1-3 傾国の望み
『専属従者としての簡易契約書』
カロン・ノワール(以下「甲」という)はリール・トーネット(以下「乙」という)はいかに定める条件のもと簡易的に主従の契約を結ぶものとする。
・乙は帰属をセイラン聖王国からグリューン帝国へと移すことに同意する。乙はそのために甲の指示に従う義務を有する。
・乙は甲の仮の専属の従者として以後、従事する。ただし天意による素質を開花させることを最優先の業務として定め、そのために努力をする義務を負う。また甲はそのためのあらゆる支援を惜しまない。
・甲、または甲の定めた指導者が乙の素質の開花を認めた場合、乙は正式にグリューン帝国ノワール公爵家に帰属し、正式に甲の専属の従者として付き従う義務を負う。また甲はそれを保証する。
・契約に際していくつかの特記事項を乙は請求する権利を有する。甲はそれを最大限達成できるように努力する義務を負う。
・この契約はグリューン帝国入国後、任意の時期に更に詳細な条件の下で契約をするまで持続する。また更新内容は基本的に以上の内容を踏襲するものとなる旨を両者合意する。
「はっきり言ってこれはかなり穴だらけなのだけど。要するに私は他でもない貴方を帝国から脚を運んだ、ということを理解してくれればいいわ。契約の内容は決定的な部分以外は貴方が好きなように変えてくれても構わない」
俺が訝しげに契約書を眺める横でカロンは脚を組み替え、そう言った。
「決定的な部分とは?」
「前半部分。貴方はグリューン帝国のノワール公爵家の支援を受けて、天意の、素質の開化に全力で取り組む。もし開化したら――貴方は私のモノになる。これだけは譲れないわ」
「それ以外は自由にしていいなんて随分太っ腹だな……どうして俺なんだ?」
「読んだなら分かるでしょう?」
「天意……素質型“模倣”の天意か」
それにまだ期待しているのか?
「そう。この大陸全土でも初めて診断された天意。当時は各国、警戒を強めたらしいわね。セイラン聖王国が事を起こすかもしれない、なんて」
そうらしい。俺も後で知った。
だが俺の父が貴族に俺の価値を釣り上げるような真似をしたことで見放され、素質を開化させることが出来ずに貴族学院に入学した時点で既にその評価は地に落ちていた。
「確かに幼少期に必要な経験を積めなければ素質型のセンスは開花が難しいと言われているわ。だけど、まだ遅くはない。私はそう思っているの」
「買いかぶり過ぎだろ」
「貴方の貴族学院での成績は聞いてるわよ?立派なものじゃない」
カロンは自らが通う、グリューン帝国の学院を休学してまでセイラン聖王国に向かった。
そしてこのエメディオールに滞在して一週間ほどで必要な情報を集めたらしい。
「座学の成績は中の上、剣技や体術を始めとした身体能力全般も中盤、貴族的な礼儀作法に関しては上の下、平均すれば成績としては平均を大幅に上回っている。なのに落第寸前を常に彷徨っていて、やまれぬ事情で休養すれば即座に除籍処分、帝国ならありえないわね」
「この国ではこれが普通なんだよ。帝国人には馴染みがないだろうけど――」
「天意を持つ分野での成績に強い評価の補正がある……そんな慣習があるのよね。ほんと、クソくらえだわ」
「カロンお嬢様」
「ほんと、しょうもないわ」
ほんとによくご存知で、と言いたくなる。言葉遣いは時々汚いが。
貴族学院での成績は天意を持つ分野での成績に倍率が掛かる。しかも上限を突破する形で。
100点満点でも天意を持っている生徒は200点とかを平気で計上して、改めて平均するのだ。
「セイラン聖王国が大陸で常に一歩抜けていたのは、天意の診断結果を最大限反映した人材配置のお陰って言われている。実際に貴族学院の様子を少し見て納得したわ。ある分野に特化していれば他のことはなんにも出来なくても良い。これもある種の分業よね。良かったらどんな感じか、詳しく教えてくれないかしら?」
カロンは呆れつつ、そして感心しつつの投げやりな口調だった。
「はぁ……まあいいけど」
運動系は身体能力が向上する天意を持っている場合は総じて成績が底上げされ、特定の運動が得意な場合にそれが科目と一致していればその科目で高い成績が出せる。
座学は本当に酷い。苦手な生徒は平気でテストで一桁を取ることがある。一方で天意を持っていればその科目は確実に200点取れる問題だったりする。
唯一貴族的な礼儀作法はそれに該当するような天意が限られている。特大の加点を得る者がおらず、一応貴族としての最低教養ということで皆が平均的に得点を得るという状況で俺の点取り科目となっていた。
これらを説明するとカロンは「やっぱり…」と頷いて然りと頷いた。
「貴方の成績からして、天意を持っていない人間の中ではほぼ全ての科目で一位を取っているのではなくて?」
「天意がまともに機能していない人間はそうでもしないと貴族学院から半年で除籍されるからな。在学するために必要なことをしてきたという意味では周りと変わらん」
「誠に謙虚ですな。私は正直なところこの国の貴族学院のシステムはかなり歪んでいると思いましたぞ。リール殿の立場でしたら私は憤慨して何らかの行動に出ていたかもしれませぬ」
「あら、私は貴方はそんな短絡的に動くことはないと思っているわよ」
「今ならそうでしょう。でも若かりし頃ならば感情に任せて動いたでしょうな」
俺の言葉に柔和に微笑むニコラスさんだが、俺に同情した一瞬感情を顕にしたのだと思う。俺は何か気圧されるようなものを感じた。
それは貴族学院で何度も感じた天意由来の強者の覇気に近いもので、その執事然とした出で立ちに反して相当な実力者なのではないだろうか。
恐らくカロンが公爵令嬢であるとして、ニコラスさん一人を付けただけで旅をさせている。その事実もまた彼の実力を物語っている気がした。
「貴族連中が全員入れ替わんないと変わらないものよ、国というものは」
「そうなのでしょう。しかしリール殿の若さであれば普通はそれを理解することはできず、私とて不満のままに行動していたことは想像に難くないのです」
「そういうものなのね」
「そういうものです。流石にカロンお嬢様は達観しておられますからそうはならないかもしれませんが」
「まあ、お陰で優秀な人材を私が得られるわけだからいいのよ」
「はは、左様でございますか」
カロンは不思議そうに首を傾げて、勝手に自分の元に利益が転がってきたと言わんばかり。
そんなカロンや、俺もまた少数派なのだろう。
俺は貴族学院に入学する前から実家でも努力の見返りがないことが当たり前だった。
カロンは自らを俯瞰的に見れるほど、聡明そうだ。
「あんた、物分りが良すぎて嫌われるタイプだろ。合理的すぎるとか言われないか」
「そんなことないと思うけれど?」
「恐れながら。ハーモニア様から近い発言を受けていましたね」
「あ、あー?そんな気がしてきたかもしれないわ」
カロンは思い出すような仕草をした。
「でも、貴方もそういうタイプよ」
「言われたことないけどな」
「いいえ。天意という希望に縋って生きてきた貴方は物分りよく、色々なものを諦めてきているわ」
カロンは俺の深層心理まで見透かすような目で俺を見据えた。