ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋だよ。3
源由美奈は、一人で教室の机にうつ伏せ、思考する。
現在、放課後。後数分程でおそらく、杉崎有果や中村亜理紗、そして相沢武がここへやってきて、下ネタ授業を行う事だろう。
そして、自分はそれに参加する理由がない。けれど参加しない理由もない。大好きな中村亜理紗と共にいる時間を多く作りたいという欲求によって参加したいという想いも否定はしない。
けれど、そうした自分の存在が相沢武という一人の少年を、彼の想いを、戸惑わせているのかもしれないという葛藤が、彼女を蝕む。
「どうして、私は、こんなに、悩んでいるんです……?」
相沢武は、元々知り合い程度の人間だ。今は友達と言える関係にまで発展はしたが、それ以上の関係ではないし、そうなりたいと思った事は無い。
しかし、彼と亜理紗が例えば、付き合ったら。
そう考えると、胸が苦しくなる。
だがそれは、中村亜理紗の事だけを想っての事では無い。
今は――相沢武という少年の事も、気になっている。
「む。どうした源、机にうつ伏せて」
そんな教室に入室を果たしたのは、クラスメイトであり、小学六年生の頃から同じクラスの男・田坂恭弥である。
彼は、相沢武という少年を親友としており、そして愛するという男でもある。
「いえ、別に。田坂君は、居残り授業ですか?」
「うむ。もう少し下ネタの知識を覚えた方が、今後の為になるかと思ってな」
「田坂君は一般的な保健を覚えた方がいいかと……」
「保健か……どうにも詰まらないのだ」
田坂は勉強が苦手だが、保健の成績に至っては赤点ギリギリのラインを何とか超えている、程度のレベルだ。それにテストに関しては保健の知識ではなく体育の知識で答えて赤点をクリアしているにすぎないので、言ってしまうと保健の成績はゼロ点に近い。
「そろそろ居残り授業が始まると思うが、体調が悪ければ無理に参加せずとも良いだろう?」
「いえ、少々眠かっただけです」
それに先ほどの会話をしてから参加をしなくなっては、それこそ武に対して気を遣っているように感じられ、彼の気を害してしまう事だろう。それは避けねば、と参加を決めた源は、皆が来るのを待つ。
「……田坂君は、例えば相沢君に好きな人が出来たら、どうします?」
「それが俺であって欲しいと思う」
「恋人になりたいです?」
「なりたいと思う」
「でも、好きな人が田坂君じゃなくて、誰か別の女の子だったら?」
「いやむしろ、その方があり得るだろう。そもそも俺が勝手に武へ好意を抱いているだけで、武は女が好きだろう」
「それでも、田坂君は相沢君を好きでい続けるんです? 相沢君の恋人になりたいと願っているんです?」
「願う事は間違いか? 想う事は間違いか?」
「間違いじゃ、ありません」
「いいか、源。俺からしたら、なぜお前が俺の感情に関して、そこまで考えるか、理解が出来ない。だが言える事は一つだ。
俺は武を愛してる。そして武がいつか、俺の想いを理解して、許容してくれる、来るはずの無い未来を願っているだけだ。
この願いが果たせずとも、俺は確かな願いを抱いた。想いを抱いた。
それだけで十分だろう。人は、そうして願う事が出来るだけ、幸せだ」
言い切った、と言わんばかりに頷いた恭弥に、由美奈は尚も、どうしてと、考えずにはいられない。
自分が間違っているのだろうかと。恋人になりたいと考え、自分以外の誰かを好きになって欲しくないと嫉妬する事は、間違っているのかを考えてしまう。
――なぜ、皆はそこまで達観できるんだろう。
「おや、先に田坂と源がいるとはな」
そんな中、担当教師であり、居残り授業を取り仕切る杉崎有果が、幾つか大きめの紙袋を持って教室へやってくる。
「先生、それは?」
「用意していたものがあってな、職員室まで取りに行っていた。所で田坂、お前は今回の授業に外れて貰う事は出来るだろうか? 美馬には既に伝えてあったのだが、お前には連絡が遅れてすまない」
「む、何か俺がいては問題がある授業なのか?」
「ああ、女子のアレコレでね。相沢は専門家だから問題無いにしても、お前と美馬がいては、中村と源には少々恥ずかしいデリケートな授業をする」
