19 ヴァルハラの日常(裏)7
アルマ食堂も閉じ、すっかり夜の帳に包まれた頃。
先日の食べ放題に続いて今日も肉をたらふく食べたユリウスは、膨れた腹を抱えながら第三階層の大通りを歩いていた。
心地いい涼やかな風を感じながら夜を行く姿は呑気そのものだが、第八階層で培われた警戒心が、自然と隙の少ない動き方を取らせてしまう。
(こりゃクセになっちまってるな)
それだけ第八階層の修行は過酷だったのだ。
だがユリウスはむしろ、自分が成長した証のように感じられ、それを少し嬉しく思っていたりする。
苦行とも呼べる修行の日々が、楽しかったと感じられるほどだ。
一方で、これから少し面倒になりそうだなと、夜空を見上げて思い返す。
それはゲオルクから冒険者ギルド支部に呼び出され、半日にも及んだ話の内容が原因だった。
冒険者としてのユリウスは中堅以上、ベテラン未満といったところだ。
今さら若手に混ざって訓練所の厄介になろうとは思えず、このヴァルハラならば今以上の『強さ』を得られるのではないかと期待していた。
第八階層は、そんなユリウスの期待にアルマが応えた結果である。
だが、訓練所とは違ってギルド支部を介さない自主的な修行なので、どれだけエネルギーを発生させても、それが収入に繋がることはない。
ユリウス自身も、修行中に発生したエネルギーは第八階層を用意してくれたアルマへの対価として考えており、見返りは求めなかったのだ。
かといって他に稼ぐ手段がない。
せめてギルド支部から依頼を受ける形でアトラクションにでも乗れば、ギルド支部からの報酬は受け取れただろうが、それだけは頑なに拒否した。
もはやジェットコースターもフリーフォールも、ユリウスのトラウマである。
結果、見兼ねたゲオルクからギルドの相談役を依頼という形で回され、必要になったらギルドに手を貸す契約を交わしたのだ。
おかげでアルマ食堂の料理を腹いっぱいになるまで食べられ、快適な宿舎も利用できるようになった。
つまり面倒な相談事でも、断るという選択肢はユリウスに与えられていない。
「しっかし、よりによって第八階層を使うってのはムチャだろ……」
ゲオルクからの相談とは、ユリウスが修行場として使っていた第八階層にモンスターを放ち、これを冒険者たちに狩らせることだ。
ギルド支部としても素材を得られ、アルマもより多くの人間がヴァルハラを訪れるようになるので誰にとっても利益がある。
ユリウスの言う無茶とは、安全面についてだった。
すべてのモンスターに冒険者がケガ、あるいは動けなくなれば攻撃しないといった指示は可能だろう。
実際ユリウスは、何度も背後からモンスターに襲われており、負傷した時点で初めから仕切り直す方式で己を鍛えた。
だが金銭が絡む狩りとなれば、必ず無理をする者が現れてしまう。
モンスター側の手加減にも限度があり、うっかり命を奪ってしまう事故が起きてしまうだろう。人間同士の試合と同じことで、よほどの熟練者同士か、優秀な審判が立ち会いでもしなければ防ぎようがない。
だというのにゲオルクからの要望は、死者数ゼロの狩場なのだ。
いくらヴァルハラが異質なダンジョンとはいえ、めちゃくちゃな話である。
実際の利用者だからこそ断言できてしまうのだ。
(まあ、ひょっとしたら、意外となんとかしちまう気もするけどな……)
第八階層などという人工的な大自然を創り出したアルマの手腕を思えば、ユリウスはもしかしてと期待せずにはいられない。
そもそも冒険者は命を懸けてモンスターを狩るのが当たり前で、そんな覚悟もない者は第八階層に通さなければいいのではないか。
もし死んでも自己責任であり、表向きは別の理由をでっちあげれば良い。
そうした様々な案がユリウスの思考を巡るが、すぐには結論を出せず、もう今日は頭を休めようと宿舎に戻る。
宿舎は男女で別れた二つの棟が存在する。
どちらも構造は同じで、各個人の部屋の他にラウンジやランドリールームといった共同スペースが設けられていた。
「よっしゃあ! 大当たりだぜ!」
「おいおいマジかよ……」
「ちくしょう、今日はツイてねえなぁ!」
ユリウスがラウンジを通りかかると、数人の男たちがカード遊びで盛り上がっていた。ひとりが大勝ちした様子だ。
すると負けた者たちは銅のコインを勝者へと譲る。
それは単純なギャンブルであり、街では酒場に行けば毎日のように行われているほど、ありふれた娯楽だ。
ほとんどは子供のお小遣い程度の金額だが、時折とんでもない大金を賭けさせる違法な賭博もある。
特に人が多く集まる場所には、そうした裏社会の者も暗躍しやすい。
(ここが闇ギルドに狙われんのは避けてぇな)
そういった名前のギルドがあるわけではなく、違法な行為に手を染める犯罪組織の通称が『闇ギルド』だ。
大都市になると、本当にギルドと同じように犯罪行為を請け負ったりしているため、一概に間違いとも言い切れないのが悩ましいところである。
ちょっとしたギャンブルは大衆にとって数少ない娯楽だ。
闇ギルドに目を付けられると、あっという間に犯罪の温床となるが、取り締まるのが難しい実情もあって王国でも手こずっている。
近いうちに大勢の人が押し寄せるヴァルハラなど、格好の的だろう。
(ゲオルクのやつはどこまで考えてんだ?)
