協同組合 神々の庭
むかしむかし、違う世界から呼ばれた勇者は、滅びかけていたこの世界を救いましたとさ。
めでたし、めでたし。
――そして、世界を救った勇者は、神々に剣を向けたのでした。
◆◆◆
会議資料に記載された売上表に、エリザヴェータはにんまりと笑った。
今月もまた、彼女が率いる部門の売上は上々である。
規模こそ、『協同組合 神々の庭』の中では小さい方だが、利益率はぶっちぎりなのだ。
昔々世界を救った勇者のせいで、エリザヴェータを含めた聖娼は、すっかり肩身が狭くなったが、売上は裏切らない。
神楽部門がグダグダ言っているが、民間アイドルと売りが被った挙句に、神官見習いを引き抜かれたのは、部門長の怠慢だろう。
――まあ、見習い神官の引き抜きは、どこの部門でもゆゆしき問題であるのだが。
虚空に浮かぶ映写幕の向こうで、警備部門のベルナルディタの幻影が、繊手を上げて発言権を得る。
千里眼の権能を司る大神官は、修行の一環で常に目隠しをしているため、それなりに付き合いの長いエリザヴェータも、彼女の素顔を知らない。
「先日任官した見習いから、処遇改善の依頼がありました。
修行内容の変更は不可能ですから、依頼を退けましたが、……また、交流掲示板に何か書かれるかもしれません」
仮想幻影で繋がる議場に、特大の溜息がいくつも重なる。
見習い神官の待遇問題もまた、引き抜きと同じく、どの部門でも頭の痛い問題だ。
昔々、神々でも対処できない危機が、世界を襲った。
世界の暴走ともいうべきそれは、別の世界から招かれた勇者によって、打ち払われた、――のは、良かったが。
その後、勇者は神々へと剣を向けた。
神々なき世界で生まれ育った勇者には、神々を奉じる必要性も、神殺しへの忌避もなかったのだ。
そうして、神々は辛うじて存在を許されたものの、勇者に名をはぎ取られ、大きく力を損ねられてしまった。
また、そうなってしまえば、神々を奉る神殿や、そこで仕える神官の地位もガタ落ちだ。
へそを曲げ、加護を放棄したとある一柱の消滅後、神々も神官たちもそれはそれは焦ったそうな。
むしろ、世界の危機以上の大荒れだったという。
神々は、消滅なんかしたくない。
神官は、奉じる神がいなくなったら、単なる世間知らずのカモ。
ついでに、勇者は知らなかったが、世界を支える神々が消滅すれば、即ち世界の崩壊だ。
目指せみんなの存続を合言葉に、神々及び各神殿によって結成されたのが、『協同組合 神々の庭』。
商売の神殿が企画し、智慧の神殿が経理を担当、その他の神殿は部門として事業を回しながら、神の権威が地に落ちた世界で何とかやっている。
なお、邪神に分類される連中は、犯罪組織として地下に潜ったため、風評被害を食らう組合にとっては、不俱戴天の敵だ。
――で、神の加護も奇跡も未だ存在しながら、見習い神官の待遇問題に悩まなければいけない元凶も、やっぱり勇者であった。
人類平等、愛と平和は尊いもの、だから、人の権利は守りましょう。
勇者が率先して広めた思想は、確かに素晴らしい。
……素晴らしい、が、神々の秩序とは、激しくそぐわないのは事実である。
そも、神々は気紛れで、慈悲深くも残酷だ。
人の子に加護を与えども、その破滅を留めることはなく、奇跡を起こせども、その代償を容赦なく取り立てる。
神官に制約が課され、神官の昇進に過酷な修行が必須になるのは、神の力がただの人間の手に余るせいでもあるのだが。
……残念ながら、もう、神が理由になる世の中ではないのである。
『協同組合 神々の庭』が、ブラック企業ランキングの常連扱いなのは、神官さえ目を逸らせない真実だった。
だからといって、見習い神官の待遇改善――修行内容を変更すれば、死人や詐欺師が大量発生しかねないあたりが詰んでいる。