「相沢君がそういうエキスパートみたいな……」
ツッコミを入れる由美奈だったが、しかし恭弥は納得した。
「そうか、女子のアレコレを男子である俺が聞く事はマズかろう。少々残念だが、今日は席を外す」
「すまないな、今度お前用の授業を組んでバランスを取る事にする」
「構わない。では、これにて失礼。……図書室で勉強でもして帰るか」
居残り授業用のノートをカバンに仕舞い、サッサと帰り支度を整えた恭弥に別れの挨拶だけを述べると、彼も手を振りながら由美奈へ一言。
「お前は小六の頃から考えすぎな所がある。もう少し柔軟に思考を回す事をオススメするぞ」
退室する恭弥を見届けた二者。由美奈は恭弥に聞こえぬように足音が遠ざかるのを待ち、その上で有果へ問う。
「……中村さんの性癖についてですね」
「そうだ。そして事中村の性癖については、私以外が対処する事が一番好ましいと判断した。勿論手助けはするが」
「あの、先生。中村さんと相沢君が来る前に、一つお話をいいでしょうか?」
「なんだ」
「先生は、少し相沢君を酷使しすぎです。彼だって思春期の男の子なんですよ? 先日の脱衣トランプなど、本来は言語道断な行為です。
……止めなかった私も同罪なので、あまり言いたくはないのですが」
有果は「まぁ当然だな」と認めつつ、しかし首を横に振った。
「しかし、これは私では解決が出来ん。力を借りねばならない」
「なぜです? 確かに先生のように変態なドMを相手にするんじゃ、中村さんの性癖は満たされないと思いますが……」
「源はサラリと私をなじって来たな……。そうではなく、中村は虐める対象を『特定の相手に絞っている』可能性が高い」
首を傾げ、由美奈は「特定の相手、ですか?」とだけ問うた。
「ああ。――いいか源、こう言った性癖に関しては、基本どこかに『性癖を産んだ理由』が隠されている」
「性癖を産んだ理由、ですか」
「そうだ。だが、本来中村は優しい子で、クラスメイトの男子が虐め同然の脱衣トランプなんぞで脱がされていれば、真っ先に怒る子だと思わないか?」
それには同意する。本来の彼女は誰にも優しく、天使の様な慈愛の精神を持っている。
そんな彼女が『加虐性愛思考』を持っていると知った時は、確かに驚いたものだ。
「そこで私は考えた。中村の加虐性愛思考を根付かせたのは、何かと」
「……あ」
「そう、相沢だ」
相沢武という少年は、国語の授業中において、杉崎有果によって辱めを受ける事が多い。
亜理紗はそんな彼をずっと見続けて来た。相沢武の席は亜理紗の丁度真後ろであるからして、彼の表情は一番よく見える位置であろう。
そんな彼を見続けていたからこそ――亜理紗の中に加虐思考が根付いてしまったのではないか、という推論が生まれたのだという。
「……え、いやちょっと待ってくださいです。それって諸悪の根源、先生じゃないです?」
「言うな。流石に反省を考慮に入れている」
「考慮に入れるんじゃなくて反省してくださいですっ!」
まぁそれは置いておいて、と手前の物を脇に置くジェスチャーをした有果は、続けて発言をする。
「しかし問題は相沢だけを加虐性愛の対象としている場合、それはそれで問題がある」
「仮にお付き合い等をした場合でも、相沢君が中村さんの趣味についていけなくなった場合、ですね」
「その通りだ。単純の愛憎ならまだ可愛いものだが、特定の誰かだけに向けられる特殊性癖は、時としてコミュニティから排除される要因となり得る」
「例えば」
「極端な例だが、相沢と中村が付き合い、中村の性癖に相沢が付いていけなくなって別れた場合、満たされない性愛思考を発散すべく、過剰な行動に出る等だな。男をとっかえひっかえ、さらには男への無茶な要求、最終的には堕ちる所まで堕ちる、とかな。これは本当に極端な例だし状況は違うが、実際にあった事例だ」
「さ、流石にそこまでは」
「まぁ中村の事だ、どこかで自制を利かせるだろうから、ここまで最悪な事にはならんと私も信じている。だが、問題が起こり得るなら対処を行う必要があろう。だから」
と、言葉の途中で、教室のドアが開かれた。




