貴女の幸せと私の幸せ
文章の最後を「た」ばっかりで終わらせてるのはワザとです
しかしこれって流行りの婚約破棄ものなのだろうか
その王国は建国者が女性であった事から女性でも家督の相続権利があった。
侯爵家が双子の娘を授かった後に男の子を授かったのが不運の始まりと言える。
長女のミレイナと次女のミレーユは贔屓目なしにお互いに優秀であったが故に両親は家督相続に悩むことになってしまった。
どちらかを切り捨てる事も出来なかった両親は二人を真剣に愛する為に持てる力の全てを公平な教育と公平な愛情を注いだ。
それによってミレーユが優れた魔術を修めるとミレイナは優れた武術を会得した。
追い越すようにミレイナが素晴らしい絵を描き上げるとミレーユは素晴らしい料理を作り上げた。
巻き返すように片方が透き通るような演奏を覚えると片方は轟くような歌声を披露した。
その技量は教えに招かれた教師達の教える事が無くなる程であった。
その一方で長男のミハイルは捨て置かれた。
いや捨て置かれたと言わねばならないような教育を施され、愛情を注がれたのだ。
「良いかミハイルよ、お前はこの家の家督は継げない子だ」
「はい父上」
「だがミレイナもミレーユも優秀だ、どちらが家督を継いでも男として弟として支えてあげなさい」
父からは姉達を支えるという役目を与えられた。
その為に二人の姉に教える事が無くなった教師達があてがわれた。
教師としてのプライドを失った情けない者達がミハイルに過激な教えを施していく事を見過ごしたのだ。
優秀な二人を支えるものになる為には優秀な能力が必要と考えて父は庇わなかったのだ。
「貴方は家督を継げない子です、しかし侯爵家の男児として然るべき家に嫁ぐことになるでしょう」
「はい母上」
「この家の恥にも嫁ぐ家の恥にもなってはなりません、妻となる女性の幸せの為に尽くしなさい」
母からはいずれ嫁ぐ家にとって都合の良い存在となる役目を与えられた。
妻となる女性の願いを叶える為に、嫁ぐ家にとって使い勝手の良い手駒となるようにミハイル本人の心は表に出されなくなった。
従順にして恭順な優れた配偶者であり、例えどれだけ苦しい事であろうとも笑ってこなしてみせる愚かしさを感じさせない人間となった。
だから道具が欲しかった王家に世継ぎの王女の婚約者に選ばれた。
王女ヒルジャーを支えるようにと言われた。
王女ヒルジャーを喜ばせるようにと言われた。
王女ヒルジャーを悲しませないようにと言われた。
王女ヒルジャーを愛して誰よりも幸せにするようにと言われた。
そこに二人の姉の幸せどころかミハイルの幸せは一言も含まれなかった。
だがそれでも幼いながらに答え続けた。
「あぁわたしのボウシがとんでいっちゃった!」
「大丈夫だよ僕が取って来てあげるよ」
「ありがとうミハイル!だいすき!」
「君を幸せにするのが僕の役目だから」
風の強い日にお気に入りの帽子が飛んで行って城の木の高い位置の枝に引っかかってしまった。
周りのお目付け役やメイド達が道具を取って来るよりも早くミハイルは子供らしい身軽さで昇って取ってしまった。
上品な貴族の衣服を木の葉で汚すことになろうとも躊躇わずに、理由をつけて昇ろうともしない大人達を無視して昇ったのだ。
「ねぇミハイルそのイチゴくれない?」
「ヒルジャーの分がまだ残ってるじゃないか」
「だって私の分は最後に食べたいもの、でも口直しに今欲しいの」
「しょうがないなぁ、はいどうぞ」
「ふふっありがとうミハイル大好きよ」
城下街でも評判のケーキを食べに行ってヒルジャーはミハイルの分のイチゴを求め、ミハイルはそれを正直に差し出して食べさせてあげた。
ヒルジャーも本当はただ食べさせてほしいだけだったのだが正直に言うのが恥ずかしいからワガママを言う形で求めた。
ミハイルはそれに気付いてそっとフォークに突き刺したイチゴをヒルジャーに食べさせてあげると彼女の顔はイチゴのように赤くなった。
ヒルジャーは優しく微笑むミハイルの顔に微笑み返す、もしこの時にワガママというものへの自制を学んでいれば未来は変わっていた。
