9 閑話2
ヴァルハラの第五階層。
そこでは従業員用の宿泊施設が用意されており、現在では百人もの見えない放浪者たちが暮らしている。
他にも十一匹のヌマネコや、十二羽のぶっ飛び兎、百一匹のホットドッグといった多様なモンスターたちが快適に過ごせるように、広い芝生や水場はもちろん、ドッグランや巨大キャットタワー、さらには森林に山岳など、各モンスターの特性に合わせた環境が万全に整えられており、そこで暮らす者にとっては小さな楽園といったところだ。
そんな至れり尽くせりの第五階層だが、従業員用として使われているエリアはフロアの半分ほどであり、残りの半分はアルマの趣味に利用されている。
すなわち、和風旅館だ。
地上からでは大きすぎてわかりにくいが、全体を俯瞰して見ると湖畔に浮かぶ島に建っており、正面の大橋が唯一の玄関口となっているのがわかるだろう。
正面館と左右の二つ、そして水上に浮かぶ『奥の院』の四棟からなり、あまりの巨大さから移動するだけで時間がかかってしまうため、広すぎて暮らしにくいという欠点があった。
アルマも見栄え重視で設計したため、実用性は考えていなかったのだ。
だが、それは普通の人間に限った話である。
和風旅館の最奥部にあたる『奥の院』の最上階。旅館全体を見下ろせるほどの高所であり、裏側に広がる湖まで一望できる天守閣のような一室で、白巫狐のクーコは窓辺から湖を眺めていた。
「くふふふふ……何度見ても素晴らしい景色なのじゃ!」
アルマに許可されて和風旅館を住処とするクーコは、初めこそ恐れ多いと遠慮がちだったものの、短慮な性格もあって『クーの城なのじゃー』などとあっさり順応してしまい、今では本当に館の主らしい振る舞いを見せている。
腐っても魔族の端くれで、しかも由緒正しい白巫狐だ。
クーコにとって長い廊下や階段など大した苦労ではなく、そうなれば優雅な暮らしを満喫するだけだ。
まさに気分は有頂天である。
とはいえ、さすがにひとりで生活できるわけではない。
食事は外に出かけてアルマにねだっているが、掃除や洗濯などクーコは不得手どころか自分の手でやったこともないのだ。
そもそも館内の清掃はひとりの手で行える広さではなかった。他の人間であっても不可能だろう。すずは可能だが、クーコの世話をする気がない。
なので、クーコのお世話係が必要だった。
「クーコ様、お茶をお持ちしました」
「うむ、ありがとうなのじゃ!」
恭しく狐マークの湯呑みを差し出すのは、黒髪を短く切り揃えた少女だ。
和服の上から白いエプロンと頭に三角布を身に着け、まるで仲居さんといった格好をしている。
彼女に個人名はない。あるのは種族としての名前『座敷童子』だけだ。
見た目は人間の少女そのものだが、これでもアルマが作ったモンスターの一種であり、世話をしているクーコよりも高い身体能力を持つ。
性格も大人しく真面目で素直と、どこかの白狐に見習わせたい逸材であった。
そんな座敷童子は家事全般に秀でており、これまで和風旅館の管理を一手に任されていたのだが、その高い能力を見込まれてクーコのお世話係を頼まれ、兼任するようになったのである。
本人も誰かのお世話をするのが好きなようで特に不満もなく、いそいそと嬉しそうに働いている。
ちなみに本来はダンジョンの主が身の回りの世話をさせる『ブラウニー』と呼ばれるゴブリンの一種なのだが、見た目が醜いと定番のゴブリンそのものであったためイメージを変えた結果、なぜか和風の妖怪になってしまった。
この一件から、アルマは大型ホテルのスタッフも同じ要領で作れるのではと閃いており、後に『メイド妖精』なるモンスターが誕生するのだが、それはまた別の話である。
「くふー、お茶がおいしいのじゃー」
湖を眺めながらまったりするクーコ。
……だが、内心では密かに冷や汗を流していた。
ここでの暮らしが、あまりに快適で、優雅で、満たされ過ぎているからだ。
(まだクーは、なにもしていないというのに……!)
そう、こうして呑気にお茶を飲んでいる場合ではない。
クーコは仕事をしていないのだから。
だというのに、ここまで至れり尽くせりの暮らしを許してくれるアルマ。
もう申し訳なさで一杯なのだった。
とりあえず毎日アルマのところに通って侍るなど、取り巻きみたいな生活をしているが――――。
(アルマちゃん様は寛大なのじゃ。でも、すずのやつが相変わらず怖い目で睨んでくるのじゃぁ……!)
