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失ったものたち

「それでは失礼致します」


お手本のような綺麗なお辞儀をして、二十年来私に仕えてくれた執事は私の前から立ち去っていった。


それは私が失ったものの一つだった。



その十数日前、夕方を過ぎた頃にガランドが厳しい顔をして私の元にやって来た。彼らしくない、焦るような仕草に、何かが起きたということはすぐに理解した。


「レイナルド殿下、今お時間を頂戴してもよろしいでしょうか」


「急ぎだろう?すぐ聞こう」


「はい。本日のクリストファー様の外出先にマリー様がいらっしゃいました。偶然ですが、お二人は顔を合わされました」


「……そんなはずはない。マリーは侯爵家から出ないはずだ」


「そういうお話だったのかもしれませんが、実際にいらっしゃったのです。そしてクリストファー様はマリー様とお会いになってから全く喋られなくなりました」


「まさか……」


「恐らくそのお考えで間違いはないかと思われます」


時間の問題だとは思っていたが、ついにこの日が来てしまった。言葉を失う私に、ガランドはこう続けた。


「私はすぐクリストファー様のお側に戻ります。場合によっては殿下のご命令よりあの方を優先させていただきたく存じます」


言葉は主人にうかがうものであったが、私に向ける目線はそうではなかった。

クリスに事実を伝える機会は今までもあった。けれど事実と向き合わず問題を先延ばしにし続けていたのは私だ。


「お前の判断に任せる」


厳しい顔をしたガランドを前に、それ以外答えようはなかった。


その夜、別の使用人からクリスが奥の離宮に移ったという報告を聞いた。リリア、いやアリアが最期の日まで過ごしたあの離宮だ。

使用人は今使える建物がそこだけだったためと言っていたが、この偶然はまるで罰のようだなと私は思っていた。



クリスとどう向き合うべきなのか、眠らずに考えた翌朝、改めてクリスの今の状態を知るため、私は離宮へ使いを出した。

しかしその使いは、ガランドにより門前払いを食らってしまった。


顔も見たくないということだろうか。落ち着くまで待つしかない、そう思いながら私は仕事へと向かった。



毎日使いを出しては追い返されるのを数日間繰り返した。もうこのままなのかと私が思い始めた頃、突然ハンクスが私を訪ねてきた。


「クリストファーを思う気持ちがあるなら、この書面にサインをして欲しい。彼は未成年だ。貴方の承諾なしに国外へは出られない」


それはクリスの留学を承諾するという書面だった。突然の話に驚く私に、ハンクスは畳み掛けるように言葉を続けた。


「クリストファーの意思は確認している。彼も国外に出ることを希望している。彼は己の出自を知ってしまった。もう……いや、もっと前からこの国は彼にとって針のむしろでしかなかっただろう。

俺はあの子に自由に息をさせてやりたい。子が親の所業で苦しまねばならない理由などないはずだ」


それはクリスのことを思う言葉であったが、私を突き刺すものでもあった。


彼のため、確かにそうかもしれない。けど、まだ私たちは話すらできていないと、決断を渋る私にハンクスがこう問うた。


「叔父上、貴方は他に彼を救う術をお持ちなのですか?」



結局、私はクリスの留学を認めた。

私のサインを得ると、「後はこちらで調整します」とだけ言ってハンクスは出ていった。


その向けられた背に、貴方の出番はもうないと言われているような気がした。



そこからは早かった。まるで予め準備をしていたかの様にクリスの留学の手続きはすぐに終わり、一週間ほどで彼は出国することとなった。


このままでは何もできないままクリスと離れてしまう。せめて顔だけは見たい、そう思いすがるような気持ちで離宮に足を運ぶと、予想に反し対面の希望はすんなり通った。



応接室に姿を現したクリスは髪をずいぶん短く切っていた。子供らしさを失ってしまった表情を見て、どれだけ彼が傷ついたかを改めて思い知らされた気持ちになった。


拳でも罵倒でも、全て受け止めよう。そう思い臨んだ対面だったが、彼は表情を変えず淡々とこの国に居たくないということだけを語った。マリーのこと、私のこと、アリアのことなどには何も触れてこなかった。触れることすらしたくないと言われているように思った。


必要な話だけをして出ていこうとするクリスに、何かを話しかけねばとソファから立ち上がった。ここに来るまで何日も何日も考え続けてきたはずなのに、喉から出たのは「すまない」という小さな響きだけだった。


彼は答えることなく、応接室を出ていった。


クリスと会ったのは結局、それが最後だった。



クリスの出国の前夜、ガランドが私の元に来て、今夜をもって私の執事を辞し、クリスと共に西国へ渡ることを報告した。


「貴方のお側でお仕えしながら、お考え、行動に気付き、お諌めできなかったのはこの私の責任でございます。残りの人生は全てクリストファー様のために使う所存でございます」


「そうか、今まで世話になった。これからはクリスのことを頼む」


「承知致しました」


「ガランド、最後に聞きたいのだが、どうしてあの日はクリスに会わせてくれたんだ?それまではずっと門前払いだっただろう」


「私はレイナルド殿下ご本人がいらっしゃればいつでもお通しするつもりでした」


「……なるほど、だからハンクスは先にあの子に会えたのだな」


「はい、留学の手続きを急ぎ進めてくださり、目処がついたらすぐ来て下さりました」


使いを送る程度の気持ちでは会わせられないと判断されたということだろう。

確かに私は「会ってもらえない」とそれらしい理由をつけてクリスと向き合うことから逃げていた。きっと私は我が身可愛さ故にこうして今までも間違いを犯してきたのだろう。


今さら気付いたところで過ぎたことは何も変わらない。


改めてそのことを突き付けるかのように、長らく仕えてくれた執事は私の前から去っていった。




それから数年後、ハンクスの結婚と同時に私は王族を抜け、公爵となった。


王都から離れた小さな領地で、まるで隠居でもしたかのようにひっそり生活をしている。


社交界にもそこからは殆ど出ていない。8歳という幼さで隣国へと渡ったクリス、そこから程なくして追いやられるように嫁いだマリー、私の醜聞は既に周知の事実のようなものであった。


「すまないが、お前をこの王都に置き続けることはもうできない。私も近いうちに表舞台からは降ろされるだろう。まさかあの日の約束がこんな結果を生もうとはな……」


私が領地に籠ることが決まったとき、兄上は後悔を滲ませながら私にこう言った。すまないと言う言葉はもらったが、私は自分には似合いの末路だと思っていた。



そんな死んでいないだけの生活を数年過ごしていた私のところに、ある日西国から一通の手紙が届いた。


差出人はガランド。内容はクリスの死を伝えるものだった。


封筒に入った、たった一枚の紙を手に私は呆然と立ち尽くした。


最後の日に見たのは、確かな意思を示しつつもまだ小さな子供の背中だった。

そこから会うこと、声を聞くことさえ叶わなかった。それでも彼が生きてくれていることは、私の中の唯一の希望であった。


それでさえ、罪深い私には過ぎたものだったということなのか。


手紙には葬儀も必要な手続きも既に終えていると記されていた。私は最後まで彼のために何もすることはできなかった。


私に許されたのは、ただ己の行いを悔やみ続けることだけだった。

そろそろ時系列が混乱してきました。

矛盾がないように努めます。

予定はあと二話です。

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