「ねぇこの課題が判らないからミハイルのノートを見せて欲しいの」
「僕もこれはまだ使ってるから写しで良いかな?」
「だめ、今使ってるノートを貸して欲しいの良いでしょう?」
「うん判ったよ、でもキチンと返してね」
「大好きよミハイル……貴方のノートって見やすいから助かるの」
ヒルジャーの行為にミハイルは奴隷のように答え続けた。
それによってヒルジャーは婚約者に対する愛情表現を自分の命令に服従させるというものへと変異してしまったのだ。
どんな困難な事を言ってもミハイルは嫌な顔一つせずにお目付け役などよりもよっぽど優秀にこなしてみせる姿にヒルジャーは愛情を誤解した。
ミハイルが答えてくれるのは自分を好きだからであり、優秀なミハイルを手足のように使い走らせる自分は更に優れているのだと誤解した。
そして世継ぎという環境はヒルジャーのこの歪みを正す者を作り出さなかった。
「ねぇミハイル」
「どうしたのヒルジャー」
「……もし好きな人が出来たって言ったら貴方は」
「君の幸せが僕の幸せだよ、どんな理由であろうとも君の幸せになってくれれば嬉しいから」
ヒルジャーはずっと従順で居続けるミハイルに物足りなかったばかりか、そんな環境で現れた従順でない若者との出会いに運命を感じたのだ。
強い力を持つその新入生は学園で起こる様々なトラブルに果敢に戦いを挑んでは解決してみせる優秀さがあった。
それを支配したくなったヒルジャーはあえなく失敗したばかりか、今までにない人との出会いに胸を高鳴らせてしまった。
その高鳴りに導かれ学園で起こる問題を解決してみせる若者をイジメる者達を制裁して彼から褒められるのが嬉しかった。
ヒルジャーは彼を手に入れたくなって何度もお茶を飲み交わし、学食でも一緒の席に着いて食べるという入れ込みぶりに周りは苦言をていしたが意味はなかった。
むしろヒルジャーにとって婚約者である筈のミハイルが何も言わないのだ。
むしろ自分が命じればミハイルは給仕のように従順だった。
むしろこれは彼の優秀さを認めて身を引いてくれるのではないかなどと思いあがるのは無理もなかった。
だからヒルジャーは最悪の言葉を命じた。
「私は彼と結ばれるのが幸せだと思うの」
「……それでヒルジャーは幸せになれるの?」
「なれるわ、なってみせるわ!だってミハイルじゃこんなに胸が締め付けられる事なんてなかったもの!」
「彼は平民出身だし、女王陛下だって簡単には許してはくれない、そもそも彼だってヒルジャーと結ばれてもイジメはもっと酷くなるだけだよ」
「アンタは私の言う事を聞いてれば良いのよ!黙ってとっとと消えなさい!どうせアンタなんて言う事聞いてれば良いだけの人形同然の婚約者!私の幸せには邪魔なのよ!」
その言葉にミハイルは何も言わずにヒルジャーから離れていった。
振り返った視線の先には熱病に浮かされた元婚約者が新しい恋人の元へと走っていく姿が見えた。
周りのお付きの者達もミハイルには一瞥もせずにヒルジャーの後を追いかけて姿を消した。
従順すぎたミハイルは女王や侯爵家の思惑が軽んじられるほどに周りから軽んじられていたのだ。
それでもミハイルの中には自分がいない事でヒルジャーが幸せになるという行動原理しかなかった。
邪魔にならないようにミハイルはその夜には学園の宿舎に一枚の手紙を書き残して姿を消した。
学園の生徒達はミハイルがいなくなる事によって起こるであろう騒動など考えもせず、王女の腰巾着同然の名ばかりの婚約者がいなくなったとしか考えなかった。
そうして軽んじられていたが故にこのミハイルの重要性を理解していなかった者達からの報告を聞いた女王が慌てて学園に来た時は全てが遅かった。
ミハイルはその優秀な能力で素早く国から離れていった。
山を越えていく途中で盗賊を皆殺しにして商人一行を助けるとお礼にと商人達がミハイルの身分などを隠して国外に脱出させた。
ミハイルはただヒルジャーの幸せを願って逃げている事を素直に話しただけだが、商人達が共感して危険を承知でおこなってくれたのだ。