すずが許してくれるはずもなく、きちんとした仕事でヴァルハラに貢献しなければならなかった。
もちろんクーコも今のままでいるつもりなどなかったが、どれだけ考えてもヴァルハラで役に立てる仕事が思いつかない。
最近では同僚である機巧人のアルヴィトからニート呼ばわりされる始末だ。
(まったく……クーの名前はニートじゃないのじゃ! クーコなのじゃ!)
少しずれた憤りを覚えながら、お茶を飲み干す。
そこで、ふと座敷童子が視界に入った。
おかわりを用意しようと、湯呑みを受け取りに近寄ったのだ。
「……のう、お主ならクーはどんな仕事をすればいいと思うのじゃ?」
「わたしですか?」
きょとんとする座敷童子だったが、すぐに真面目な顔で考え込む。
普段から和風旅館を管理して、クーコのお世話もこなす彼女なら、なにかしら良案を思い付くのではと期待しての質問だった。
なにより嫌な顔ひとつせずにお世話してくれる座敷童子であれば、クーコをバカにしたりせず、真剣に考えてくれるはずだと信用していたのも大きな理由だ。
やがて座敷童子は俯かせていた顔を上げる。
「では名前を考えるのはどうでしょう?」
「ふむ、どういう意味なのじゃ?」
「この建物をアルマ様は和風旅館と呼んでいます。ですが実際には旅館として使うつもりもありませんし、なにより固有名がありません」
「ほほう、そこでクーが名前がない物の名前を考えるわけじゃな?」
なるほど、とクーコは感じた。
たしかにアルマは自分で名付けるか、アルヴィトの命名を採用することが多かったが、まったく名付けないまま放置された建物も多い。和風旅館や大型ホテルが良い例だろう。
これほど立派な建物が、ただの『旅館』や『ホテル』と呼ばれるままではもったいない。
そして名付けにはセンスが問われる。
あまり頭が良くないと自認するクーコでも、それなら可能に思えた。
なによりも楽しそうだ。
「最後に決めるのはアルマ様ですが、提案するのも仕事ではないですか?」
「ふむふむ、早速ひとつ考えてみるのじゃ!」
湯呑みを手にしたまま深く考え込むクーコ。
その視線は座敷童子が淹れてくれた、透き通った緑茶に注がれていた。
「……お茶、茶々子、うむ! 茶々子という名前はどうじゃ!?」
「えっと、ここの名前を茶々子にするんですか?」
満面の笑顔で言われてしまっては、座敷童子もあまり似合っていないとは言い辛そうで、どうにか遠回りに考え直すよう促すので精一杯だ。
しかし返って来たのは意外な言葉である。
「違うのじゃ。茶々子はお主の名前じゃ」
「……え」
「も、もしかして、あまり気に入らなかったのじゃ?」
あっけにとられる座敷童子に、クーコは気に障ったのかと慌てる。
「いえ、その、わたしの名前だとは思わず、驚いてしまいまして……」
「座敷童子というのは、クーで言えば狐人族と呼ばれるのと一緒だと聞いたのじゃ。ちゃんとした名前がないと不便なのじゃ」
「そう、ですね」
これまで自身の名前など深く意識していなかったらしい座敷童子は、何度も小さく『茶々子、茶々子』と口の中で呟いた。
すると徐々に実感を得られたのか、硬かった表情を綻ばせる。
「ありがとうございます、クーコ様。茶々子はすごく嬉しいです」
「うむ、喜んでくれてクーも嬉しいのじゃ!」
茶々子の名前を考えたのは半ば無意識の内だったが、予想していたよりも喜ばれてクーコも笑顔になってしまう。
「次はこの旅館の番じゃが……せっかくだから茶々子も一緒に考えるのじゃ!」
「わたしも、いいんですか?」
「そのほうが楽しいのじゃ。いくつか考えて、後でアルマちゃん様に選んで貰えば問題ないのじゃ!」
「はいっ」
控えめだがしっかりと笑みを浮かべて頷く茶々子と、本人も知らずにひとつの才能を発揮していたクーコ。
二人は、主にクーコだけがわいわい騒ぎながら名前案を出し合って、この後に和風旅館の名前を正式に『狐楼閣』へ決定させるのだった。
ちなみに『狐楼閣』は茶々子の案である。
クーコ案は『おきつね御殿』と『こんこん亭』で、アルマは少し気に入っていたがヴァルハラの身内だけで投票を行った結果、却下された。
アルマは座敷童子の名前は『座敷童子』だと思っていたので
後から茶々子の名前を聞かされて驚き、名前を付けていなかったことを謝っていたりします。