もう頭を休めようと決めた矢先に、またしても考え事に耽るユリウス。
ほとんど無意識だが、すでにユリウスにとってもヴァルハラは大切な場所となっており、できる限りアルマに協力する心積もりなのだ。
ヨハンほどの青さは失われて久しいが、アルマに向ける感情は本物であり、近いものとしては知人の娘に対するそれだろう。
ちょっと歳の離れた兄貴分の気持ちで、ユリウスは世話を焼くのだった。
魔術師ギルド支部の奥。
一部の者だけが入室を許可されている秘密の研究室には、表に出せない様々な魔道具や、研究のために用意された機材、そしてアルマから提供された素材が所狭しと置かれていた。
さながら研究室のような様相だったが、ここで行われている実験を考えれば大きく外れてはいないだろう。
「調子はどんなもんかね? リーゼロッテや」
「……順調」
主な部屋の利用者である二人……ギルドマスターのクラリッサが声をかけ、リーゼロッテがいつもの調子で答える。
なにをしているのかと言えば、当然ながら魔術に関する研究だ。
基本的な話として魔道具の開発、そして生産が魔術師ギルドの仕事である。
魔術師向けの依頼を受ける窓口も担ってはいるが、それらは半人前の魔術師の支援が目的であって本業ではない。
もし新しい技術、画期的な発想、理想的な工房が手に入るなら、ギルドに所属する魔術師の多くは研究に没頭してしまうだろう。
ちなみにギルドに所属しない魔術師は、金銭的に困っていない。
そのため魔道具の開発よりも己の研鑽に時間を割き、高みへ昇ろうとする。
一流の魔術師を目指すには才能と努力、そして莫大な資金が必須なのだ。
「ほう、こいつが成功すれば伝説に名を残す偉業となるだろうね」
「……それなら『アルマちゃんの友達』がいい」
「その気持ちはわからんでもないけどね。ま、世間には好きに言わせておけばいいのさ。あたしらは好きにやる……それが魔術師ってもんさね」
「……ん」
ガラスの容器に火をかけて、中身の液体がぽこぽこしている様子を見守りながらリーゼロッテとクラリッサは語り合う。
この二人は魔術師として、あるいは人間としての性質が似ていた。
すなわち魔術が大好きであり、魔術こそが生きがいである。
もちろん長く生きたクラリッサは他にも大切な物が得られたし、リーゼロッテもアルマという存在が心の大部分を占めている。
その辺りもまた、似た者同士で自然と共感してしまうのだろう。
元々リーゼロッテは大賢者の下から家出中という事情もあって、足が付きそうな魔術師ギルドではなく、冒険者ギルドに所属していた。
しかしアルマの言葉に深く感銘を受けてからは大賢者に連絡を取り、勝手な行動の謝罪と、このままヴァルハラに残ることを告げている。
その結果、快く受け入れた大賢者の勧めもあり、晴れて魔術師ギルドに所属することになったのだ。
そこで言葉は少なくとも、なぜか意気投合したリーゼロッテとクラリッサ。
クラリッサ自身は新しい技術や、希少な素材を得られるチャンスと考えてヴァルハラに押しかけたのだが、今ではリーゼロッテが進めている大魔術の行く末を見守るのが新たな楽しみとなっている。
この研究室に通すのはリーゼロッテだけと言えば、どれだけ入れ込んでいるかがわかるだろう。
そんなクラリッサの協力へのお返しとしてリーゼロッテは、アルマが生成した様々な機械を魔道具で再現できないかの開発に手を貸している。
魔道具業界を震撼させる日は、そう遠くないだろう。
ただし……それ以上の成果が今まさに、着々と形を成しつつある。
丸いガラスの容器に満たされた溶液に漂う、ほんの小さなソレが世界に生まれ出づる時まで――――そう遠くない。