少なくとも他人からすれば婚約者として相手の為に尽くしてきたのに捨てられたというのは、やはり共感される話ではあるのだ。
ミハイルは偽の名前と商人から貰った謝礼と共に国から更に遠ざかった。
行商人達に混じって霧の深い谷を越えていく途中で巨大なカマキリの魔物に出会うがこれを一人で難なく討ち取って一緒にいた人々から称賛を浴びた。
谷に潜み多くの生き物を喰らっていた魔物がいなくなった事でこれからは安全に通れる事が判った地元の貴族からは大変感謝され宴会まで開かれた。
そこで身の上を聞かれたミハイルは偽名ではあるが尽くしてきた婚約者が違う男性を好きになって幸せの為に身を引いた話を正直にした。
貴族はミハイルの雇用を諦めるが一方でミハイルほどの強さが埋もれるのは惜しいと更に隣国の帝国にいる家族への紹介状を書いてくれたのだ。
貴族は政略結婚で帝国からこの国へと嫁いだ身であったのでついでに故郷の家族に手紙を届けて欲しいとも頼み込んだ。
ミハイルは紹介状を手に帝国へと入り込むが帝国である騒動が起きていた。
ドラゴンがとある山に住み着いて近隣住民に大量の食べ物を自分に献上させている為に人々が飢えに悩まされ始めていたのだ。
もし食糧がなくなれば腹を空かせたドラゴンは家畜を全て食い荒らし、それがなくなれば人間を食い殺していくと吼えていた。
手紙を届けるという目的があったミハイルはドラゴンの事などどうでも良かったので素通りしようとしたのだがそれがドラゴンの癇に障った。
ドラゴンが自分を恐れないばかりか憐れむ様な視線で一瞥したミハイルを通さないように立ちふさがり勝負を仕掛けてきたのだ。
ミハイルにとってドラゴンなどどうでも良かったが、手紙を届ける邪魔なので戦う事にした。
戦いは三日三晩の激闘となった。
四日目の夜明けに戦いを見守る近隣の人々のドラゴンがいなくなれば平和が訪れて幸せな日々が戻ってくるという叫びが決め手になった。
あくまでも手紙を届ける為に程々に戦うつもりでいたミハイルはその幸せの為に剣を振るうという目的が出来た事で一心に戦う事を決めたからだ。
ミハイルの本気の一撃はドラゴンの左肩を切り裂き、地面に倒れ伏した巨体は痛みと疲労によって身動き一つ出来ずにゆっくりと近づいたミハイルの突きつける剣の切っ先を見つめていた。
しかしミハイルはドラゴンの首を獲るような真似はせず、むしろドラゴンや近隣住民にとっても驚くようなことを言い出したのだ。
「もうこの国の人達に迷惑を掛けるな」
「人間など区別はつかん、ましてや人間が勝手に引いた線引きの区別など殊更な」
「なら僕がお前に線引きをあげよう、僕の家来になって僕をこの手紙の届け先まで連れていけ」
「はっ?なんだそれは?」
「僕はお前がいなくなればそれが幸せだと聞いたから本気を出した、殺せとまでは言われてない」
ドラゴンはあまりのおかしさに痛みなど忘れて嗤い続けた。
確かにいなくなればと言っていたが、それは普通ならば討ち取ってしまう事の筈なのにミハイルはそう思っていなかったのだ。
ミハイルが手紙の一件などなく最初から討伐に関して本気であったのならばドラゴンなど容易く倒していたのだ。
しかしそんなおかしさなど理解していないミハイルの異様さにドラゴンは惹かれて、魅かれた。
それこそ、そんな馬鹿げた命令を従うのも面白いと考えられるくらいには面白そうだったからだ。
ドラゴンはミハイルに家臣となる契約を結び、その力で傷ついた身体を瞬く間に癒すとミハイルをその背中に乗せて飛び立った。
ミハイルは良い足が手に入ったと喜ぶと何事もなかったように帝国の大空を飛び続け、手紙の届け先である帝都の一角の屋敷に降り立って手紙を届けた。
そしてそのまま立ち去ろうとするミハイルを届け先の貴族は呼び止めると大急ぎで皇帝への謁見を取り付けて足止めした。
皇帝自ら僅かな護衛の将兵を引き連れてミハイルの前へと現れると即席のテーブルと椅子に腰かけて対等の視線の高さを持って話し合いを始めた。
