はなはかおらず
どうしてだろう。
毎日私の頭の中に疑問符が沸いて踊る。
一体なんでこんなことに?と。
それも今日が一番の謎なのだった。
「何か問題があったのか?」
「!いえ、すぐに出ます。」
なんで私、次男と王都に出かけることになってるんだろう。
きっかけがなんだったのかは私にはもうわからない。
だけど確かに、おかしいなと思ったのは、昨日呼ばれて「明日出かけるから準備をしておけ、朝10時には出る」と告げられたのでお洋服はどれになさいますか?と聞くより随分と前からだった。ちなみにその質問には、とても不思議そう(無表情だけれどそんな空気だったように思う)に「女性の洋服はわからないが、好きな物を着てくれば良い」と返された。そこでようやく、あ、私も同行するんだと初めて気付いたのだが。
そもそもおかしいのが、私が失態を犯したあの日の一週間後くらいから、彼がこの屋敷に帰ってくるようになったことだった。それも、毎日。
あの後散々絶望した私としてはその顔を見るのも辛いのだけれど、そして混乱すること極まりないのだけれど、帰ってくるものをどうすることも出来ないしなによりもここはこの方の持ち物なのだからしょうがない。
それよりもこの屋敷には使用人がいないから、この方が帰ってきたら私が全て手伝いをしなければならなくて、それはすなわち毎日顔を合わせるということで。
失恋して、元々ない愛想すらつかされたはずの私の胸はいつもいつも痛かった。
でもよくわからないことが続いて、痛い胸はどう痛がれば良いのかわからなくなったのだ。
始まりはあの紙袋だった。
いつも通り朝早くに屋敷を出て行った彼は、日が沈んで夜が更けてから帰ってくる。
その日は見慣れない深い紅色の紙袋を手に携えていた。
いつかの再来のように彼はそれを私に持たせる。
そしてそのまま背を向けてスタスタと歩き去ってしまう。
「あの、これはどうすれば…?」
緊張で、か細く震えるような声だったと思う。
その声が聞こえて立ち止まった彼は背中を向けたまま低い声で言った。
「好きなようにすればいい。」
そう言ったきり背中は遠くなる。
紙袋を持って、私は呆然と玄関に立ち尽くした。
その後よろよろと部屋に戻って、訳が分からなさすぎて泣いた。
ひとしきり泣いた後に ぐすぐすと鼻を啜りながらその紙袋を開けば中には焼き菓子が入っていた。泣いた後特有のぼやけた視界に映るのはピカピカと光る綺麗な焼き菓子の顔だけだった。
どうして突然こんなことをするのか、あの人が何を考えているのかちっともわからなくて、この行為に何の意味もないとわかっているのに嬉しいような苦しいような葛藤を抱く自分がいることがすごく汚いような気がして。吐きそうなくらい気持ち悪いような、それが泣いたからなのか自分が嫌だからなのかちっともわからない。
その夜は泣きながら寝た。
その次の日、その焼き菓子は私のおやつになった。
とても美味しいお菓子だった。私一人が食べてしまっていいのかわからないくらい、上等なものだった。
誰にも淹れないお茶とそのお菓子は釣り合っているのかわからなかったけど。
それはその一回だけではなかった。
それから何日か置きの頻度でそうして渡される紙袋には甘いお菓子が入っていた。
様々なお店の、様々な種類の、様々なお菓子。
最初の頃はいつも動揺して部屋で泣いていたけれど、何度目かの内には慣れた。
それで、これは誰かからの贈り物だけれど彼はいらないから私に下げ渡して、私がもう屋敷の外に出たりしないようにご機嫌を取っているのだと結論づけるくらいの余裕もできた。
そうとわかればなんとか気持ちを切り替えることも出来そうだった。
その次は、リボンのかかった布袋を渡された。
これまでの紙袋と違うパターンに内心動揺しながらも受け取る。
一応確認したが、これも私の好きにすればよいらしい。
「…かわ、いい。」
ぽつりと口からそんな言葉がこぼれ落ちて、慌てて口を押さえる。
いやここは私の部屋なのだから、誰に聞かれるわけでもないのだけれど。
焼き菓子の次に渡されたのは、可愛らしい小さなこげ茶色のテディベアだった。
部屋にあるチェストの上に丁度おけそうなサイズで、小さな可愛いお顔にあるつぶらな黒い瞳が私を見上げ、その首元には赤い蝶ネクタイが付いている。
これが包まれた袋を彼が小脇に抱えて持って帰ってきたのを考えると、微笑ましいような何が目的かわからなくて怖いような。
それにしても、どうしてこんなものを?
