0-4 リールの部屋で
俺が学院から与えられている個室は往年(一年間)の汚れなどが染み付いて大変なことになっている。胡蝶ではなく、一年で往年のと言って然るべきレベルにまで消化された穢れは度を越しているのだ。
道中言っておいたので知っていたつもりだったのだろうが、リアレスは部屋に入った瞬間に顔をしかめていた。
「というか、ここは何に使われていたの?」
「俺が寝床として使っていたのは最初の二ヶ月だな」
「その後は?」
「最初の一ヶ月はガキの遊び場?泥とか砂とかが巻かれて壁に塗料が塗られて、壁の修繕費用とかを請求された」
「その後は」
その先、聞いちゃう?
「夏前は連れ込み宿……というかぶっちゃけラブホ?意外と貴族令嬢もやることやってんだよね。乱パとか、ちょっとキツめの性癖を満たすための社交場になってた」
「貴族令嬢だけど、ボクはやってないからね。その後は?」
その先も聞いちゃう?まあ二文字だけど。
「便所」
「その夏に何があったの!?」
何か強い匂いがするとかではなく、単純に汚臭で鼻が馬鹿になるような場所になってしまっている。
俺が嫌がらせに何も言わないものだから、止めることが出来ずに最終的には嫌がらせをするように命令された人間――恐らくアラート家の取り巻きの貴族――がウンコするための場所になっていった。
リアレスが顔をしかめた臭気の理由はこれであった。
「まあ俺は入学一ヶ月でこの部屋を解約してるから、この場所をいくら汚されても問題なかったんだけどな。実はこの隣の部屋が俺の部屋なんだ」
「なんでもっと離れたところにしなかったの?」
「どんな嫌がらせが起きるかと思って隣の部屋にしたんだ」
「何だよ……その好奇心。ボクにはその気持がわからないよ……」
「いやまた俺の部屋がバレたなら移ればいいと思ってさ。そしたら隣の部屋で好き勝手しているだけにその両隣の部屋にはすごく気を遣ってくれるんだよ。壁越しにしか話したことないんだけどさ」
「リールって変わってるね、ほんと」
そうだろうか?サリィは大丈夫?って心配されたけどあれってよく考えてみたら頭おかしいんじゃないのって意味か?
「ちなみにいつもは廊下で顔を見られないように窓から入っていたからこの鍵を使うのは初めてだ」
「えっ、ここ三階なんだけど」
「ああ、だから屋上から降下するんだ。下から登るよりも楽だからな」
「……あ、そう」
俺は部屋に入ると荒らされた形跡がないことに安心する。
荒らされているとその分修繕費用が俺に請求されるのだ。俺が入学後に荒らされた部屋をすぐに解約したのはその費用を請求されるのを最小限に抑えるためである。
学費を自分で払っていたから常に財布はカツカツで一番最初の嫌がらせのときはほんとに苛ついた。
「よっと」
「平然と壁くり抜いて物入れてるけど、どうなのそれは」
「多分バレたら修繕費請求される」
バレなければ問題ないからいいのだ。
俺は中に入っていた教科書類を取り出すとそのさらに奥から色々なモノを取り出す。いつこの部屋が荒らされるかも分からないので十分な大きさのバックパックもこの中に入れてある。それに詰めていった。
「おっ……これはどうすっかな」
「なにそれ?」
「隣の部屋に放置されてた、とある貴族令嬢のショーツ。多分使用品」
魔法で焼却された。
リアレスは俺とは違い魔法が普通に使えるのだ。
「おっ……」
「それは?」
「俺もいつか使うかと思って隣で回収しておいた未使用の避妊具」
「使う相手いないでしょ」
「確かに、いるか?」
「……いらないよ」
リアレスはこれは焼却するのではなくゴミとして捨てることにしたらしい。
部屋のゴミ箱に捨てていた。
「おっ……」
「まだあるの……?」
「ほら、これはお前のために買っといたんだ」
「なにこれ?」
「入学してからサリィの使ってた髪飾りを羨ましがってただろ?だから今度会ったときにと思って。まあ入学祝いってやつ」
俺がアクセサリーショップで買っておいたものだ。
高いものではないがセンスは悪くないと信じたい。