話し合いといっても内容は帝国への勧誘であり、何かしらの理由や口車を使ってドラゴンごと優秀なミハイルを家臣にするというモノだ。
ここでもミハイルは自分の身の上話である婚約者に捨てられた存在である事と、偽名ではなく本名を持って皇帝への仕官を断ろうとしたが相手が悪かった。
「我が帝国は西の国との経済摩擦が酷くなりつつある、臣下の娘を政略結婚で隣国の重鎮と繋げたのも貴殿の母国に挟み撃ちされない為の防波堤だ」
「……女王になるヒルジャーも王配になる彼も優秀です、おそらく母国は大国になるでしょう」
「余にはこの国の臣民を守る義務だ、そして西の国を打倒し帝国に安寧をもたらすのが余の幸せであり、それは貴殿にしか出来ない事なのだ」
「僕にしか出来ない幸せですか?」
「そうだ、余の幸せの為に、臣民の幸せの為に、余力が生まれれば隣国との同盟関係も強固になり臣下の娘も平和な幸せを送れるだろう」
それはミハイルに忠誠を誓わせるには充分な言葉だった。
労せずにドラゴンを手に入れた皇帝は隣国への策略として、さも国内がドラゴンの暴挙を許しているようにミハイルを各地に派遣した。
ドラゴンを手に入れた暴君が帝国を手に入れんと暴れまわり各地を疲弊させているように見せかける事であえて隙を見せて攻撃を誘ったのだ。
そしてそれに釣られた隣国はかねてより経済摩擦によって険悪であった帝国を打倒せんと大軍を率いて侵攻を開始してしまった。
国境の砦にはろくな兵もなく、降伏した兵士達はドラゴンに怯えた皇帝が戦力を帝都に集中させて縮こまっていると嘘を本当のように話して更に油断させた。
西の国の軍勢はドラゴンによって荒らされた無残な山肌を見た。
暴君によって金品を失ったと嘆く都市の人々の嘆きを見た。
踏み荒らされた田畑を見た。
家畜のいなくなった牧場の姿を見た。
敵である帝国の悲惨な姿に西の軍勢は心を痛め、義憤のもとに進軍を続けた。
そしてもはや帝都は目と鼻の先に迫ったその時に母国がドラゴンと暴君ミハイルの攻撃で壊滅したという急報を聞いた。
ドラゴンが西の国の王都に突如として現れるとその巨大な腕で城の一角を殴り壊し、また別の一角をその炎で火の海に変えたというのだ。
どれだけの大軍を率いて優勢であっても、陥落させるべき敵国の首都が無防備同然であっても、将兵にとって故郷が蹂躙されていると聞けば冷静ではいられなかった。
ましてやここに来るまでに暴君ミハイルの爪痕を見てきた将兵にとって今まさに母国が傷つけられていると思えば撤退の動きは素早かった。
撤退の際にも帝都を守る軍勢は自分達への追撃をしてくる素振りがなかったことも軍勢の素早い動きに拍車をかけたがそれが最大の失敗だとは気付かなかった。
帝国の領地を行軍中にどす黒い暗雲の中から暴君ミハイルとドラゴンが姿を現したのだ。
慌てる将兵に追い打ちをかけるように皇帝自らが率いた軍勢が背後から姿を現して軍勢は完全に逃げ場を失ってしまった。
一部の将兵が撤退を成功させる為にドラゴンへと突撃したが、結果はドラゴンの尻尾によって蟻塚のように吹き飛ばされるだけだった。
勝機はないと悟った軍勢が降伏すると暴君ミハイルは皇帝の膝元へと降り立ち、皇帝が差し出した右手の甲に忠誠の口づけを一つ落とした。
こうして皇帝は労せずして敵国であった西の国の大軍を捕虜にするだけでなくドラゴンの力でその王都を蹂躙してみせ戦争に勝利してみせたのだった。
「ミハイルよ、そなたの功労に報いる為に余の秘蔵にして宝の一つである姪を妻に迎えさせよう」
「私は隣国の追放貴族です、そのような褒賞を賜れば先達の方々の反感を招いてしまいましょう」
「むしろお前がドラゴンと蹂躙した西の首都を目の当たりにしてなんとしてもお前を傍に置くべきと進言したくらいだぞ」
「……しかし」
「……姪も訳あって二十になっても嫁げなかった身だ、その姪がお前の妻となり国に尽くせるのは幸せであると言ってくれたのだ」
皇帝は謁見の間にて臣下達の前で姪と共に幸せになるべきだとという言葉と共に頭を下げた。
