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おもいかなわず  作者: にっちも
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冷たい部屋








低い声に、私の何かがプツリと切れた。



私の頬を伝うそれを、初め理解が出来なかった。


腕を引く手の力は相変わらず強く、長い足が使えるままに進んでいく次男の歩みは速くてついていくに駆け足だったがそれすら縺れ始める。


苛立ったように振り返る次男の顔が初めて見る表情をしたから、ああ、この人はそんな顔をする事も出来たんだ、とどこか他人事で思った。


「…どう、して…」


初めて聞いた驚いた声に、私の心はどこか笑った。


そしてそのまま、見つめ合う。

私は彼の垂れた眦を見上げた。


美しい造形だった。

誰もが尊ぶような、そんな人だと思った。


焦がれた姿が水に歪んで、熱を持ったまま頬を滑り落ちる。

この人を知りたかった。

この人の事を、もっと、たくさん、知りたかった。


「ごめんなさい…」


あなたに迷惑をかける名目上妻は、もう、いらないでしょう。


疲れたよ。

もう解放して欲しかった。この厄介な気持ちから、この厄介な欲望から。

お願い、許して。

神様、どうか、私に試練を与えないでください。


どれだけ祈ったって、救いが与えられないのなら。



「どうすればいいのか、わからないの。」



この人に、こんな言葉遣いは許されないって知っている。


でもこれが最後なら、どうせ咎めを受けるのなら。どうせ、これから先、あなたには私を見てもらえないのなら。名目上妻は屋敷に存在すればそれでいいのだから。


本当にあなたが愛する人が来るまで。

あなたが愛する人が見つかる、その日まで。


それよりも、もう、私はお払い箱なのかもしれない。

きっともうこの人と会うこともないのかもしれない。

だってこんなことをしでかしたのだから。

こんな風に書類だけの女が迷惑を掛けたのだから。

代わりなんて何人でも容易く見つけられるだろうから。


「お願いだから、どうか、許して。」


この人に、こんな事を言うのはお門違いだってわかっている。


でもこれが最後なのだから。どうせこの先にある部屋に入ったら、この人とはついに会えなくなるかもしれないんだから。

我が儘な女が、私の中で叫ぶ。どうせ見てもらえないのだから、最後にこの人に傲慢を叫んだって良いでしょうって。

どうせこの人は覚えてなんていない。どうせ直ぐに忘れてしまう。


親に強要されて迎え入れたどうでもいい女の事なんて、いなくなれば記憶の片隅にも残らない。



代わりにもならない人間は、早く解放して。



あなたが好きだった。

あなたが、好きだった。



身代わりにもなれないなら、傍に置かないで。



わたしをみて。

私の中のどうしようもない女の部分が吠えるように号哭しているのが胸の震えでわかってしまった。



「もう、苦しいの。」



私なんて歯牙にもかけないその目を、私は、どうしようもなく、愛して、しまった。


口から嗚咽が漏れる。離された手で痛む胸を押さえた。

涙を堪えようとする気も起きなかった。もう疲れ果ててしまった。

力無く瞬くと、熱い雫はすぐに熱を失い、床に落ちていく。


「ごめん、なさい。」



彼は、何も言わずに私の手を掴み直して引いた。

もう一歩も進まないつもりだった足は、力なく、それでも引かれる方向に進んでいく。




これで、もうおしまい。

身分の違う人に懲りずに焦がれる醜い私の恋は、もう終わりなの。







なんの言葉もなく、なんの感慨もなく、彼は私にあてがわれた部屋の大きな扉を開けた。

掴まれた手を引かれて、部屋の中に放たれる。


ふらふらと、後ろを振り返る勇気もないまま足が運ぶまま窓際へと進んだ。


天井まで伸びる分厚いガラスの向こう側には、美しい庭が広がっている。


私には関係のない箱庭だった。

最初は乗り気ですらなかったのに、自分が全ての蚊帳の外なのがこんなにも苦しく思うなんて思ってもみなかった。


嗚咽が漏れるまま、私は膝をついた。


誰にも何にも祈る気にもなれなかった。

ただただ、悲しかった。

胸が、痛くて。


涙が止まらなくて。

止まらなくて、痛くて、どうしようもなくて、それでも頭の中に浮かんでくるのは、彼の淡いグレーの髪の毛だった。


いつも後ろから見ていたその色だけが思い出されて、余計に苦しかった。





いつまでもいつまでも苦しくて、蹲ったまま泣いていた。


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