玄関に行き、ドアを開ける。
現れた女性は名刺をMに手渡す。「年金保険課 神田小枝子」と書いてある。
「曾祖父は寝室にいます。寝たきりなので、ほとんどお話はできませんが」
「かまいません」
Mは小枝子を寝室に連れて行く。
寝室のベッドにはミイラのような老人が横たわっている。
全身にカテーテルを刺され、スタンドに吊るされた複数の点滴バッグから薬液を投入されている。
「前沢さん。生きてますか」
小枝子がミイラに話しかける。
Mは小枝子に見つからぬよう後ろを向き、こっそりスマホをいじる。
ミイラの腕が少し上がり、「ああ......」という声が聞こえる。
「前沢さん、お元気そうでなによりです」
小枝子がそう言うと、Mは胸の中で「嘘つけ」と毒づく。
Mの曾祖父、前沢幸人は満105歳。
戦前生まれで若いころ軍人だったことから、死ぬまで高額の年金を受け取れる身分だった。
一方、年金を支払う側の行政としては、こういう老人は早く死んでもらった方が都合がいい。
だから本当に105歳の老人が生きているかどうか確認に来るのだ。
死んでいるのにこいつが不正受給しているのではないか。だとしたら追加徴税で残らずこいつの財産を取り上げてやろう。
行政の連中はいつもこんな風に考えているに違いない。
Mの脳裏にそんな考えがよぎる。
「ところで前沢雅人さんは……」
不意に小枝子がMの方を向いて言う。
「この家でひいおじいさまとお二人で暮らしていらっしゃるんですか」
「ええ、そうですが」
「雅人さんは独身ですか」
「ええ、結婚どころか、この年で女性と付き合ったこともありません」
「ご職業は何をしてらっしゃるんですか」
「お恥ずかしい話ですが、無職と言いますか、曾祖父の年金で生きてます。ニートといったところでしょうか。ただしいつも曾祖父の介護で忙しいです」
「ご両親はどちらにお住まいですか」
「両親はもう亡くなりました。祖父母もその前に亡くなってます」
「ご兄弟はいらっしゃいますか」
「おれは一人っ子です」
「じゃあ、ひいおじいさま以外、身内の方はいらっしゃらないのですか」
「まあ、そうですね。天涯孤独です」
その後、Mはお茶を出そうと申し出たが、小枝子は丁重に断って市役所に戻った。
「ひいおじいちゃん、お疲れさま」
Mはそう言いながら、寝室のミイラの毛布を取り去る。
ミイラの腕にはロボットアームが二本の紐で縛り付けてある。
モーター駆動のロボットアームはMが電子工作で自作したものだ。
材料は秋葉原とネット通販で買った。作り方は電子工作系雑誌に書いてあった。
WiFiでスマホからネット接続し、寝室に忍ばせていたWiFiルータ経由でロボットに命令する。するとアームが動き、ミイラの腕が動く。
ロボットにはWiFiアダプタと32ビットMPUが内蔵されていた。
また老人のうめき声はロボット内蔵のスピーカーから流れる仕組みだ。
「ひいおじいちゃんには、まだまだ長生きしてもらわないと、このおれが困るんだ」
スタンドに吊るした点滴バッグには医薬品でなく、防腐剤が入っていた。
Mの計算では後20年近く、ミイラの肌はこの状態を維持できるはずだった。
Mの収入源は曾祖父の年金だけでなく、曾祖父名義のアパートからの家賃収入があった。
もし曾祖父が亡くなり、Mが相続した場合、相続税が発生する。
Mが計算したところ相続税は驚くほど高額だった。
不動産を売り払うという選択肢もあるが、この場合、不動産売却税が発生する。
この税額もまた高額だった。
Mが曾祖父を生きていることにしてミイラ状態で保存しているのも、一つにはこの国のこうしたばか高い税金のせいだった。
(つづく)