初めて自分の幸せを願われたミハイルと自分でも不思議なほどに涙を流しながら婚礼を受け入れた。
それはやっとミハイルが自分で自分に枷をかけ続けていた他人の為にある自分という呪縛から抜け出せた事に対する喜びの涙だったのだ。
帝国の新たなる英雄の婚礼は盛大に帝都の広場にてドラゴンからばら撒かれる花吹雪は幻想的で、二人の誓いの口づけはドラゴンの手の上で民衆に見せつけるように行われた。
婚礼が終わりミハイルは妻となるアリーシャという女性と与えられた専用の屋敷にて家臣となる者達との挨拶も済ませ、初夜は時間を掛けて行うつもりであったがアリーシャ自ら赴いてきた。
初夜の為にと裸体を晒したミハイルの妻となったアリーシャの脇腹に酷い傷跡が残っていた。
かつて馬車の事故によって負った傷で、一命は取り留めたが医者からはこの傷が原因で子供を産めない可能性が高いと示唆されてしまった身であったのだ。
嫁いだとしても子を産めないかも知れない自分は愛されない未来しかないと覚悟していた彼女はそれでも自分にはまだ価値があると信じてミハイルとの婚礼を望んだ。
女性として美しい顔にも、豊満な乳房にも、皇帝の姪として恥ずかしくないようにと学びつづけた全てにまだ価値があると信じて皇帝に自らを差し出したのだ。
ミハイルは自らも婚約者に捨てられた過去を、両親からどのような教育を受けたか、二人の姉から興味を持たれなかった生活の日々を語った。
「アリーシャ様」
「妻となる私に様はいりません、アリーシャと」
「アリーシャ……私はもし子供が生まれても愛せるか不安なんだ、もし酷い教育をそう理解できずに施してしまったらと思うと」
「元々私も子供は望めないかもしれないと突きつけられた身です、これから抱くというのにそのような心配はしないでください」
ミハイルはアリーシャのそんな姿に依存した、年上で優秀であった妻の甲斐性にやっと甘えられる相手を見つけたというのも大きかった。
アリーシャはミハイルが苦手な事柄を良く支え、また実家から与えられた家臣達の統率もしっかりとこなしていく手際で夫を魅了した。
ドラゴンを従える将軍となったミハイルは家臣となる人達に女性の喜ばし方を積極に聞きにいって、悪ふざけのような事柄も真剣に信じて実行しようとした。
子供が出来た時に備えて子宝に恵まれている者や教育上手と謳われている者などにも貴賤を問わずに教えを求める姿勢に次第に人が集まるようになった。
そうして愛妻家として知られるようになったミハイルは結婚二年目にして息子を授かった。
四年目には双子の娘を授かった。
子宝の望めないと言われていたアリーシャは我が子を厳しくも慈しみ、実家の両親からもミハイルはいたく感謝され孫を可愛がってくれた。
愛する妻がいて、愛していける我が子がいて、支えてくれる人達のいる暖かな生活を知ったミハイルは人並みの幸せというものを理解できた。
そんな最中に母国が別のドラゴンに蹂躙され荒廃しているという情報が、次姉のミレーユからもたらされた。
ミレーユは弟の一件を知ると母国に未来はないと感じてそうそうに他国へと逃げ出したというのだ。
あれだけ欲しがっていた家督よりも荒廃する事が予想できた国からの脱出の方が大切と考えて国外逃亡を果たして商人として生計を建てそれなりに成功することが出来た。
そして商人として帝国に立ち寄った際にドラゴンと共に国内を巡回するミハイルの姿を見つけ、せめて一言謝る為に屋敷の門を叩いたというのだ。
無論ミハイルとしては屋敷に入れるつもりはなく、ただミレーユから何もしなかった事に対する謝罪を聞くだけのつもりであった。
「……こんな事を言えた義理じゃないとは知ってるわ、それでもミレイナがもし逃げてきたら助けてあげて欲しいの」
「何もしてくれなかった人にどうして?」
「私と違ってミレイナは逃げ出さなかった、荒廃するであろう国を貴族として支えるという覚悟を持って今もあの国に残って出来ることしてるの」
「それで?」
「もし私とは無理でもミレイナとは仲直りしてあげて欲しいの、あの人は……立派な人だから幸せになって欲しいの」
