第34話 お兄ちゃん
栗山家で食事をした翌日、朝10時に奏と天音は涼の自宅の前にいた。
ピンポーン
『はい、奏と天音ちゃんか。ちょっと待ってすぐいく』
「はーい」
高級なブラウンのドアが開いて、涼が顔を出す。
「いらっしゃい、2人とも」
「こんにちは、涼君」
「こんにちは、羽山さん」
「じゃあ、とりあえず上がってよ」
玄関に入ったところで、天音が驚く。
「ひろっ」
「あはは、奏と同じ反応。なんか姉妹だね」
「天音、このうちは色々驚くわよ」
「わー、楽しみ」
「じゃあ、リビングに案内するね」
リビングに行くと、まず迎えられるのがこの字型の大きなソファーセットだ。
「うわー、羽山さん、座っていいですか?」
「いいよ。どうぞどうぞ」
「それでは、遠慮なくって、テレビでかっ」
ソファーの正面にあるのは110インチのテレビと音響セットだ。
聞くのと実際に見るのとは全然違う迫力に天音は驚く。
「お姉ちゃん、このテレビであのアニメを見たの? いいなぁ」
「今日もあとで見るからさ」
「楽しみです」
「じゃあ、運動前だから、コーヒーでいいかな」
「運動前だとコーヒーなの?」
「代謝が良くなるんだって。私はミルク入れて」
「そうなんだ。じゃあ、私もミルク入れてください」
「はいよ、ちょっと待ってね」
涼はすでにコーヒーメーカーに用意されていたコーヒーを3つのマグカップに注ぎ、ふたつにはミルクを入れる。
それをそれぞれ座ってるあたりのローテーブルに置く。
「「いただきます」」
「美味しい。私普段コーヒーはあまり飲まないですけど、これは飲みやすいです」
「それは良かった」
「羽山さんは、ブラックは苦くないですか?」
「このコーヒーはもともと苦味は少なめなんだけどね、
でもどちらにしてもブラックが好きかな」
「そうなんですね。ちなみに紅茶とコーヒーではどちらが好きですか?」
「コーヒーだね。紅茶も色々あって奥は深いけど、コーヒーは焙煎の仕方ひとつとってみても味が変わってくるんだ。
だから、いろんな味を楽しめて楽しいよ」
「そうなんですね。それは興味が出てきます」
「それなら、今度コーヒーの飲み比べでもやってみようよ」
「えー、いいですね。お願いします」
「最近、奏と一緒の時は最初にランニングしてるんだけど、今日はいいかな?」
「今日はなくていいよ」
「私も部活で走ってるので、今日はなくていいです」
「わかった。昨日どっちにするか迷ってたけど、バスケとクライミングどっちにする?」
「うーん、クライミングもやってみたいけど、バスケで。
お姉ちゃんと羽山さんをやっつけてやりたい気もするんですよね」
「天音、言うわね。言っとくけどまだまだ負けないわよ」
「俺も、最近は奏と練習してるから負けないよ」
「じゃあ、バスケで勝負しましょう」
「OK、1on1で勝負しようか」
「やりましょう」
「いいわね」
3人で庭に出るとやはり天音が驚く。
「何これ、本当に庭に本格的なハーフコートがある。
それにクライミングの壁と後は野球のネットとか高鉄棒とか、何でもできそう」
「そうでしょ、そうでしょ」
「何でお姉ちゃんがドヤ顔なの」
「だって、私の友達のうちよ。自慢したくもなるわ」
「あはは」
「だからって、ドヤ顔って……」
それから、準備運動をした後、1人がポイントを数えることにして、10ポイント先取でローテーションで試合することにする。
勝率は、奏と涼が50%で五分五分。天音は残念ながら、一度も勝てなかった。
「くやしー。お姉ちゃんはともかく何で羽山さんはあんなに上手いんですか?」
「まあ、1人で基礎練はずっと続けてたからね。体も欠かさず鍛えているし。
後、最近は奏とよくやってるから、実践経験を積めるようになってるしね」
「私も、スタミナに自信がなかったけど、最近は涼くんと鍛えてるから、随分持つようになったわ」
「私は現役なのにー」
「まあ、またやろうよ。いつでも」
「はい、お願いします」
天音がクライミングウォールを見て言う。
