0-6 運命の出逢い
俺は貴族学院を出立したが、街から出るのはもう数日ほど街に滞在してからにしようと思っていた。理由は単純で体力を回復させなければ旅に耐えられるとは思えなかったからだ。
実は昨日リアレスに持ってきてもらった食事はそもそも飲み込むことも出来なかった。
やはり身体が受け付けないのかすぐに気分が悪くなってしまったのである。
保存が効きそうなものに関しては残しておいて、悪くなりそうなものだけ食べたと説明しておいたが、実は食べることが出来たのは水分の多そうな果物だけ。
あとは申し訳ないと思いつつもトイレに流した。
「宿でも食事は少し特別に作ってもらったほうが良いかもな……金かかりそ」
そんなことを思いつつ学院から続く大通りを歩いていると雨が降ってくる。なんとか雨に濡れないように小道に入って屋根のある場所に身を寄せた。だがそれは民家の裏口のような場所で長居するわけにもいかない。
「少しだけ雨宿りさせてもらおう」
しかしすぐに止むだろうと思っていた雨はなかなか止むことはなく、それでも少し雨脚が弱くなったタイミングで俺は路地を歩いて宿がある一帯を目指して歩き出した。
「ついてないなあ……ただでさえ体力がなくて歩くのもやっとなのに」
貴族学院に通いだしてから独り言が多くなった。
元々良く話していたリアレスやサリィ、シスターなどと話す機会がなくなったからだろうか。
改めて去る事になった貴族学院を思い出しても余りいい思い出はない。
独り立ちして貴族学院に通い始めたのは、自分の天意を活かそうと思ったら学べることが一番多いのは貴族学院だと知ったからである。
リアレスは身分からして通うのは当然だった。もう1人の幼馴染であるサリィは俺が通うのであればと、リアレスの実家の支援を受けて一緒に通うことになった。当初は卒業したらそのままシルドラ伯爵家専属の回復魔法使いとして働くことになる予定だったのである。
繰り返すが、俺はといえばただただ、自らの天意を、素質を開花させるために通っていた。
だが通い始めてみると貴族というのは元々能力型の天意を得て天才などと言われてきた人間や、スパルタ教育で素質型の天意を早くから開花させた人間が多く、総じてプライドが高い。
それでも切磋琢磨出来る環境ならばと期待して門を開ければ自分はストレスの捌け口にされるだけ。むしろ自習の環境としてはあらゆる資料が集まっているだけにそこにいる生徒たちがただただ残念だった。
サリィは最低限の回復魔法を使うことでなんとか平民でありながら能力を見いだされたという形に落ち着き、やり過ごしていたみたいだ。しかし最底辺貴族で天意も危ういの俺にはそれすらも難しい。
サリィを巻き込まないために会話は最低限となり、滅多に話せない上体のまま遠く離れる事になってしまった。
「俺がもっと強くて、体力もあって、頭が良ければ貴族に邪魔者扱いされなかったのかね……今更もう遅いけどさ」
貴族にすり寄ってゴマをするような自分の姿は容易に想像ができる。
俺はあれしろこれしろと言われて大抵のことを並程度にこなす自信があるし、礼儀作法も問題なかった。
だが天意のある分野で最低限の成績を修めることが前提となっていた貴族学院の評定ではどうしても落ちこぼれとして扱われる。もし運良く良い成績が得られても、貼られたレッテルを剥がすことは難しい。
最初から配下になれとも言われずただ虫を殺す、家畜を屠殺するという当たり前のこととして迫害されて耐えるしかなかった。
下手にすり寄って弱点を見せればそこをいたぶられることは明らかで、サリィとの交友関係はもちろんのことリアレスのシルドラ伯爵家との関係も一切話したことはない。
彼女たちに実害として迷惑は掛けてこなかった。それも最後の最後で失敗したわけだが、最後以外は結構良い身の振り方だったんじゃないか?
「って、遠いよ……!まさかこんなに遠く感じるとは――」
「っ」
「おっと、すみませ――」
俺は後ろからぶつかられたのか前によろめいた。
しかしそのままふんばろうとすると何かが身体から抜け落ちていくような喪失感があった。
そして、そのまま踏ん張りがきかずに倒れた。
「……は、ははっ……聖女サリィ様、俺やりましたよ。あんたに昔から付きまとっていた虫を殺しましたっ!ハハハハハッ!」
「……」
……まだ死んでねえっつの。
俺が冷たい地面に顔を擦りつつ後ろを振り返れば血走った目で手に持ったナイフを掲げる貴族学院の男子の制服が見えた。
だがすぐに走り去って見えなくなってしまう。どこのどいつがこんなことをしたのか、顔を拝んでやりたかったがそれも難しかった。
視界に見えるのは灰がかった色の民家の壁、少し視界を上げてみても民家から張られた屋根の軒下の茶色。
その先にあるはずの曇天すら見えない。
「……しょうもな」
俺はなんとか身体を仰向けにした。
横に転がることで見えていなかった曇天が視界に広がる。
しかしそれも民家と民家の間の路地では狭く感じる。
「天意って、なんだよ……クソ、が……」
誰かを真似するための天意"模倣"が真似したのは。
素質型の天意をモノにできず、最後に人知れず死んでいく。
そんなしょうもない人生だったのかも知れない。
俺は霞んでいく視界を維持することすら諦め、瞼を閉じた。
『貴方の名前は?』
あ……?
『天意は?』
天意を尋ねるなんてクソみたいな質問すんなよ。
……俺の中にはクソみたいな天意が詰まってるよ。
『人間誰しも身体の中にはクソが詰まってるものよ。というか、外傷に反してこいつ大丈夫そうよ?』
走馬灯だろうか、俺の視界がやけに明るくなった気がする。
自分の持つ可能性に夢想していた頃。
権力者達の見世物にされる前。
サリィとさえ知り合う前に空を見上げたときの太陽か、あるいは夜中に窓から見えた月のような輝きを思い出した。
『あ、やっぱ駄目そうね。大至急治療魔法よ。もう待機してるのよね?ああ、目は開けてなさい。意識を強く持って』
俺の脳裏に浮かび上がったのは曇天の中ですら金色に輝く、女神の姿であった。
***
ある国の皇帝がこう言ったという。
「世が世なら彼女の美貌は人々を惹きつけ、手が届かないなら良いが手が届きそうな権力者ほど皆狂わされるだろう。だが彼女に手を出すことは自らを滅ぼしかねないことだと知れ」
だが――そう一拍置いて皇帝は焚き付けた。
「我は別である。国盤をも傾けるであろう少女は未来、我が伴侶となるやもしれぬ。だがそれでこの帝国が崩れることはない」
それはどうしてか?簡単なことだ、そう言って笑う。
「傾国の少女を物にできるのは皇帝のみ。もし"傾国"を自らの物にしたければ皇帝の座を狙うがよい。タダでくれてやるつもりはないし、奪いきれなければ一族郎党を滅ぼすがな」
この皇帝の言葉は帝国内はもちろん、他国へも広まった。
忠告があったからこそ、計算高い貴族は身を滅ぼす真似をしないで済んだ。
だが野心家を焚きつけるには十分な啖呵、それは帝国に確かな動乱の兆しを生み出したのだ。
***