「……もし何か困ったことがあったら少しは力になります、こうして頭を下げて誰かの幸せを願って行動できる貴女は立派な人です」
ミレーユ姉様も幸せになるべきです。
その言葉は奥底にある二人を支えろという父親の呪縛であったが、同時に本心から言う事の出来た言葉だ。
ミハイルはミレーユの事を家臣に任せると妻と子供達に口づけを一つ落としてドラゴン共に急ぎ登城すると皇帝に事の次第を伝えた。
かつての母国がドラゴンによって荒廃し、また姉が一人でどうにか耐えている現状をなんとかする為に出陣の許可を求めたのだ。
皇帝も隣国からその国が王政の迷走で荒廃している所にドラゴンの大打撃を受けているという現状に、加えて難民が隣国との国境近くにたむろしている情報も掴んでいた。
もしこのまま難民問題が深刻化すれば隣国との関係が悪化するだけでなく、逃げ込んだ難民による治安悪化の懸念などもある状況であったからだ。
「ドラゴンを討ち果たしお前の母国の治安を回復させ、難民がこちらになだれ込むのは阻止したいが、勝てるのか?」
「高き城に住まう人間よ奴にはついては知っているがあれはまだ若い奴ぞ、我が負ける要因など万に一つもあり得んよ」
「隣国のかの貴族は私をこの国に導いてくれた大恩があります、これを機に返す事が私としても幸せになると考えております」
「ならば勝利と生還を持って報告せよ、妻となったアリーシャを勝利せど帰還せずに泣かせる事はあの子の幸せではないと心得よ」
ミハイルはドラゴンと先行して母国へと飛び立ち、皇帝は隣国への救援の名目で急ぎ将兵と救援物資の招集をかけるように指示を出した。
何日も掛けて飛び続け疲れることなく天空を駆け抜けるドラゴンの高さから見えた母国は、まさに荒廃の一言に尽きた。
無残な姿に変わり果てた街並みなどもそうだが、何よりも無数の難民たちのテントが作り出す光景がかつて栄えていた姿からかけ離れているが故に信じられずにいた。
ビッシリと並ぶ難民キャンプの中で見慣れた旗が掲げられ、炊き出し場所を守っている者達には見覚えがあったが下手に会いに行けば騒動になると思いミハイルはあえて無視した。
ただ少なくとも将兵や難民キャンプで無事にしているというのが判っただけでもミレーユからの頼みを果たせるという算段がついたのはミハイルにとっては嬉しい事であった。
そして辿り着いた王都はドラゴンの根城になっていた。
栄華を誇っていた城は大半がドラゴンの巨体に押し崩され瓦礫の山と化していた。
城下町は所々が炎のブレスによって焼き払われたからか黒ずんだ廃墟が広がっていた。
王都を守るべき防壁は外側からではなく内側から破壊された痕跡が残っていた。
その至る所にかつて人間であったであろう死体の数々が腐乱していた。
もはや人が住んでいて、栄華を誇っていたなど言われても信じられない状況だった。
数年前に西の国の王都を攻めた時もここまで手酷くはしなかっただけにドラゴンの攻撃の恐ろしさを目の当たりした瞬間だった。
「ここは俺様の根城だ、かび臭い爺は消えろ!」
「身体がデカいだけの若造が吠えたな、年季というモノを教えてくれようぞ!」
数日に渡るドラゴン同士の巨体の激突は荒廃した王都を更に破壊していった。
巨体が投げ飛ばされ叩きつけられのたうち回り、炎のブレスが激突し様々なモノが熱量によって燃え上がり溶けていった。
ミハイルは帝国が拵えてくれた武具を手に巨体に怯えることなく羽虫の如くいやらしく立ち回り攻撃を続けた。
そして拳で殴りつけられ、喉笛に鋭い牙を突き立てられ、頭蓋に槍を突き立てられて巨体のドラゴンは更に廃墟と化した王都に死体を横たわらせた。
ミハイルはもはや記憶の中にある輝いていた王都の面影の一つもない荒廃した荒れ地に対して何も思う事はなく、むしろ忌々しい記憶のある場所が焼け野原になったことに密かに微笑んだ。
しばらく休むとドラゴンも討ち取った敵にはもはや用などなく、討伐した証に首を千切り取ると腹を満たす為にミハイルと共に廃墟を離れ帝国の元へと飛び立った。
