17 ヴァルハラ移住計画3
珍しく戦闘描写あります。
王国セインブレイドの東部に、のどかな村があった。
石を積み上げた簡素な防護壁と、柵に覆われた草原に放牧された羊たちから牧歌的な雰囲気が漂う、どこでも見かけるような村だ。
ちょっとした自慢と言えば、この村から卸される羊毛は国境都市でも人気がある商品だったり、あるいはお祝い事の時に羊を何頭か潰して、おいしい羊肉を味わえることだろうか。
ささやかな幸福を糧に生きる、そんな小さな村にエルマという少女がいた。
もうすぐ八歳の誕生日を迎える彼女のために、羊を一頭丸々ごちそうにすると両親から教えてもらったエルマは大喜びだ。
誕生日が訪れるのを心待ちにして、その日の朝も手作りの木板カレンダーに印を付けると満足気に頷き、仕事のお手伝いに走る。
「あと少しで誕生日っ! あと少しで誕生日!」
枝を片手に羊を追い回しながら、エルマの頭はそのことで一杯だった。
小さな村において子供は宝物である。家族は当然ながら、村人全員が子供を慈しんでおり、そんなエルマを微笑ましく見守っている。
誕生日まで残すところ三日……そんな、ありふれた平穏は唐突に崩れ去った。
「モンスターだ! モンスターが出たぞっ!」
けたたましく打ち鳴らされる警鐘に、誰もが顔を上げて硬直した。
それも一瞬のことで、すぐに打ち合わせた通りに行動する。
幸か不幸か、すでに食糧庫がモンスターに荒らされたばかりの村であり、その支援を国境都市に申し出ていたのだ。二度目を警戒していないはずがない。
予想されたモンスターの標的は、一度目も成功して狙いやすい食糧庫だろう。
今回も被害が出てしまえば、さらに生活は苦しいものになってしまうが、それでも人や羊さえ無事ならば立ち直れる。
こうしたモンスターの被害から村々を救済する支援制度も整っており、近いうちに冬越しのための食料が届く予定なのだ。
だが、今回のモンスターは動きが違った。
まるで一度目とは別の意思を持っているかのように、モンスターたちは羊の群れへと殺到したのである。
動きの早かった大人は、自分が受け持っていた羊を諦めて逃げ出すことで一命を取り留めたが……幼いエルマに咄嗟の判断はできなかった。
「はやく、はやくっ、みんな急いでっ!」
村にとって羊が大事なものだと理解していたし、なにより誕生日のために必要だったのだ。
羊を置いて逃げられない。そんな迷いが僅かな猶予を奪ってしまった。
「あ……きゃああぁぁぁぁ!?」
気付いた時には黒い影が近くにいた羊を一頭、鷲掴みに持ち上げていた。
その影とは狼の頭と強靭な毛皮、鋭い爪と牙を生やした『ワーウルフ』と呼ばれる恐ろしいモンスターだ。
二メートル以上ある体躯は大人の人間すら片手で投げ飛ばす膂力を持ち、子供のエルマなど赤子の手を捻るように食べられてしまうだろう。
幸運だったのは、小さなエルマよりも食べ応えのある羊を優先したことか。
不幸だったのは、羊を目当てに複数のワーウルフが集まってしまったことだ。
「あ……あ、あぁぁぁ」
あっという間に羊たちが無残にも食べられる光景を、エルマは腰を抜かして見ていることしかできない。
逃げる素振りを見せなかったのは、ある意味で正解だったのだろう。おかげでエルマは後回しにされたのだから。
やがて羊がいなくなると、次はデザートの番だと言わんばかりに……少女の細い首に、狼の凶爪が降り下ろされ――――。
クァー。
「え……?」
いつまで経っても訪れない痛みに、頭を抱えて蹲っていたエルマが恐る恐る顔を上げる。すると、そこには予想だにしない光景があった。
羊の血に塗れた禍々しいワーウルフの鉤爪が、まるで空中に縫い付けられたかのように、一羽のカラスによって受け止められていたのだ。
黒い翼は盾の役割を果たしているのか、器用にも前面に押し出している。
「グルルルルルルルッ」
どれだけ力を込めてビクともしないカラスに、ワーウルフも警戒を露にして飛び退くと、仲間と共にエルマを取り囲んだ。その数は六頭。
僅かでも隙を見せれば、カラスなど無視してエルマに襲いかかるだろう。
それを理解しているらしく、およそ鳥らしくない動きで宙に留まったカラスは紅い瞳と、額に輝く紅宝石をワーウルフたちに向ける。
傍目に見れば、その状況は少女を守ろうとするカラスが、追い詰められているように思えるだろう。
だが、当事者たるワーウルフたちは凍えるように震えていた。
三つの紅い瞳から放たれる眼光に射抜かれた時、この得体の知れないカラスこそが上位者であり、狩る側から一転して狩られる側へ叩き落とされたことを、その実力差を悟ってしまったのだ。
怯えても即座に逃げ出さなかったのは獲物への執着からか、あるいは数的に有利と判断しての慢心か……どちらにせよ終わった話である。
なにしろ六頭もいたワーウルフたちは、たった一羽のカラスによって狩られていたのだから。
「え、あれ……?」
ドサリ、ドサリとワーウルフの巨体が次々に倒れるのを、エルマは夢でも見ているような心地で眺めていた。
もし鋭い洞察力があれば、狼たちの胸に一本の黒い羽根が突き刺さっていたのに気付けただろう。
そんな能力を持たないエルマは……ただひとつだけ、だけどとても重要なこととして、カラスは自分のために戦ったのだと理解した。
「……助けてくれたの?」
クァー。
「きれいな目……」
気の抜ける鳴き声と、宝石めいた三つの輝きに呆然としかけたエルマは、慌てて周囲の状況に思い至って立ち上がる。
