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初恋は、男の一生を左右する。1

 相沢静は三十五歳になる女性で、十三年前に相沢修一と婚約し、今や二児の母である女性だ。


僅かに癖のある茶髪のロングヘアと、凹凸の少ない体つき。若かりし頃はファッションに気を使っていたが、母となってからは家の中でシャツと短パン以外を履かなくなった彼女は、コードレス掃除機を片手に、長男である相沢武の部屋を開け放った。


漫画雑誌とプラモデルで溢れかえった子供らしい部屋を見据えて、静は大きく口を開けて、部屋の中でボーっとしている息子へと叫んだ。


「武! 部屋の掃除しなさいって言ってんでしょ!?」


「あ……ああ。ワリィ、母ちゃん」


「? どしたの。元気ないね?」


「……なんでもない」


 相沢武は、静の息子である。


 今年の九月に十三歳となる我が子は、普段勉強机の前に座っている光景すら珍しかったが、今はその椅子に座り込んで、時々胸元に手をやって、深く溜息をついている。


「学校で嫌な事でもあったの?」


「嫌な事はねぇよ。――なぁ、母ちゃん」


「何さ」


「……抱き付いて、いい?」


 ハァ!? と驚きの声を叫びながらも、静は我が子を凝視した。


嫌な事は無いと言いながらも、普段は人肌を恋しがるようなセンチメンタルな子供では無いので、やはり傷心的な何かがあったのか――と、少し心配までしていた。


「……いいよ。全く、男の子は何時まで経ってもガキなんだからねぇ」


 溜息をつきながら軽口を叩き、しかしながらどこか嬉しくも感じていた。思春期の我が子にとって、まだまだ母として頼られている事が嬉しく感じたのだろう。


静は少しだけ恥ずかし気に、しかし掃除機を部屋の隅に置いて、その両腕を広げた。


億劫そうに抱き付いてきた我が子の身体を、ギュッと抱きしめる。いつの間にか母の身長に近付いていた子供の成長を嬉しく感じながら頭を撫でた



 ――その時だった。



「母ちゃん」


「なに」


「……やっぱ小っせぇな、胸」


 静の動きは速かった。


すぐさま武の身体を引き剥がすと同時に腰へ右腕の拳を構え、息子の腹部に拳を叩き込んだのだ。


**


家の中ではシャツと短パンを着込むだけの静ではあるが、流石に外出の時にそんな恰好ではいられない。


近所のスーパーへ行くだけではあるが、少しばかり化粧を施して、大人びたワンピースを着込んだ後に家を出て、夕飯の献立を考えつつ苛立ちを胸にジャガイモを選んでいた。


「おや、武くんのお母様ではありませんか」


 少しだけ聞いた覚えのある声に、静はふと振り返る。そこには端麗な顔立ちをした綺麗なロングヘアーの黒髪をなびかせた、ビジネススーツの女性がいた。


その手には静と同じく買い物かごを持っており、惣菜や冷凍食品を多く入れ込んでいた。


「あら、先生。お買い物ですか?」


 息子である武の担任教師、杉崎有果がペコリと頷きながら笑顔を向けて、静と同じくジャガイモを一つ手に取った。


「ええ。最近はコンビニ弁当ばかりでしたので、少しは自炊をしようかと」


「カゴの中身が冷凍食品まみれでは説得力ありませんよ?」


「はは、これはお恥ずかしい」


 苦笑と共に、有果は静の胸元をジーッと凝視している。


「? 何か?」


「いいえ、何でもありません。それより武くんは、ご自宅では如何ですかな」


「あの子は相変わらず勉強もせずに、毎日毎日漫画ばっかりですよ」


「子供の時間は短いものです。あまり多くは言わずに、元気にやらせてあげて下さい」


「学校ではどうです? 他の子にご迷惑をおかけしておりませんか?」


「良い子ですよ。最近はクラスメイトが、彼に勉強を教えてくれと頼む程です」


「あら、家ではそんなそぶりは見せませんよ。最近は少し帰りが遅くて。何度も何度も、早く帰って勉強しなさいって言っているのですけど」


「申し訳ありません。学校がある日の帰宅が遅いのは、私の責任です。クラスメイトの居残り授業に、彼も率先して残っているのです。お母様には武くんから説明をしているものと、報告を怠った私のミスです」


「あの子が!? 他の子の居残り授業に、率先して残っている!?」


 思わず、大声で驚いてしまう。周りの買い物客が静を凝視しているので、恥ずかし気に俯きつつ、しかし視線は有果から外しはしない。


「ほ、本当なんですか?」


「ええ。全く彼は、今まで私が受け持った生徒の中でも、偉い子だ」


 自慢の生徒です、と微笑んだ有果の表情に、嘘を付いている様子は見受けられない。


 それどころかもっと褒めたくて仕方がないと言わんばかりに表情を綻ばしている姿が、静には驚きを通り越し、驚愕にしか思えなかった。


「誇ってくださいな。彼は優しくて、頼もしいお子さんです」


 何だか気恥ずかしさがあって、静も久しぶりに表情が緩んできた。


母親をやってきてよかった、あの子を産めて誇らしいという気持ちが胸の中で渦巻いて、涙すら流してしまいそうな感覚を、何とか抑えていた。


「あ、そうだ。先生、少しだけご相談、よろしいでしょうか?」


「ええ、構いませんよ。ですがここでは場所が悪いので――少し、休める場所へ向かいましょうか」


 有果は静へ背を向けて「近くに良いカフェがあるのです」と微笑んだ。そこへ場所を移そうと言う気心に感謝しつつ、二人はまず買い物かごにある品の会計へと向かっていった。

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