「でも、かわいい。」
ぎゅっと一度抱きしめて、チェストの上に飾る。
この部屋に、なんだか人の温度が出たような気がした。
その次は花だった。
華やかな色を抱えて帰ってきた時は何事かと思った。
そんなイメージがなかったとはいえ、整った顔の次男が花を持つと絵になるものだ。
思わずぽかんと見つめてしまったが、一瞬で我に返る。
花束を受け取るために腕を伸ばした。
「…生けて、おいてくれ。」
「かしこまりました。」
何種類かの花が寄り集まって作られた花束は抱えると良い香りが漂う。思わず目を閉じて香りを感じた。
細い花束はバランス良く整えられ、美しく咲き誇っている。
彼は私に花束を預けてそれだけ言うと、それきり興味無さげにスタスタと歩き去る。
今回は生けておくようにと指示があったので、そのようにすれば良いのだろう。
彼が見えるように、玄関から入ってすぐのロビーに飾っておいた。
使っていない花瓶を何個か見つけたので、どれに合うのかを考えるのも少し楽しかった。
彼が花を持って帰ってくるのは、屋敷内の全ての部屋を埋め尽くしそうな数続いた。
が、困ったことに数回で花瓶が足りなくなってしまって、最初の花から順番に変えたりもしたのだけれど、それも間に合わないくらいだった。
ある日、また帰ってきた彼に花を渡されて、恐る恐る口に出す。
「あの、すみません…その、もう、花瓶が、足りなくて…。」
小さな声でもきちんと聞こえたのか、彼は手を止めて私を見下ろしている。
「……そうか。」
しばらくの沈黙の後に彼はそれだけ言って、花を渡したまま背を向けてしまう。
「それは好きにしろ。」
彼が背を向けたのを良いことに、私はその香りに目を閉じる。
深く息を吸うと鼻腔の奥に良い香りがいっぱいに広がった。
美しい花畑にいるような気分になる。
「かしこまりました。」
衣擦れの音とともに彼が歩いていく靴音が遠ざかる。
この花束はどうしよう。
こんなに美しいものだから、私の部屋に置いてしまおうか。それとも、ドライフラワーにでもしてしまおうか。
あのテディベアの横に飾ったら、例え少しの間だけでも素敵な光景になるかしら。
いや、私の部屋に置くのなら、花瓶に入れなくても良いのではないだろうか。
そうしたら短く切ってしまって、深いサラダボウルに浮かべたり大きなカップに差しても可愛いような気がする。
彼が何を思って私に渡しているのか、なんて、もう何とも思っていないのがわかっているので大丈夫なのだった。胸が痛んでいるのもいつものことだ。
それよりも、こんなに美しく咲く花を自分の部屋に飾れることに心が躍った。
これがもし、彼が私に贈ってくれるものだったならなんて、馬鹿な考えはそれ以上考えないようにすぐに捨てた。
その日からしばらくの間を挟んで、彼は一抱えある袋を小脇に抱えて帰ってきた。
大きさは私の半分はありそうな、大きなものだった。
嫌な予感がしながらもそれを受け取る。
「いらなければ処分すれば良い。」
低い声が、袋を抱きかかえてその大きさにもたついている私に言う。
私に袋を渡したせいで彼は自分でコートを脱いでハンガーにセットし壁に掛けている。
「あの、」
「早く持って行け。」
「あ…は、い…。」
声が、冷たくなった。
そりゃそうか、自分で全部やらせてしまっているし。何か気の効いた会話をするような関係でもないし。この袋は、邪魔だから渡しているのだろうし。
わかっていても、ため息を吐いてしまいたいくらいに気持ちが落ち込む。
こんな簡単なこともできない女なんて、見たくもないだろうから。
大きな袋を抱えてとぼとぼと自分の部屋に入る。
ここに来てから、私、涙もろくなった。
鼻を啜り自嘲しながら袋を開ける。
現れたのは、この前よりもずっと大きなテディベアだった。
ブロンドとグレーの中間のような少しくすんだ色の毛皮を持つ、ふわふわと毛足の長いその子は大きな頭を私に向けて、そのつぶらな瞳はじっとこちらを見つめている。その顔はわたしの頭よりもずっと大きく、体は手足の端を合わせれば私の上半身よりも大きかった。小さい子と同じように首元には蝶ネクタイが付いている。その色は深い青だった。
「……可愛い。」
最早泣き笑いのような声だった。
目の前に可愛いものがあって、でも辛いくらいに胸が痛い。
ぎゅう、と抱きつけば、とてもふわふわしていて触り心地も良い。これが処分に困るものなのはわかる。彼はこういうものが好きそうなタイプではないし、贈り物がこれではむやみに捨てることもできないだろう。
誰に貰ったものが私の所に来ているのか、ちっともわからないけれど。
彼が好きなようにして良いと言ったのだから、この子に慰めてもらっても少しは許されるだろう。
胸が痛くて、何が何だかわからなくて、例え誰かの贈り物がこんな風に私に下げ渡されているぞんざいな機嫌取りだとしたって、こんなもので少しだけでも幸せになる自分が簡単で嫌でたまらなくて、その日は泣きながら大きなテディベアと一緒に眠った。
少しは、心が凪いだ。
それにしても、こんなにも彼に贈り物をするのはどんな人なのだろう。
今までもこんな風に贈り物をされていたのだろうか。
こんな風に続けて持って帰ってきている贈り物には、全てメッセージカードの類いは入っていない。本当に最初に処分を頼まれたあの女性からの贈り物だけだった。
彼はいらない贈り物でも、私の機嫌取りという使い道を見つけたに違いない。
不用意に外に出さないように、変わったものを与えておけばいいと思われているのだろう。
一体どんな人がくれたものなんだろう。
彼はその人のことをどう思っているのだろう。
いや、私に全て下げ渡しているのだから、もしかしたら好きな訳ではないのだろう。
嫌いな人なのかもしれない。
そこまで考えて、ぼふっとテディベアに顔を埋めた。
考えたって仕方がないのだ。おこぼれを預かって、それで少しでも癒されているのだから、何も悪いことだけじゃない。
部屋の中には花の良い香りが漂っている。
この部屋も、随分と人の部屋らしくなった。
そんなことを思いながら眠りについた。
それからしばらくして、今回のお出かけ騒動なのである。