うかつに神託なんかすれば、民間企業に引き抜かれるのも世知辛い。
――神々が力を合わせても、勇者が広げた資本主義には打ち勝てなかった。
……勇者は世界を救ったが、勇者から故郷を奪ったのはこの世界だが。
勇者シネ、と。
神官たちの愚痴の鉄板ネタがそうなったのにも、故なくはないのだ。
***
顔を焼かれた痛みと熱は、今も時折彼女の肌を撫でる。
「リーリャ、飲み過ぎです」
「ベルナ、神酒は身体に良いの」
酒盛りしつつ、公開日記を端末でポチポチと打ち込んでいたエリザヴェータは、同僚の苦言に生返事を返す。
エリザヴェータが空にした酒瓶は、とうに十本を越えている。
合同神殿に奉納された酒神印のワインでなければ、本来あまり酒に強くない彼女は倒れている量だ。
「……リーリャ、トゥオン神官が、大神官に叙されるそうですよ」
「私は、今更【イワナガヒメ】を降りる気はないわ、ベルナ」
気遣うように、癒し手の名を出した同僚に、エリザヴェータは鋭い眼差しを向ける。
じりり、と、エリザヴェータの顔の右半分を覆う火傷痕が、忘れるなと啼いた。
エリザヴェータは、生来の美貌に、胡坐をかき過ぎていたのだろう。
中流家庭に生まれたエリザヴェータは、いつでもどこでも容姿を褒め称えられ、恐ろしく高慢に育った。
それしかなかったと気づけないまま、誰に対しても傲慢に振る舞い続けたエリザヴェータは、貢がせた男に呪毒混じりの強酸を浴びせられ、自らの行為の報いを受けた。
当然のように、美貌を失ったエリザヴェータからは、あっという間に人が離れていった。
また、愛し合っていたはずの恋人と、友人だと思っていた娘が裏で糸を引いていたと知り、誰も信じられなくなったエリザヴェータはすぐ近くにあった神殿に逃げのだ。
そして、自分を受け入れてくれた神殿に居続けるために、エリザヴェータは、聖娼になることを選んだ。
その選択を、彼女が後悔したことはない。
身を預けるソファーは、柔らかくもしっかりとエリザヴェータを受け入れ、ワインを注ぐのは、細工の神官謹製のクリスタルガラス。
広々とした部屋に溢れる最高級品の数々は、エリザヴェータの聖娼としての格を示す。
【イワナガヒメ】は、勇者の故郷の一柱だ。
醜女であるが、夫に長寿と繁栄をもたらす女神。
――勇者による神名剝奪と異世界文化汚染からの、神々の神性汚染は深刻で、異界の神の権能が聖娼の役割に付加されてしまっている。
聖娼が行う諸々の昇華や癒しに加え、一夜の相手の寿命を延ばし、成功を約束する【イワナガヒメ】は、だが、醜女にしかなれない。
頼みにしていた容姿が損なわれたのに、美貌自慢の夜の蝶の誰より、【イワナガヒメ】であるエリザヴェータの値が張るのは、ひどい皮肉だ。
高位の癒し手に傷跡を消してもらわない限り、エリザヴェータを、火傷の後遺症が蝕み続けると分かっていても、【イワナガヒメ】の地位は手放せない。
たった一晩で豪邸を建てられる金額を動かす聖娼の下には、得難い伝手も情報も集まってくる。
神々を見捨てた世界で、それでも神に救われたエリザヴェータは、自分が見つけた居場所を守りたかった。
万物を見通す権能と引き換えに、自らの瞳で誰かを見つめる権利を神に捧げた大神官は、困ったように頬に片手を添える。
「リーリャ、話は変わりますが、――公開日記で仕返しをするのは、どうかと思います」
「ベルナ、私は聖娼の偏見を取り除こうとしているだけよ」
エリザヴェータは、苦労話の中に元恋人と元友人の所業を曝しているだけだ。
彼らが公開掲示板で叩かれまくっているとか、彼らの職場の上客がエリザヴェータの常連だとか、そんなの知ったことではないのだ。
Copyright © 2020 詞乃端 All Rights Reserved.