そうして移動中にドラゴンの食糧を運搬中の帝国軍と見慣れた旗を翻す僅かな兵の行軍を見つけて降り立った。
ドラゴンは早々に腹を満たす為に山のように積み込まれた食糧を運搬する部隊の傍に降り立つと早々に彼等に飯を要求し大量の家畜や野菜を腹に納めていった。
一方でミハイルは帝国軍の将軍への討伐した証として首を差し出し、将兵から竜殺しの英雄として賞賛の嵐を浴びた。
そしてそんな空気に水を差すように落ちぶれたヒルジャーが現れるだけならまだしもその言葉は周りを騒然とさせた。
「ミハイル!私の為に戻ってきてくれたのね!?」
「……私は帝国の将として出兵しただけの事です、ましてや女王陛下とは面識はないものと存じますが?」
「何言ってるの!貴方はミハイルは私の婚約者よ!あれだけ幼少の頃は愛し合っていたのにどうしてそんな酷い事を言うの!」
「申し訳ありませんが私には既に妻と三人の子宝に恵まれ、皇帝陛下からも覚えのめでたい将ではありますが他国の女王陛下との関係はないと断言させていただきます」
「どうして、どうして、どうして!私の幸せが貴方の幸せだと言ってくれて何度も助けてくれたのにどうして言う事を聞いてくれないの!?」
そんな錯乱に対してミハイルとヒルジャーの間に割って入る兵士が武装をチラつかせてもヒルジャーは引き下がるような素振りはない始末だ。
それどころか僅かな将兵しかいないうえに装備もボロボロな王国兵にとって周囲を固める帝国軍の整った姿はそれだけで恐怖だ。
なのにヒルジャーの振る舞いによる将軍であるミハイルへの暴挙は明らかに彼等の不信感を増大させていた。
「何が愛していただよ、ミハイル将軍が女王に捨てられたとか有名な話だろ?」
「やっぱり帝国でも広まってるのその話?」
「おい王国はそんな暴挙許したのか、ドラゴンを従えるミハイル将軍を追い出すとか正気じゃないぞ?」
「私達の国は女性優位なのに加えて世継ぎが女王陛下一人だったから何も言えなかったのよ」
「話じゃ別の男に現を抜かした挙句の果てに追い出したってのは本当なのか?」
周囲のヒソヒソ話はもはやヒソヒソと言える音量ではなくなっていた。
もしもの話だとしてもミハイルが王国に留まっていれば王配としてドラゴンを討ち取り国は荒廃していなかった筈だからだ。
帝国におけるミハイルが将軍として成し遂げた功績を語られるほどに、王国側の女王ヒルジャーへの不安と怒りの増大が声の大きさへと変わっていたのだ。
ドラゴンによって王国各地は食い荒らされ、王都のように荒廃して瓦礫の山になった場所は一つや二つの話ではなく難民問題も深刻化していた。
この場にいる王国兵ですらまともな食事にありつける余裕はなく、行軍中に見かねた帝国兵達が食事を一緒に食べようと誘う始末だった。
「お願いミハイル!今からでも王国にドラゴンと戻ってきて、私を幸せにして!」
「女王陛下には婚約者を追いやってまで手に入れたという平民の男性がいたと聞いておりますが」
「あんな自分勝手な男なんて知らないわ!ましてや力もない癖にドラゴンに戦いを挑んで負けて死ぬような男なんて知らないわ!」
それが決め手だった。
少なくとも本人がそう思っていなくともミハイルを意図せずに追いやった彼は王配として出来る事を精一杯していただけなのだ。
王配として暴走する女王ヒルジャーを懸命に宥め、ミハイルの代わりに王家の役に立とうと必死に貴族社会で努力した。
その結果が勝てる見込みの少ない、女王がまともに采配しない現状を変えようとする為に賛同する将兵を率いてのドラゴン討伐という行動だったのだ。
しかしヒルジャーはそうした努力を身勝手に切り捨てた、ヒルジャーの幸せの為に命を散らした人達を当の本人が踏みにじったのだ。
ミハイルは自分がそうされたように、ヒルジャーが他人を捨てた事によって内側に何年も貯め込んでいた怒りが爆発した。
「ふざけるな!どんな理由があっても彼は君の幸せの為に懸命に努力したのだろうが!それを当の君が否定するなんてどうかしていると何故判らない!?