そう、まだ他にもワーウルフが残っているかも知れないのだ。
まずは安全を確認して、できれば恩人ならぬ恩鳥であるカラスを連れて逃げなければと、目立たないように注意して辺りを見回せば……。
「……な、なにあれ?」
今度こそエルマは呆然と立ち尽くした。
少し距離が離れたところで別の羊の群れを襲っていたワーウルフたちが、一頭の白馬によって文字通り、蹴散らされていたのだ。
よくよく見れば、その白馬も氷のように透き通った角と、純白の翼を生やしているため普通の馬ではないとわかるのだが、だとしてもワーウルフを空高く蹴り上げていく光景は現実離れしている。
「急げ急げ!」
「村人の安全が最優先だ!」
「おい、あっちに子供がいるぞ!」
「私が行く!」
今度は村の者ではない声が聞こえて振り向けば、装備を整えた強そうな男たちがワーウルフへと果敢に立ち向かっていくのが見えた。
いくらなんでも無謀だ。そんなエルマの心配とは裏腹に、男たちは見事な動きと連携によって攻撃を受け流し、逆に鋭い一撃を与える。
「よっしゃぁ! 全然いけるぞ!」
「こいつらゴーレムより柔らかい!」
「すずちゃんよりも遅いな! これならやれる!」
言っている意味はエルマにわからなかったが、カラスや馬よりはわかりやすい助けの到来に自然と肩の力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。
いつの間にか手は汗でびっしょり濡れて、口の中はカラカラだった。
ついでに、お腹も空いている。もうお昼時だ。
「おなかすいた……」
「それなら、急いで炊き出しにしないとね」
「え……?」
頭上から知らない女性の声がかけられ見上げると、エルマの目に艶やかな黒髪と吸い込まれそうな黒い瞳、そして大きな黒い翼が映った。
どこか隣にいるカラスに似ていて、つい見比べてしまう。
するとカラスが女性の肩にぴょんと飛び乗る。どうやら悪い人じゃなさそうだとエルマは思った。
「驚かせてごめんね。私は夜美って言うんだけど、君の名前は?」
視線を合わせるために屈んでくれたので、エルマも目を合わせて言う。
「わたしは、エルマ……です」
「ある、じゃない。うん。エルマだね。じゃあ、とりあえず一緒に行こうか」
差し出された手を取って立ち上がると、すっかり村内は落ち着きを取り戻しており、白昼夢だったかのようにワーウルフの脅威は失われていた。
それから一時間ほど後。
大変な目に遭ったエルマは両親に無事を喜ばれた後、少し遅い昼食に舌鼓を打っていた。
駆け付けてくれた冒険者たち(ほとんど夜美)が炊き出しで、お肉や野菜がたっぷり入ったスープと白い塊……豚汁とおにぎりを振る舞ってくれたのだ。
どちらも初めて食べるエルマは、都会の人はこんなにおいしいものを毎日のように食べているのかと、驚きながら友だちと一緒に頬張る。
ところが、後で聞いたところ街に行った経験がある大人でも、豚汁とおにぎりは知らない食べ物だった。
それに加えて不思議なカラスと白馬、翼の生えたきれいな女性、さらに銀色の馬車など……村の大人たちも驚くものばかりである。
あの恐ろしいワーウルフにさえ戦いを挑む勇敢な冒険者たちなどは、村の少年たちにとって憧れの的になっていた。
そんな集団が、わざわざ村の支援に駆け付けてくれたことが、なんだか特別な気がしてエルマは嬉しくなってしまうのだが、大人たちの間で不安視されるのは時間の問題だった。
なにせカラスと白馬は、実にモンスターっぽい見た目をしているので。
「ここだけの話なんだが、俺たちはヴァルハラってダンジョンから来たんだよ」
「そ、それはどういう意味なので?」
冒険者たちのまとめ役らしいユリウスと名乗った男の言葉に村人たちは驚き、代表である村長が尋ねると、今度は夜美が凛とした声で説明を始める。
翼の生えた彼女も人間ではない見た目から警戒されていたが、それを弁護するように周りの冒険者たちが補足していった。
とあるダンジョンと冒険者ギルドが同盟を結んだ。
そのダンジョン内では、多くの冒険者が訓練のため滞在している。
生活環境は街よりも快適で、ヴァルハラを出たくない者も多い。
モンスターもいるが同盟を結んでいるため人間の味方である。
これは領主も認めており、今回の件も領主からの要請にダンジョンマスターが応じたから……などなど。
一部の村人からはモンスターが味方という話に懐疑的な声も出ていたが、すぐにエルマを始めとする何人かが反論した。
なぜなら彼女は実際に、カラスによって助けられたのだから。
同様にワーウルフを蹴散らす白馬を目撃していた者も多く、ひとまず村におけるヴァルハラへの印象は悪くない形で落ち着いた。
「支援はありがたいのですが、しかし……村の羊がこれではもう」
せっかく来てくれたのに、と申し訳なさそうに村長が言えば、他の村人たちも現状を理解して表情を暗くさせる。
羊が犠牲になってくれたおかげで人に被害は及ばなかったが、これから先の暮らしを思えば当然だろう。
よくわかっていないエルマたち子供だけは、お腹がいっぱいになったらモンスターであるカラスや白馬を恐れもせず触れてみたり、追いかけたりしている。
その笑顔を絶やしたくない村長は決心し、ひとつの頼みを口にした。
すなわち村からヴァルハラへの避難……あるいは移住である。
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