「お姉ちゃん、あれいつもやってるの?」
「うん、ちょくちょくやらせてもらってるよ」
「へー、やってみたいな」
「天音ちゃん、体力残ってんならちょっとやってみる?」
「いいんですか?」
「もちろんいいよ」
それから、涼が奏にも説明した基本姿勢やムーブの仕方などを教えてから挑戦した。
天音は身軽なようで、いくつかのコースをすぐにクリアしていた。
「天音ちゃんは筋がいいね。今の時点でこれだけできてるんだから、すぐに上手くなると思うよ」
「羽山さんが教え方が上手いからですよ」
(羽山さんいい人だな。もう少し距離を縮めたいな)
「いや、俺は基本的なことしか教えてないからね。
天音ちゃんのムーブの勘がいいんだよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「あの、羽山さん。良かったら、お姉ちゃんみたいに呼び捨てで天音って呼んでください」
「ん? わかった。じゃあ、天音って呼ぶね。俺のことも涼でいいよ」
天音は、一瞬躊躇しながら、
「じゃあ、涼お兄ちゃんって呼んでいい?」
上目遣いで天音が言ってくる。
涼は予想外の提案に驚いて、しかも兄弟がいたことがなかったから真っ赤な顔になった。
「お、お兄ちゃんって?」
「うん、色々教えてくれるし、頼り甲斐があるから、お兄ちゃんみたいだなって思って。ダメですか?」
(やばい、緊張する。私、何恥ずかしい提案しちゃってるの?
あの人を呼ぶのに緊張なんてしたことなんてないのにー)
天音も顔を真っ赤にさせて、内心ではものすごく緊張している。
真っ赤になって、上目遣いで見てくる天音の破壊力は抜群で涼は思わず、
「いいよ」
(何が、いいよだよー。でも、ここは断れないだろう)
そう言うと、天音がパァっと笑顔になる。
「やったー。えへへ」
「良かったわね、天音」
「うん!」
涼は居た堪れなくなって、一言絞り出す
「よろしくな、天音」
「うん、よろしくね。涼お兄ちゃん」
(やばい、妹属性可愛すぎるー。こんな可愛い子がお兄ちゃんとか呼んでくるのやばいだろ)
涼が顔に出さないで内心で狂喜乱舞している時、天音もまた内心大喜びしていた。
(嬉しい。イケメンで何でもできて、生活力もあるお兄ちゃんなんて。
超甘えるから私。甘えまくるよ)
今回の天音による涼へのお兄ちゃん呼びは、奏にとっても嬉しいものだった。
なぜなら、天音が兄のように慕っていた賢治と奏が別れることによって、天音と賢治の2人の関係も途切れてしまったから、申し訳なく思っていたのだ。
しかし、嬉しい一方複雑な気持ちがあって、素直に喜べないでいた奏であった。
(何だろう。この焦燥感みたいなの。嬉しいはずなのにな)
奏の複雑な心中は、奏にもわからないでいた。
と、いうよりも奏がわからないふりをしているという方が正しい。
奏がこの気持ちに正直に向き合うにはまだ時間がかかるようだった。
「それじゃあ、中に入ろうか」
「「はーい」」
「汗もかいただろうけど。シャワーか風呂に入る?」
「入っていいの、お兄ちゃん」
「いいよ」
「じゃあ、シャワー借りようかしら。天音、一緒に入りましょ」
「私、お兄ちゃんと入る」
「天音!?」
涼は心臓を跳ねさせ、顔を赤くしながらも、冗談を返す。
「ああ、いいよ」
その瞬間、ガバッという効果音がつきそうなくらいの勢いで奏が振り返り睨んでくる。
「りょうくん?」
「あ、いえ、冗談です」
「えー、私は冗談じゃないのに」
「……りょうくん?」
「い、今の俺じゃないよね」
「もう、天音、そんなこと言ってないでシャワーに行くの。
涼君、バスタオル借りるわね」
「ああ、ごゆっくりどうぞ」
「お兄ちゃん、待っててね」
涼は、どっと疲れてソファーに座る。
しかし、疲れた気はするのだが、気分は良かった。
(お兄ちゃんって呼んでもらったことが嬉しかったのかな?
兄弟なんていなかったからな。まして妹なんて)
静かに座る涼の口角が自然に持ち上がるのだった。