君は自分の幸せの為に、そう言って私を捨てたんだ!君の幸せの為にと自分を押し殺して従順で居続けた僕を君はツマラナイと言って捨てたんだぞ!
胸が高鳴らないと言って振り返りもしなかった君の背中を見た僕の気持ちが君に判るか!?
自分勝手な男?少なくとも君よりはずっと身勝手ではなかっただろうな、ドラゴンに苦しむ人達を助ける為に勇敢に散ったのだからな!
じゃあ君は何をしていた、こうして僅かな将兵に、惨めな陣容の中に閉じこもっていただけじゃないか!
これが君の欲しかった幸せだ!僕を切り捨てでも手に入れた幸せだ!私を手に入れる事の出来なかった君の幸せだ!
たとえ誰が何と言おうとも君は幸せだと、貴女は幸せだと叫ばなねばならない、それが私の幸せなのだから!
瓦礫の山に口づけしろ!灰の山を喰らいつくせ!死体も残らなかった国民に愛を叫ぶのが君が手に入れた幸せだろうが!?」
私の幸せに入るなと腰の剣に手をかける姿がそこに、その明確な最初の拒絶を示したにヒルジャーはたじろいだ。
「女王陛下は錯乱しておられる、一部の兵はキャンプにお連れしろ」
「……ミレイナ姉様か、ご無事で何よりです」
「家督争いに夢中で何もしなかった私には貴方のようなお方に姉と呼ばれる資格はありません」
辛うじてまともな鎧を纏って現れたのは長姉ミレイナであった。
それでもろくな食事をとれていない為か身体は細く、髪も整っているとは言い難くミハイルの記憶にある美しい頃のものとはかけ離れていた。
だがそれでもミレイナと判ったのは家族として残っている血筋の繋がりであり、ミレーユに頼まれた事によって気に掛けるつもりがあったからだ。
「それでもミレーユ姉様から託されました、貴族として逃げなかったミレイナ姉様を助けて欲しいと」
「ミレーユがそんな事を頼むなんて案外元気にやってるのね、安心したわ」
「もし何かあれば帝国を頼ってください、いつかミレーユ姉様と三人で集まって家族らしい話をしましょう」
「……そうね、この国の貴族として恥ずかしくない務めを果たしたらお世話になるかも知れないわね」
ミハイルは後を別の将軍に託し、帝国への報告の為にドラゴンと共に再び飛び立つ。
遠のいていく地面ではヒルジャーが何かを叫んでいるがミハイルは無視する。
あの日の自分のようにミハイルはヒルジャーを振り返る事もなく捨てていく。
愛する妻と子供達の待つ我が家へと向かって飛んでいく。
それは「だった」ばかりの人生との決別がようやく叶った瞬間である。
いらない過去の女との別れと共にミハイルの人生はやっと始まる事が出来るのだから。
この事件の後に女王ヒルジャーは難民キャンプにて横暴な振る舞いを続け、ミハイルにしつこく自分のモノになる様という手紙を絶やさなかった為に皇帝から事故に見せかけて消される最後を迎える。
その死体は恨みを持つ難民キャンプの人々によって見るも無残な姿へと変貌し、眼の上のタンコブが消えたミレイナはミハイルを通して帝国に正式に救援を求め帝国もこれに答える。
ミレイナは旧王国領の一部にて人々を導く事を選び、ミレーユは商人として必要な物資を格安で提供し、ミハイルは定期的にドラゴンと共に会いに来ては少しずつ家族らしい繋がりを作る日々を選ぶ。
帝国はミハイル存命の間に周辺諸国をその軍事力で次々と併呑し巨大な帝国へと成長。
千年帝国の始祖の一角として永遠にその名誉を残し続ける。
その名誉の為に愚王ヒルジャーの名もまた永遠に残り続けるのだった。
こうして皆が幸せになりました。