夫婦になった:次男
話は予定通りに進み、婚約の後は話もしないまま結婚となった。
書類が用意され、俺の部屋のテーブルに並べられる。
相手の欄が全て代筆になっているのに後ろ暗いところを感じない事もない。筆跡が見慣れた母のものだったのにも目をつぶろう。
「ねえ、式はどうする?」
どことなくうきうきとした表情で母が聞く。
そんなの、挙げる訳、ないだろうに。
「挙げませんよ。いらないでしょう。」
「…ほんとうに?」
「兄貴の時に挙げたじゃないですか。」
そう、式なら何年か前に結婚した兄貴が跡継ぎにふさわしく盛大にやっている。
兄貴は幼馴染みの同じ身分の、もはや家族ぐるみの付き合いの相手と恋愛結婚をしていた。今でも二人の中は冷めないらしく、会うとバカップルぶりを存分に披露されるので、二人セットの時に会いたくないと常に思っている。
そもそもあの二人はお互いの同意の上だったし、身分も同じ身分だし、皆に祝福された末の大団円だったので結婚式を挙げるのに何の問題もなかったと言える。
逆に今回の場合、相手の身分は下だしこの書類から見てもおそらく十割同意とは言い難いだろうし、何より第二夫人として迎えると言っているのだ。
正妻より先に、結婚式なんか挙げる訳もないだろう。
自分にはあの子が、いるのだし。
これまで無言で流れを見守っていた親父が組んでいた腕を解く。
「まあまあお前、こいつが挙げないと言うんだ、それもいいだろう。このくらいは妥協してやらんとな。」
「それは、そうですけれど。」
母はまだ何か言いたげな顔をして胸の前で手を組んでいる。
「あと挙げないというんなら、自分で彼女に伝えにいきなさい。」
「は?」
「嫌なら式を挙げるか?」
「いや、なんでまた?」
「誠意を見せてやれ。…いつまでかわからんが、妻になってくれるのだから。」
そう言って、親父は母の肩を抱いた。
ぽかんと口を開けると、その隙に書類は奪われ、声をかける暇もなく両親は出て行った。
後には間抜けな顔をしている自分一人。
「……っはぁぁ………。」
深いため息が出た。
ガシガシと頭を掻きむしる。
本当にあの親父は何を言い出すかと思えば。
そりゃあ、そうだよな。
望んでないとはいえ、そして正妻もいないのに第二夫人になってもらうんだ。機嫌を損ねて帰るだの記者に根も葉もない事をタレ込むなどごねられては困る。
そんなことわかってるのになあ。
どうにもやる気にならない。
それは俺に想う人がいるからだろうか、それとも、彼女が俺を、ちっとも見もしないからだろうか。
俺が産まれる前から親父に仕えている執事を見つけて、彼女がどこにいるのか聞いた。この人は何故か屋敷中のあらゆる事を知っているのできっと今回もわかるだろう。
「お嬢様なら、昼は図書室へ行かれている様です。部屋と図書室の往復だけしかしていないようなので、廊下にいれば居合わせますよ。」
俺の事情を知っているのか知らないのか食えない笑い顔が小憎たらしくて眉根を寄せた。
一応の礼を言えばふと真面目な顔になって、あなたはあの娘をどうなさるおつもりですか?と言う。
「どうする気もない。」
「そうで、いらっしゃいますか。」
何か言いたげな表情のまま、執事は一礼して去っていった。
何日か様子を見て、彼女が廊下を通るタイミングを計り、鉢合わせる。
彼女は会食以降顔も見せていない婚約者の突然の登場に面食らった様子で瞬きをした。
「結婚が決まった。」
「さようでございますか。」
胸元に伸ばされた手が落ち着きなく動いているのを見るとも無しに目を向ける。
「結婚式はしない。」
そう告げると、何を考えているかわからない表情でこちらを見ているのに見ていないまま、彼女は頷いた。
「かしこまりました。」
そうして、俺たちは夫婦になった。
愛も建前も何もあったもんじゃない。
これは職務の一環のようなものだ。貴族という職務の。
彼女は、何を考えているのだろうか。
ダークブラウンの瞳が何を思っているのか俺が知る術はないのだ。
俺のためにと用意されていた(と言われはしたが本宅と別の第二邸を下げ渡されただけだ)屋敷に彼女は移った。一応俺の荷物も、大体はそちらへ移動されている。
俺はと言えばそこに帰るつもりもなく、もっぱら職場や偶に宿に泊まるという生活を続けていた。
時々本宅の自分の部屋に帰り、会わないように気をつけているのだが同じ屋敷内の事、親父や兄貴と鉢合わせしてしまう。
その度に何か言いたげな顔をされるので、いい加減うんざりしていた。
そんな中で親父から渡されたのは、懇意にしている貴族主催のパーティーの招待状だった。
「すまんが私達はいけないのでな。代理で行ってきてくれ。」
「兄貴がいるじゃありませんか。」
「その日は王子と先約があってな。」
どうせ後から無理矢理予定を入れたに違いなかった。兄貴が実はパーティー嫌いな事は家族や執事までなら皆知っている。出なくてもいいパーティーは、親しい間柄の王子に頼み込んでどうにか予定を組んでもらっている事も周知の事実だった。
だからパーティーの先約が王子だと言う言い訳は、このパーティーは兄貴の仕事には関係無いから弟に押し付けた、とでもいう所だろう。
どうせまた逃げ出したんでしょう、とため息を吐きながら言うと、親父はニヤニヤと笑いながら髭を撫でた。
本当に、意地の悪い年長者達だ。俺に押し付ければいいと思って。
「じゃ、頼んだぞ。」
ポンと肩を叩かれて去っていく親父を横目に招待状に目を通すと、夫婦同伴と書かれているのが目に入って、思わずその背中に声をかける。
「おい、これ!」
こちらを振り返りもせずに高笑いしながら階段を上るクソ親父は、ひらりと手を振った。