「……付けて?」
「は?自分で付けたほうがいいだろ。よく分かんないぞ俺」
「いいから」
「……まあ、いいけど」
俺はアクセサリーショップでプレゼントだと言ったら付けてくれた装丁の箱から取り出してリアレスの両耳に付けてやる。耳元の髪を掻き上げて耳にかけてやると反射的に小さく震えて鼻に掛かったような吐息を漏らす。
「変な気分になるからやめろ」
「し、仕方ないじゃん……」
リアレスの蒼髪は昔から変わらず艷やかで柔らかい。昔は今よりももっと男の子っぽかった。今でこそ名残はその口調くらいだが、生傷の耐えないわんぱく小僧だった。でも当時から髪の毛はサラサラで自分の髪からはしないような甘い匂いがしていた。
それこそずっとかいでいても飽きないような……いや、変態みたいな感想だけど本当だから。
「これでいいか。どうだ?」
「どうだ、と言われましても自分からは見えないし……」
「じゃあ鏡のあるところで……っ」
俺はそういえばこの部屋に鏡はなかったかと周囲に目を巡らせていた俺。
とっさのことで近づいてくるリアレスの顔を避けることはできなかった。
「瞳に映ってた……多分大丈夫」
「お前な、唐突に……」
「唐突?ボクはずっとリールのこと好きだって示してきたよ」
「……まあ、ほぼ分かってたけど」
「リールはボクのこと、好き?」
「……」
俺が黙っていると二度目。
舌で唇をこじ開けるような熱烈なキスが言質を引き出そうとしてくる。
「ボクが迫ってもいつもリールは変な気分になるからって避けてたけど。いいんだよ、変な気分になっても」
「お前のことは好きだけどな?それとこれとは」
「うれしい」
「正直そうい」
「ボクも好き」
「対象としては」
「愛してる……」
抱きついての再三のキスに俺の身体にリアレスの熱が混ざり始めた。
彼女の高い体温が俺に伝わってきて俺も変な気分になってくる。
「だあああ!やめんか!」
「きゃっ」
「あのな、伯爵令嬢でしかも長女でしょうが!勢いに任せてこんなことしちゃいけません!」
「さてさて、さっきのやつの出番だね」
お前燃やさなかったのはこうなることを……と思ったがそれよりも大変な問題がある。
きっとこれが健康な状態だったら俺は本能的に彼女の誘惑に耐えられなかっただろう。
だが今の俺は立っているだけでもやっとの状態である。
「幸いというべきか、俺にこれ以上を求めるな。そんな体力はない。それとも本当に殺す気か?」
「またまた……」
「無理だからマジで」
「……ほんとに?」
「本当に」
「痛いのは最初だけだよ?」
「それ、こっち側のセリフだから」
「ケチ」
ケチだろうとなんだろうとこんなことをしてリアレスの幸せに繋がるはずがない。
俺は手を出すつもりは一切なかった。
「ボク、振られた?」
「……そんなこと言ってないだろ。俺にそういうこと考えられる余裕が出来たら考えるし、返事もする」
結局折れはヘタれてしまった。
だがこう言っておけば、彼女はシルドラ伯爵家として強いられる婚姻関係によって俺のことは諦めざるを得ないだろう。昔からずっと俺にべったりだったリアレスのことをシルドラ伯爵家の人間はよく知っている。俺がリアレスから離れている間に婚姻関係周りを固めて俺がいざこの街に帰ってきてもリアレスにもいい人が出来ているはずだ。
俺も努めて善い人であろうとしていたし、努力することは怠らなかったためシルドラ伯爵家にとって覚えは悪くないはずだが、リアレスパパは大層俺のことを敵視しておいでだった。
俺がこの貴族学院を離れるということになって真っ先に喜ぶのではないだろうか。
ともかく、今を凌げばリアレスが俺に傾倒して貴族としての失敗をすることは避けられるはずだ。
「そっか、分かった。返事待ってるから」
「……おう」
大丈夫だろうか。姿を眩ませてもすぐに俺のことを察知して絡め取るんじゃなかろうかと心配になってきた。
「……」
俺は耳元に触れてニコニコとするリアレスに不安を覚えざるを得なかった。